第九十七話 おそうざい食堂の餡かけご飯


「うーん……」

 香織こうしょくは気持ちよく寝がえりをうつ。

 こんなにしとねの中が気持ちがいいなんて。小鳥のさえずり、頬をなでる柔らかい朝の光――。


「――って、えええええ?!今何時?!」


 飛び起きて襦裙の紐を結ぶのももどかしく居間へ行くと、いつものように華老師かせんせい耀藍ようらんが卓子についていた。


「おはよう、香織」

「おはようございますっ、あのっ、今はいったい……」

「腹が減ったじゃろう。昨日の夕方からずっと寝ておったのだから。今、小英と青嵐が朝食を支度してくれているからのう」

「じゃ、じゃあわたしずっと寝続けて……すみませんっ」

「謝ることではないだろう。眠るのはよいことだ」

「うむ、珍しく耀藍が良いことを言う。思えばそなたは、馬車に轢かれてここに来てから、ずっと働きづめだったからのう。休んだほうがいい、との天帝の思し召しじゃ。だからのう、今日は食堂も休みにしたらどうじゃ?」

「えっ、おそうざい食堂を休みに?」

「さっき、都の市場へ行く者たちがここへ寄ったとき、香織が体調が悪いと話したら、皆が休んだらどうかと言ってくれてのう」

「で、でも」


 おそうざい食堂は、親が建安中心部まで仕事に出ている小さな子どもや、小さい子をぞろぞろ連れたお母さんたち、午前中いっぱい田畑で汗水流して働いてお昼ご飯の支度も大変、という待ったなしの人たちばかりだ。


