第六十二話 ドキドキの正体は?


 今日、食堂でいちばん人気があったのは、大根の甘味噌焼きだろう。


 大根の甘味噌焼きは、とくに小さい子どもやその母たち、甘い物が好きな男性陣にもウケがいい。


香織こうしょくの作る料理はほんのり甘いのがけっこうあるが、甘いのに不思議と白飯に合うんだよなあ」

 太謄たいとうが、大根のお皿に残った甘味噌を白飯の上にのせて、美味しそうに頬張る。

「ありがとうございます、太謄さん。でもごめんなさい、白飯のおかわりはもうないんです」

「よいぞ香織、太謄はすでに三回おかわりしているからな。足りないくらいでちょうどよいのだ」

「ひどいっすよ耀藍ようらん様、食べなくちゃ、午後の仕事できないっす」

「そなたは我が家でもオヤツだなんだとちょいちょい、一日十食は食べているだろう。食べすぎだぞ。ていうか、なぜここで昼飯を食べているのだ!」

「ひどいっすよ、米を届けろって言ったの、耀藍様じゃないっすか」

「あ、そうだったか」

「はいはい、食べすぎなのは耀藍様もです。もうおかわりないですからね」


 香織は澄まして耀藍のお茶碗をサッと取る。

「ええっ、そんな! オレはもう一杯白飯を食べるつもりで、大根の甘味噌焼きをたいじに取っておいたのだぞ!」


 耀藍がごねていると、勇史ゆうしがやってきた。


「香織、俺もおかわり三回しちゃったんだけど、ダメかな」

「勇史はいいよ! ほら、よそってあげるからお茶碗ちょうだい」

「なっ、香織! なぜ勇史がよくてオレがダメなのだ!」

「子どもは育ちざかりなんですから、たくさん食べなきゃだめなんです」

「オレも育ちざかりだぞ!」

「え、耀藍様って、大人だろ?」

「そうですよ、耀藍様は立派な大人でしょう。もう、子どもみたいなこと言って……」


 ぶつぶつ言いながらも、香織はくすっと笑う。

(ほんと、耀藍様って子どもみたいだけど、下町の人々に慕われてる)


 ここに来る人たちは皆、耀藍ようらんが大貴族蔡家さいけの子息だということを知っている。

 けれど、耀藍のことを近所の人たちと同様に受け入れている。


(懐が深いっていうか……飾らない性格も、人々に好かれるのかもしれないわね)

 そんなことを考え、香織は顔が熱くなる。

(やだな、わたし、この頃、耀藍様のことばかり考えてる)

「ねえ香織、どうしたの? お顔が赤いよ?」

 勇史の後ろからちょこちょことくっ付いてきた鈴々りんりんが、不思議そうに見上げてくる。

「ど、どどどうもしないよ! あっ、鈴々もおかわりかな?」

「うん!」

 香織は小さなお茶碗を受け取った。


 最近は、たくさんの人が食堂に来てくれるため、マイお茶碗とマイお箸を持ってきてもらうことにしている。


 小さなお茶碗に白飯をよそったついでに華老師かせんせい小英しょうえいのお昼分を取り置いて準備しておく。明梓がひとつ土鍋を貸してくれたため、土鍋みっつで白飯が炊けるようになったが、いつもきれいに空っぽになる。


「ごちそうさま!」

「今日もうまかったねえ」

「また明日来るわ」

「またね、香織こうしょく!」


 人々が帰り始める頃、太謄たいとうも大きな身体をゆすって立ち上がった。

「あ、そうだ。香織、塩屋の羊剛ようごうって知ってるか?」

「ええ、知ってますよ」


 先日、塩を半斤で売ってくれた、熊のようでいかついが、親切な男だ。


「羊剛は、蔡家に塩を届けにくるんだ。そのときに、香織の話になったんだが」

「わたしの?」

「塩を半斤で売ってくれって言ってきた異国風のカワイイ子がいて、その子が作ってくれたオニギリって食べ物が最高に美味かった、って絶賛してたんでな。それって、香織のことだろ? なんでまた、羊剛にオニギリを?」

「塩を半斤で売ってくれたお礼に、お弁当を届けたんです。羊剛さん、一人でお店をやっていて、お昼を食べに出る時間もないって言っていたので」

「ふーむ、そうだったんか」

「どうかしたんですか?」

「いやな、羊剛が、またオニギリが食べたい、知り合いなら、なんとか頼みこんでくれって言うんだわ」

「そうでしたか……」


 香織としては、作った物を美味しいと言ってくれて、おかわりしたいと言われたら、最高にうれしい。


「もちろん、作ってさしあげたいのはやまやまなんですが……最近、賃仕事に行っていて、羊剛さんのところまでお届けするのが、時間的に難しそうなんですよね」

「ほう、賃仕事してんのか。働き者だのう、香織は」

「ごめんなさい、羊剛さんには、また機会があったら必ずオニギリお届けしますからって、伝えてください」

「おう、わかったわな。んじゃ耀藍様、たまには蔡家へもお戻りくださいよ。使用人の女たちが寂しがっておりますぞ」

「う、うむ。わかった」

 太謄は大きな荷車を押して帰っていった。


 香織はお茶碗を洗いながら、厨の窓から空を見上げて、あっ、と言った。

「あっ、いけない、もうお日様があんなに高くなって!」


 こちらの世界では、時計はとても高価な物だ。

 庶民はお日様の高さで時間を計ることが多い。


「移動術を使おう。先日、花街の門前に『道』を作ってきたから、行けるぞ」

 いきなり耀藍が耳元でささやいたので、香織は洗っていたお茶碗を落としそうになった。

「い、いいですよそんな! 貴重な術を、わたしなんかのために使わないでください!」


(近い!近いです耀藍様!)

 しかしそんな香織の心の叫びなど聞こえるはずもなく、耀藍は続けてささやく。


「いいではないか。オレは皿洗いもできんし、片付けも手伝えんからな。食べた分、それくらいは役に立たせてくれ」


 おそるおそる見上げると、すぐそばに耀藍の端整な顔が微笑んでいて、香織は焦る。


「な? 移動術で行こう」

「わ、わかりました! わかりましたんで耀藍様はあちらでお待ちくださいっ」

「うむ、わかった」


 耀藍は、薬部屋へ入って、華老師がやりかけている薬草引きの続きを始めた。


(心臓に悪いわ……)

 一体、自分はどうしたというのだろう。

 香織こうしょくを見張るために耀藍ようらんは四六時中、そばにいる。

 その耀藍にこんなにドキドキしていては、身が持たない。



 うすうすわかっていた。

 香織だって前世、恋もしてきたし、結婚もしたのだ。



(このドキドキは、恋だよね……)



 前世の香織なら、耀藍のような超絶イケメンなど雲の上の存在、遠すぎて好きになる対象ではなかった。

 きっと近付いてきても、街角でジャニーズに会った!くらいのノリで、その場で騒いで終わるドキドキだ。


 でも、これは。今の香織のドキドキは。

(これは、わたしの気持ち? それとも、この異国風美少女の気持ち?)

 答えの出ない問いに、香織はひそかに頭を抱えるのだった。




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