第七十話【一章最終話】雨降って地固まる、吉兆楼の昼風景


 吉兆楼に、お昼時がやってきた。



 いい匂いに誘われるようにして、朝の遅い妓女たちが、あくびをしつつ厨の前に列を作る。

 それが最近の、吉兆楼の昼風景である。


 妓女たちが厨へ入っていくと、

「あ、みなさん、おはようございます!」

 陽の光を金色に弾く、色の薄い髪。大きな扁桃アーモンドのような瞳は淡いすみれ色。異国の美姫ともいえる美少女――中身は43歳元・主婦だが――が元気に挨拶をする。

 少し前までは美少女・香織こうしょくに嫉妬していた妓女たち。

 しかし今では、この元気な挨拶と厨中に広がるいい匂いで目を覚ますのが妓女たちの日課だ。


「ねえねえ香織こうしょく、今日のまかないは?」

「今日は肉豆腐と、青菜のおひたしと、キノコ汁ですよ」

「おいしそう!」

「はあ、いい匂い~!」

「もらっていい?」

「はいどうぞ。いつも通り、ここに器、並んでますから」


 今は使っていない作業台の上に、肉豆腐、青菜のおひたし、白飯が、それぞれ等量に小分けされた器がずらりと並んでいる。

 妓女たちはその小さな器を、お盆に一つずつ取っていくのだ。


(ホテルバイキングを参考にしたけど、なかなかよかったかも)

