第七十四話 その名は、おそうざい食堂


「数はこれで足りるか?」

「そ、それはもちろん足りますけど……」


 二十脚はあると思われる椅子は、どれもこれも前世、華流ドラマで見たことのあるような豪奢な作りの椅子だ。

 色は黒であったり、飴色であったり、朱色だったりいろいろだが、背もたれには透かし彫りと金細工が施され、座面は絹のクッションが張ってある豪華さは共通している。


「こんな高価な椅子、食堂で使わせていただいていいんですか?」

「もちろんだ。我が家の物置にあった物だから、遠慮なく使うがよい」 

「物置にこんな豪華な椅子がごろごろと?!」

 香織は驚く。さすがは異世界の貴族だ。


 華老師かせんせい宅から、なんだなんだと人々が出てきた。


「こりゃすごい! 彫刻のある椅子だ!」

「おおっ、耀藍様が持ってきてくれたのかい」

「これだけあれば、おれたちが椅子を作らなくてもだいじょうぶだな!」

「耀藍様、ふらふら遊んでいるだけに見えて、やるときはやるねえ」

「すげえな、人足に運ばせたのかい。やっぱり貴族様は機動力が違うや。まさか太謄が全部持ってきたわけじゃあるまい?」

「う、うむ。オレは大工仕事はできんが、これくらいなら役に立てると思ってな」


(そっか、みんな、耀藍様が術師だってこと、知らないんだわ)


 移動術で椅子を一度に運んだとは、誰も思っていないようだ。


 耀藍は下町の人々に溶けこんでいるが、異能のことは秘密にしているのだろう。

(そういえば、近所の貴族らしき母娘は、耀藍様の異能のことを知っていたけど、危険人物として避けていたわ)

 どうやら、耀藍が「術師」であることには、いろいろと複雑な事情があるようだ。


「よし、みんなで手分けして運びこもうぜ!」


 男たちは次々に椅子を華老師宅へ運びこむ。


「へえ、すごいねえ。あっという間に食べる場所が広がった」


 明梓は、出来上がったばかりの長卓子と、そこに並べられた少々不釣り合いなほど豪奢な椅子を雑巾で拭いていく。


「香織のところには人が集まるねえ。あんたの人徳だ」

「そんなことはないです! みなさんが、とても良い人ばかりだから」

「なに言ってんだい、良い人ばかり吸い寄せてんのは、あんただよ!」


 明梓が笑って香織の背中をたたいた。


「あんたの人柄と美味しいお惣菜がみんなを幸せにしてくれてるんだよ。あんたがどこの誰だろうと、そんなことは関係ないのさ。自信を持ちな」

「明梓さん……」


 人々は、香織が馬車に轢かれて記憶喪失になった芭帝国からの哀れな難民、だと思っている。

 香織も、いまだに自分がどこの誰なのか、思い出せないでいる。

 たまに、夜など一人になったとき、不安になることもある。

 前世の記憶はハッキリとあるのに、この世界でのこの身体の記憶がまったく思い出せないのは、なぜなのか。


 だから明梓の言葉は、渇いた地面に水がやわらかく染みわたるように優しく香織を包んだ。


「これからも、香織のお惣菜を楽しみにしてるからね!」

「は、はいっ、もちろんです……!」


 熱くなった目頭を袖で押さえて、香織はふと、最近考えていたことを口にした。


「あの……明梓さん。以前、わたしに食堂をやったらどうかって言ってくれたとき、阿香あこう食堂、って呼んでくれたじゃないですか」

「ああ、うん。そうだねえ。香織こうしょくの食堂、って意味でね。この国じゃ、小さい子や女の子に親しみをこめて呼ぶとき、阿という文字を付けるのさ」

「それもいいなって思うんですけど、わたし考えたんです。この食堂の名前を……『おそうざい食堂』にしたらどうかなって」


 香織は思い切って言ってみた。


「おそうざい食堂? まんまじゃないか」

 明梓は笑った。香織は恥ずかしくて顔が赤くなる。

「で、ですよね……でも、この食堂は、こうやって皆さんと一緒に作ってきたものだし、これからもそうだと思うんです。わたしの作るものはご馳走じゃなくてお惣菜だけど、皆さんは喜んで食べてくれる。だから、『おそうざい食堂』かなって……」

「ははは、あんたらしいね、香織。おそうざい食堂か」

 明梓は腕を組んで、頷いた。

「うん、いいんじゃないか。おそうざい食堂。ねえみんな、今日からここは『おそうざい食堂』って名前だって」


 すると、もうひとつ長卓子を作っていた大工たちが顔を上げる。


「へえ、おそうざい食堂なあ。わかりやすくていいな」

「ほいじゃあ、看板を作ったらどうだい」

「余った木材で、作れるな」

「おう、だな」

「え? え? そんな看板まで……いいんですか?」


 香織があたふたしている間に、大工たちはすぐに木材を集めている。


「職人ってのは、やろうと思ったら仕事が早いのさ。任せておけばいいよ」

「は、はい……」


 職人たちに「申しわけないのでいいですよ」と言いかけて、言葉を呑みこむ。


 前世、香織は、人に頼るのが下手だった。

 自分でなんとかしなくては、といつも思っていた。


 でも、助けてくれる手があるのなら、頼ってもいいんじゃないか――異世界にきて、そんなふうに思うようになった。



 助けてくれた人を、次は自分も助けようと思う。

 そうやって、人と人とのつながりはできていくのかもしれない、と。



香織こうしょく耀藍ようらん様が持ってきてくれた椅子がまだあるから、長卓子をもう一つ作るぜ」

「は……はい! ありがとうございます! お願いします!」


(そうだ、おにぎりを作ろう! 豚汁には、やっぱりおにぎりよね! みんなが作業が終わる頃に間に合うようにしなくちゃ)


 香織は急いで土間に戻っていった。


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