第九十一話 胡蝶の相談


「今、帝国が内乱の最中でしょう。そのせいで、呉陽国との国境付近でいざこざがあったり、商いの荷が滞ったりしているのは知っているわよね?」

「はい、それはもう」


 それは日々、いろいろな形で見聞きすることだ。


 おそうざい食堂に集まる人々の会話からもそれはわかるし、夜市を歩けば物価の高さに驚く。

 羊剛ようごうをはじめ、商人が困っているという話は夜市に行けばまず耳にする。



(わたしの転生先のこの美少女も、芭帝国からきっと逃げてきたっぽいしね……)



 おそうざい食堂を手伝ってくれることになった青嵐せいらんも避難民だし、青嵐の話ではたくさんの人々が呉陽国や周辺の国々へ流れているという。


「それでね、様々な問題を解決するため、まだ先だった術師の入城を早めようということになったんですって」

「ええっ?!」


 香織こうしょくの驚きっぷりに、胡蝶こちょうが小首をかしげる。


「どうしたの?」

「い、いえ……」



(だって耀藍ようらん様、そんなことは一言も……いつもと変わらず――)


 そこで香織こうしょくはハッとする。


(そういえば、このところ耀藍様は様子が少しおかしかった)



 身体のどこかが悪いわけではなさそうだが、ぼんやりと考え事をしている姿をたびたび見かけた……気がする。


「ああ、そっか。香織は異国の人だから、術師のことを知らないのよね」


 胡蝶は香織の動揺をちがう方向で解釈したようだ。


「術師と言っても、まじないや怪しい術をするわけじゃないの。呉陽国の術師は、鳳凰の化身なのよ」

「えええ?! と、鳥、ですか……?!」


鳳凰ほうおうって、たしか伝説上の聖鳥よね??)

 前世の知識がそのままあてはまるかわからないが、香織の遠い記憶では鳳凰というのは実在しない聖鳥。

耀藍ようらん様が鳥?! いやいやいやあんなよく食べる鳥っていないし、っていうか人の姿ですけど?!)


 耀藍と鳳凰が重ならず、香織は混乱する。

 胡蝶が、ほっそりとした顎に指をあてる。


「そうねえ、鳥っていうのとは少しちがうかもね。芭帝国の皇帝は龍の血を引くと言われているでしょう。それと同じことよ。そんな術師に拝謁できるなんて、畏れ多いことだけれど」


 え? 吉兆楼に通っているじゃないですか、と言おうとして香織はハッとする。


(そっか、胡蝶様たちは、知らないんだ。耀藍様が術師だってこと)

 白龍、と名を偽って吉兆楼に通っていたらしいので、素性は隠しているのだろう。


「術師はいつもいるわけじゃなくて、何十年に一度とか何百年に一度とか言われるけど、呉陽王のまつりごとを助けるために天帝がこの世に遣わすのだそうよ。徳の高い王の治世に現れる、と一説には言うわね」

「政を助ける……」


 王城で、ご馳走のずらりとならんだテーブルを前に目を輝かせている耀藍が脳裏に想像できた。

(うーん……どうやって王様を助けるんだろう……)

 たしかに耀藍には不思議な異能ちからがあるけれど、普段の耀藍の姿からは王を助けるとか鳳凰の化身であるとか、あまり、というかぜんぜん想像できない。


「つまり、耀……こほん、術師様が王城へ入る時期が早まったのは、今が大変なご時世だからなんですね」

「そうなのよ。あたしたち下々の者にはよくわからないけれど、とても急な話らしくてね。後宮の楽士や妃嬪の方々の舞いの準備も整わないから、建安一と言われる吉兆楼の三姫に祝賀の舞いを依頼したい、と内々に打診があったの」

「え! すごいじゃないですか!」


 異世界の事情についてはまだよくわかっていない部分もあるが、国の王に祝賀の舞いを任されるなんて、とても名誉なことだろう。


「そうね、喜ばしいことだわ。三姫の将来のためにもなるし吉兆楼の名もますます高まる。もちろん御受けするんだけど……人手が足りないのよ」

「ああ、たしかに」

 売れっ子三姫が抜ける穴は大きいだろう。


「丸一日のことだけど、あたしも舞いの伴奏で琴を弾くために一緒に行かなくちゃいけなくて」

「胡蝶様もですか?」


 それはますます大変だ。


「でしょう? だからその日だけ、御座敷に出てくれないかしら?」

「え?! わたしですか?!」


 胡蝶のとんでもない提案に、香織はあとじさる。

 

「無理です、わたしなんかがお座敷に出るなんて!」

 胡蝶は白魚のような手で香織の手をしっかりと包みこむ。

「そんなことないわ! その美貌、なぜか16歳の娘とは思えないこなれ感のある人のあしらい方。あたしの代わりを任せられるのは香織しかいないわ!」


「えええええ?!」香織は仰天した。「ちょっと待ってください! 胡蝶様の代わりなんてますますできませんっ!!」


「だいじょうぶよ、裏には辛好しんこうが控えているし、男衆もいるし。歌や舞いは他の妓女たちに任せていればいい。香織は全体に目を配ってほしいの。酔って無茶なことをしているお客様はいないか、お酒は足りているか、お料理に満足していただいているか」


 お料理、と聞いて、香織はハッとする。

(そっか……お料理を召し上がっているお客様の様子を見る、良い機会かもしれない)



 うまくできたら包子を店に出していいと辛好は言ってくれた。

 お客さんがどんな味を好むのか、知っておくのはためになる。


「わ、わかりました。胡蝶様の代わりなんて、本当は畏れ多いですけど……わたしにできることなら、一生懸命やります!」

「本当? よかったわぁ、これで安心して準備に取り掛かれるわ。ありがとう香織!」


 胡蝶は声を弾ませた。


「術師が入るのは次の満月の夜。それまでにお座敷の流儀を教えるわね。ひと月足らずだけど香織は呑みこみが早いからきっと間に合うわ。ああそれと、香織に似合う衣装を見繕わなきゃ」

「いえそんなわたしのために衣装なんて……」

「あら、店主に見える衣装を着ないとダメよ。あたしの代理なんだから。香織はとびきりの美少女だから、着飾るのが楽しみだわぁ」

「胡蝶様の代理……」


 今さらながら、香織は頭を抱えた。

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