第六十九話 商人たちの会合と吉兆楼の三姫


 吉兆楼の最上階に、楽の音がこぼれる。

 ゆるやかに流れるその音色は、吉兆楼三姫が奏でる、二胡、琵琶、笛。

 王城の楽士にも引けをとらない腕前の三姫が揃って合奏をするのは、特別な座敷に限られている。


 今日は月に一度開かれる、建安の主だった商人の会合だ。


 最上階の広大な座敷は商人で賑わい、雑談にまざって情報交換や商談も欠かさないあたりが、皆やり手の商人である。


「芭帝国の内乱は、ますますひどくなるばっかりでじゃのう」

 口を開いたのは、上座に座っていた老翁で、名を栄元えいげんといい、建安の中心部で主に貴族が常連客の衣装屋を営んでいる。

「荷を往来させるのがますます困難になってきてのう。貧しい民や内乱を脱走してきた兵が徒党を組んで盗賊となり、国境付近はかなり物騒らしい」

「塩荷が、呉陽国の国境兵もろとも襲撃されたって話も聞くぜ。俺っちの店の荷は襲われたことないけどな」


 応じたのは、髭面に熊のような巨体。

 塩商人の羊剛ようごうだ。


「おめえの荷を盗もうなんて命知らずはいねえだろうよ」

 最上座の魯達が、嫌そうな顔で羊剛の腰にぶら下がる剣を見た。半月型のその狩猟小刀は、軽いひと薙ぎで人の首も落ちるという、古来より山の部族に伝わる剣だ。

 羊剛は芭帝国と呉陽国の国境にある山の部族出身だった。


「商人同士のいざこざならともかく、お国の事情となると俺様たちにはどうしようもねえ。王は、どうなさるおつもりなのかねえ」

「役人からの噂によれば、近く、新しい術師が王城へ召されるそうじゃ。なんでも、できぬことはない希代の術師という話。王は、商いや国境付近の諍い解決のために、その術師を芭帝国へ遣わしたいとお考えだとか」

「へえ……王城術師てのは、得体が知れねえがな」

 羊剛が首をひねる。

「そりゃ、雨を降らせたり災害を予知して民を救ったり、常人にはできねえことをやってのける、ありがてえ御人なのかもしれないがよ。そんな妖術遣いみたいなのに国の大事を任せちまっていいのかねえ」



――このとき、華老師宅の居間で夕飯をかっこんでいた耀藍がくしゃみをしたことは、もちろん商人たちの知るところではない。


 魯達が杯を干した。

「まあ、おそらく王も、打てる手は打ってくださってるんだろうからな。新しい術師を王城へ上げて芭帝国との外交に使おうってのは、最終兵器なんだと思うぜ。そういうことなら、俺様たちは少し、王が遣わす最終兵器のお手並みを拝見といくかな」

 羊剛はちびちび杯をなめつつ、溜息をつく。

「はあ……早く荷が襲われる心配がなくなって、心から美味い酒が飲みたいぜ。こちとら、人件費節約のために一人で商いやってんだ。芭帝国も、早く内乱なんざ止めちまえばいいのによ」


 そのとき、演奏をひとしきり終えた三姫が、上座へ酌へやってきた。


「魯達様、栄元様、羊剛様。ようお越しくださいました」

 杏々、寧寧、梅林はそれぞれの客のそばに侍る。

 栄元は老翁ながら相好を崩し、羊剛などは梅林の豊満な谷間の見える衣装に、鼻の下がのびまくりだ。


「おう、なんだかこの頃、吉兆楼はますます質が上がってんなあ」

 魯達は大きな専用杯を杏々の前にどん、と置いた。

「芸も容姿も、宝玉のようだ。おめえさんたち三姫は建安一の妓女にちがいねえ」

「まあ、魯達様。お褒めにあずかり、光栄ですわ」


 杏々は金漆塗りの大杯になみなみと酒を注ぎ、魯達に差し出す。


「魯達様をはじめ、皆さまに気に入っていただけるよう、ますます精進いたします」

「おうよ。とくに杏々、おめえはずいぶん顔色がよくなったぜ。綺麗な赤髪も紅玉の輝きに戻ったしな。実は俺様は、おめえは病にかかっちまったんだと思ってたんだぜ。まるで死神みてえなシケた面していやがったからな」


 杏々は赤く艶めく髪を手ですくい、しみじみとつぶやいた。


「食べ物のおかげかもしれません」

「食べ物だあ? 不老長寿を叶える人魚の肉でも手に入れたってか。そいつは、俺様も分けてもらいたいもんだな」

「ふふ、ちがいますよ、魯達様。まかないです」

「まかない? そんなもん、これまでも食ってただろうよ。辛好姑姑ぐーぐーは口は悪いが料理は美味い」

「魯達様、今まかないを作っているのは、新しく入った娘ですわ」


 魯達は少し考えて膝を打った。


「ああ! 香織こうしょくのことか! で、けっきょくあいつは、ここで使うことになったのか?」

 杏々はにっこり、微笑んだ。

「ええ。あの娘は、正々堂々とした勝負の末、立派に勝ったんですから」

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