 前世でママ友と何度か行った、ホテルバイキング。

 料理が小さな器に小分けになってずらりと並んでいた、あの様子を再現したつもりだ。妓楼なので、お客さん用に使わなくなったお盆や器がたくさんあるので、好都合だった。

 これがまた、「受取りやすい」と妓女たちに大好評。

 おかわりは三回までなので、おひたし二つとか、一度に取っていく妓女もいる。

 皆、お盆を手に思い思いの場所で食べる。部屋へ戻る者、玄関広間の長椅子を使う物、天気が良いと、中庭に出る者もいた。


香織こうしょくー、キノコ汁多めにお願い」

「はーい」


 汁物は、最後に香織がよそう。

 汁物はよそっておくと冷めてしまうからだ。


 仕込み作業の合間をぬってよそうので忙しいが、香織は温かいものを妓女たちに食べさせたかった。


「まったく、洗い物が増えて嫌になっちまう!」

 ぶつくさ文句を言う辛好しんこうだが、なんと洗い物を率先して手伝ってくれている。

 だから文句を言われても、香織はうれしかった。



香織こうしょく、あたし肉豆腐おかわりぃ」

 梅林ばいりんが顔を出した。

「はい。あ、でも梅林さんは肉豆腐、三回目です。おかわりこれで最後ですよ」

「ええっ、バレてる……ごまかせると思ったのにぃ」


 口をとがらせる梅林に、香織は三回目の肉豆腐の器を取ってやった。

「すいません、みなさんの美容と健康のために、チェックさせてもらってるんで」

 香織は、小英しょうえいから使わなくなった筆と手習いの書き損じ紙をゆずってもらい、妓女たちの食べる回数をチェックしている。



「ちぇっく……?」

「よくわからないけどさ、香織にごまかしはきかないってことだよ、梅林!」

「そうそう、正々堂々とね!」

 器を取っていた妓女たちがどっと笑う。


「あらあら、美味しそうな匂いだこと」

「胡蝶様!」


 部屋衣姿もあでやかな店主が、お盆を取った。


「あたしも、もらっていいかしら?」

「もちろんです! どうぞ」


 香織が器をお盆に載せると、胡蝶が微笑んだ。


「香織のまかないを食べるようになってから、お肌の調子がよくってね」

「ほんとうですか? うれしい……」


 胡蝶の化粧が息を呑むほど映えるのは、肌が最高に美しいからだ。

 まるで磨いた白玉のような肌は、吉兆楼の妓女たちの憧れでもある。

 そんな胡蝶に「まかないのおかげでお肌の調子がいい」と言われば、それは最高の誉め言葉だ。


「今までは、ちょっと寝る前の手入れを怠ったり寝不足だったりすると、化粧のノリが悪かったりしたんだけどねえ。不思議とそういうことがないのよ」

 ここで胡蝶は声をひそめ、

「お通じもよくなったしね」と少し恥ずかしそうに笑む。

「それはよかったです」

 お肌の調子は胃腸の調子と連動する。前世、香織もできる範囲でいろいろな腸活を試した。


 そのとき、胡蝶の後ろをそそそ、と通り過ぎる地味な部屋衣が見えた。


杏々しんしんさん……?」


 杏々はずっと、禿かむろに部屋までまかないを運ばせていたはずだ。

 まかないの列へ並ぶ後ろ姿に、胡蝶は呆れたような溜息をついた。


「この勝負、あんたの勝ち、だそうよ」

「えっ?」

「そう伝えてくれって、あの意地っ張りがね」


 胡蝶は、そそくさと、でもうれしそうに青菜のおひたしを取ろうとしている杏々をちら、と見た。


「杏々さん、お元気になったんですね?!」

「ええ。あんたの作るお惣菜のおかげだって。特に、胡麻和えが好物らしいよ、あの子は」

「そうだったんですね」

 胡麻和えは、香織も好物で得意なお惣菜だ。

「すまないねえ、あれでけっこう良い子なんだ。許してやっておくれ」

 胡蝶が申し訳なさそうに言う。

「許すなんて、そんな」

「ま、三姫筆頭の杏々も文句なしに認めたことだし、これで香織こうしょくは正式に吉兆楼の厨女ということだね」

「ほ、ほんとうですか?!」

「ええ。給金も正規の金子を払いましょう。これからもよろしく頼むよ」

「は……はい!」


 胡蝶のお盆に白飯とキノコ汁を載せて、香織は深く頭を下げた。

 ほんとうは、飛び上がりたい気持ちでいっぱいだ。


 最初は針のむしろのような空気だった吉兆楼で、香織は今、妓女たちの笑い声を聞きながら厨に立つことができている。

 痩せすぎの妓女たちのために、ダイエットメニューを作りたい! という希望も、叶えられている。


 人生はうまくいかないことの連続。

 前世では、そうだった。

 異世界でもうまくいかないことはあるが、それでもかなり、恵まれている。



(あきらめなかったから、かもしれない)



 前世では、香織はすぐに、あきらめがちだった。

 自分が我慢すればいい、とやりたいことをすぐにあきらめた。


 でも今は、かんたんにあきらめない。


 あきらめずに頑張ったからこそ、食堂にもたくさんの人が来てくれるようになったし、吉兆楼で正式に雇ってもらえるようになったのだろう。

 それは亀の歩みのように一歩一歩の道のり。

 けれど、確実に前へ進んでいる。


 運を引きよせる、というのは、こういうことなのかもしれない。


(帰りに、また耀藍様と市場へ寄っていこうかな)


 食堂に必要なものを、耀藍と一緒にいろいろと見ていこう――香織はそんな楽しみにワクワクしながら、次々とやってくる妓女たちに「おはようございます!」と挨拶をした。




*     *     *



 読者様へ


 いつも拙作を読んでくださって、ありがとうございます。

 そして、たくさんの温かいコメントや♡や☆などの応援、ほんとうに、ほんとうにありがとうございます!

 皆さまのおかげで、細々ながら書き続けられております!

 この場をお借りして、御礼申し上げますm(__)m



『異世界おそうざい食堂へようこそ!』、第一章はここまでです。

 次回から第二章スタートします。

 香織の「おそうざい食堂」が異世界でどんなふうに展開するのか、続きをお楽しみください。

 これからもどうぞよろしくお願いしますm(__)m



 桂真琴

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