第六十七話 勝負、はじまる。


杏々しんしん姐さん、お呼びで?」 


 寧寧ねいねい梅林ばいりんは、おそるおそる杏々の部屋の扉を開けた。


 杏々は、布団に身体を起こして、煙管きせるをふかしている。

 杏々の煙管の吸い方はいつも通り静かだ。それでも、二人は怯えた目で杏々を上目遣いに見た。


「あ、あのっ、酢の物の件は……あたしたち、ちゃんと言われた通りに細工しましたよ!」

「そうなんですよう、まさか胡蝶様があんなにカンカンになるなんて……ねえ」


 寧寧と梅林は顔を見合わせる。静かにふかしていた煙管を、杏々は金塗り細工の煙草盆の上で、かん、と軽く叩いた。


「あたしは、少し思い違いをしていたようだ」

「へ?」

「へえ?」

「あんたたち、この吉兆楼の三姫としての誇りは、持っているだろうね?」

 何を唐突に聞くのかと思うが、二人は素直にうなずく。


「は、はい」

「そりゃあ、もう」

「あたしにも、もちろん三姫としての矜持がある。だから、あたしたちのやるべきことは、他の妓女たちの模範となる行動だ。正々堂々とした勝負だ」


 寧寧ねいねいが困ったように眉を寄せた。


「ごめんなさい、姐さん。なんのことやらさっぱりなんですけど」

「あたしにもわからないですぅ」と梅林ばいりんも困惑顔だ。


 杏々の形のいい唇が微笑んだ。

「あの香織こうしょくって女は、料理人だ。あの女を辞めさせるも使うも、小細工じゃなくて、料理の良し悪しで判定するべきなんじゃないかってことよ」

「はあ……」

「そうなんですかあ?」

「あの女、あたしたちのまかないを作ることになったそうだよ」

「ええ?!」

「なんでですかあ?」

「食べても痩せて綺麗になるまかないだとさ」


 杏々しんしんはくすりと笑う。それは嫌味や悪意のこもったものではなく、むしろ温かみを感じる笑みだ。


「ほんとうにそんな料理があるのか知らないけど、あの女はあたしにそう言ったんだ。そのまかないをしばらく食べて、あたしたちが痩せて綺麗にならなかったら、辞めさせられても納得する、ってさ」

「あの女……杏々姐さんにそんな生意気なことを言ったんですか? 食べても痩せて綺麗になるまかない? はっ、そんなもの、あるわけないじゃありませんか!」

「ますますヘンな子ぉ」


 せせら笑う二人に、杏々は真面目に言った。


「でもあの女は、真っすぐだよ」

「え?」「へえ?」

「料理をしたい、その姿勢は真っすぐだ」

「はあ……」

「だからこちらもセコイことせずに、あの女の作ったまかないをちゃんと食べて判定する。吉兆楼三姫がするべきは、そういう正々堂々とした勝負だろうと、思ったのよ」


 杏々は深々と煙管を吸いこみ、煙をゆっくり吐き出した。


「あんたたち、今から厨へ行って、まかないを食べてきな。それと、他の妓女にも伝えておくんだ。今度は細工も足を引っ張ることもナシ。まかないは美味しいか、食べて痩せて綺麗になるか、判断すべきはそこだけだ、とね。いいね?」

「わかったわ、姐さん」

「わかりましたぁ」


 あれだけ香織こうしょくとかいう新人厨女を憎んでいた杏々が、いったいどういう風の吹き回しだろうか。


 寧寧と梅林は首を傾げつつも厨へ向かった。

 二人は、実はとてもお腹が空いていたのだ。







 厨をのぞいた寧寧ねいねい梅林ばいりんは、辛好しんこうにこっぴどく怒鳴られた。


「こっんのクソガキがっ!! 昨日はとんでもないことをしてくれたねっ!!」

「ご、ごめんって、辛好さん。悪気はなかったんだよ」

「そうよう、あたしたち、杏々しんしん姐さんの言いつけを守っただけだしぃ」

「そうそう、今も姐さんの言いつけで、まかない食べにきたんだけど……」


 寧寧と梅林は、ちら、と香織こうしょくの方を見る。


「辛好さん、まかない、あの女が作ることになったって、ほんとう?」

「ねえ、あたしたち、毒盛られたりしないかなあ」


 辛好は目を見開いて、何か言いたそうに口をぱくぱくしていたが、


「食べて、自分のおつむで考えるんだね。言っとくが、毒なんか入っちゃいない。あたしも杏々も食べたんだから」

 それだけ言うと、ふい、と自分の作業へもどっていった。


「本当かなあ……あたしたち嫌がらせしたし、ぜったい毒入ってるよねぇ?」

「辛好さんと姐さんを信じるしかない。ほら、行くよ」

 寧寧ねいねい梅林ばいりんは香織の背中に向かって言った。


「ちょっと」

「そこのあんた」

「おいっ、ちょっと!!」

「聞いてるのお!」


 二人が少し声を大きくすると、香織が振り向いた。


「あっ、すみません。あたしまた作業に没頭してしまって……あっ、もしかして、まかない食べにきてくれたんですか?!」

 うれしそうに目を輝かせる香織に、寧寧と梅林はドン引いた。

(嫌がらせした張本人を前に、なんでそんなにうれしそうなのよ……)


 香織は何やら器をかちゃかちゃと乗せて、まかない用の塗りのハゲたお盆を二つ、寧寧と梅林に差し出した。


「はい、どうぞ! きちんと食べて、きれいになりましょう!」


 二人はお盆を見て、目を丸くした。

 お盆の上に、白飯とおかずが三品。

 よくよく見れば、ひとつひとつの器によそってある量は少ない。

 しかし、いつもは器一つなのに器四つとなれば、たくさん食べることになるのではないか?


「「こんなに食ってきれいになれるかってのよ!!」」


 思わず二人揃ってツッコむが、香織はのほほん、と首をふった。

「いえいえ、だいじょうぶですよ。全部、食べてだいじょうぶです。よかったらおかわりもありますよ!」

「おかわり?!」

「ちょっとおっ、あんたあたしたちをナメてんのお?!」


 食べ盛りの寧寧も梅林も、体形を気にして食べる量を我慢しているというのに。

 おかわりなんて、もっての外だ。

 しかし香織は、やはり大真面目に言うのだった。


「ナメてませんよ。そのかわり、おかわり規則があります」

「おかわり規則???」

「おかわりは三回までです。どの料理をおかわりしてもいいですけど、三回まで。白いご飯は、二回までです」

「…………」


 ここまでハッキリ言われると、言い返す気も失せる。

 それに、二人とも、手元から上がる良いにおいに、空腹が耐えられなくなっていた。


「わ、わかったわよっ、しょうがないから食べてやるわよっ」

「杏々姐さんに正々堂々と勝負しろって言われたからぁ、食べるけどぉ、あんたの言う通りに食べて太ったらタダじゃおかないからねぇっ!」


 寧寧と梅林は捨て台詞のように言うと、お盆を抱えてそそくさと妓楼へ帰っていった。


「正々堂々と……杏々さんが、そんなこと言ってくれたんだ」


 杏々の器は、きれいに空になっていた。

 まずは、気持ちが届いたのかもしれない――香織は、胸が熱くなった。

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