「みなさん、おそうざい食堂が休みだと困ると思うんです」

 香織はきっぱり顔を上げた。

「やっぱり、お休みするなんてできません」

「何を言っているのだ。そなたの身体も大事だぞ」

 耀藍が身を乗り出す。

「何事も健康第一だ。無理をして本格的に体調を崩せば、食堂をずっと休まねばならない状況になる」

「むう、今日は耀藍が珍しく良いことばかりを言うのう」

「冗談ではないぞ、華老師。香織は働きすぎだ」


 二人が言い合っている間にも、香織はちら、と厨に目をやる。

 小英がくるくると動き回って朝食の支度をしている。青嵐は薪を持ってきたり、甕に水を汲んだり、小英に頼まれて火を見たり、小英の良いアシスタントをやっている。


「人頼ることも、ときには必要で大事」

 おそうざい食堂を始めて、心に沁みたこと。そして、できるようになったことだ。


「……わかりました」

 香織は、華老師と耀藍を交互に見てにっこりした。


「休みます」

「おおそうか」「うむ、そうしろ」

「でも、おそうざい食堂はやります。朝晩の厨に立つことを休んで、小英と青嵐にお願いしようと思います」


 華老師と耀藍は顔を見合わせた。


「むう、香織はすごいのう」

 半ば呆れ、半ば感心して華老師がうなる。

「わかった。では、家事はわしら四人でやるから、任せなさい」

「四人? オレも入っているのか!」

「当たり前じゃろう、おぬしはここで飯を食うとるのだから、この家の者と同じじゃ。家の者同士助け合うのは当たり前じゃろうが」

「助け合う……ま、まあ、そういうことならそうだな。オレも香織を助けよう」

「華老師、耀藍……」

 香織は深く頭を下げた。

「わたしのワガママで、すみません」

「なんの。ワガママなどではない。熱意じゃ。熱意は、大事にせねばの」


 華老師はふぉっふぉっふぉ、と笑った。





「おや香織、身体はだいじょうぶなのかい?」

 いつものように土間に顔を出した明梓めいしが言った。


「さっきすれ違った人たちが、香織が具合が悪いから、今日は食堂は閉まってるって」

「だいじょうぶです! 献立はいつもより少ないですけど、やりますから!」

 明梓が、香織の額に手をあてる。分厚い、よく働く温かな手だ。

「うん、熱はないようだね。でも無理すんじゃないよ。おそうざい食堂はありがたいけど、香織が倒れちまったらみんな悲しむんだからね」

「は、はい……!」


 前世、主婦になってからは、熱があっても台所に立ったし、無理をするのが当たり前だった。

 あの辛かった日々を思うと、異世界の人々の温かさがありがたい。

 明梓の手の温かさと心からの言葉が、じんわりと香織の心に沁みていく。

 目頭が熱くなって、香織はそれをごまかすように鍋の蓋を開けた。

「よかった、もう煮えてます」

「ん? これは美味しそうだね! とろみがついてるねえ、なんだいこれは」

「餡かけご飯にしようと思うんです」



 餡かけご飯は「簡単・早い・美味い」を叶えてくれるお助けメニューだ。

 時間がなくてもお金がなくても体調が悪くても、家族に美味しくて栄養のあるものを食べてほしい、という一心で、前世、香織が編み出したピンチヒッター「シンプル餡かけご飯」。

 それを「おそうざい食堂の餡かけご飯」にアレンジした。

 こちらには顆粒の中華だしがないので、代わりに良いダシの出る変わりキノコをたくさん入れて作る。 

 この世界にはたくさんの変わったキノコがあって、それらがけっこう良いダシを出すのだ。



 変わりキノコ、玉菜(キャベツ)や青菜、にんじんなど、厨であまっている野菜と肉を炒めて、酒と醤油であじつけし、とろみをつける。それを白いご飯にたっぷりかけて、好みでゆで卵をそえればできあがり。

 味付けは酒と醤油だけだが、変わりキノコのダシと肉の旨味で中華だしにも似た、良い味になっている。

 器一つだが、すべての栄養素が入っている。器一つだから、片付けもラクだ。


「これを白飯の上にかけるってことかい? そりゃ美味しそうだ。昼が待ち遠しいねえ」

 ほくほくした表情で、明梓は仕事に出かけていった。


 

「おいしい!」

「とろとろして、子どもにも食べさせやすいね」

「器が一つだと、食うのも手軽だな!」


 今日もおそうざい食堂に集まった人々は、口々に餡かけご飯を絶賛した。



 鈴々が白い小さな花束を香織に差し出した。

 カモミールのような香りのするその花は、菊に似た可憐な花だ。

「わ、きれい、それに良い香り! どうしたの、これ」

「近所のみんなで摘んだの。畑の先に、咲いてる場所があるんだ」

 鈴々は誇らしげに言った。

「このお花の香りをかぐと、よく眠れるんだって。香織、かぜひいたんでしょう? 早くよくなってね」

「鈴々……ありがとうね」


 かがんで小さな頭を撫でていると、小さな子を連れた母たちがやってきた。


「今日もごちそうさま、香織。体調が悪いのに厨に立つのがどれだけ大変か、わかるよ。あたしらは今日もすごく助かったけどさ、あんた、これ飲んで早く寝るんだよ」

 そういって、母たちは小さな壺を渡してくれる。蓋を開けると、爽やかで甘い香りがした。

「これ、カリンですよね?!」

「ああ、カリンの蜜漬けさ。その汁を白湯に溶かして飲むと、身体が温まって病に効くんだ」

 香織はカリンエキスが好きで、前世、カリンが手に入れば自分で砂糖漬けを作っていた。

「懐かしい……。みなさん、荷物が多いのにわたしのために壺を持ってきてくださって、ありがとうございます」

 野良仕事の道具に小さい子ども。母たちの両手はそれでいっぱいなのに、割れないように気を付けながらカリンの壺を持ってきてくれたのだ。

「いいんだよ。あたしらにとって、おそうざい食堂はなくてはならない場所になってるんだ。香織には、元気でいてもらわなくちゃ」

「でも、無理はするんじゃないよ」


 口々に励ましの言葉を言ってくれる母たちに、胸がじーんとする。



「おう、そうだぜ。俺たちも、おそうざい食堂のメシを楽しみに仕事してるからな!」


 農家の男たちや大工の男たちも笑って言う。


「力仕事ならいつでも役に立てるから、言うんだぜ。椅子でも卓子でも、なんでも作るからよ!」

「ありがとうございます……!」


(おそうざい食堂は、いつの間にかこんなにも人々の憩いの場所になっていたなんて……)


 これからもがんばろう。一人でも多くの人に、温かい食事を届けよう。

 香織は人々が帰っていく後ろ姿へ、祈るように深く頭を下げた。



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