第五十六話 吉兆楼の厨騒動②
「ごはんですよー」
「さっきからいい匂いだなって思ってたんだよ! 香織、今日は何を作ってくれたの?」
土間に下りてきた
「うわ、これ何?」
「小英が保存庫のこと教えてくれたから、お肉を買ってみたんだ。肉じゃがっていう料理なの」
「にくじゃが?
「口で言うより食うてみればよい」
「そうだぞ小英、早く皿を持ってきてくれ!」
「おぬしは配膳を手伝わんか。居候なんじゃから」
「む、オ、オレは香織と一緒に市場で買い物をしてきたぞ」
「香織の後をくっついとっただけじゃろうが」
「荷物を持ったぞ!」
「当たり前じゃ」
いつものようにわーわー二人が言い合っている間に、香織と小英が配膳を済ませる。
「ほんとうに
「ど、どこがだ小英! オレはしょっちゅう華老師に小言を言われているぞ!」
「小言じゃないわい。わしゃ当たり前のことを言うとるだけじゃ」
「まあまあ、冷めないうちにいただきましょうよ」
そんなわけで、今日も四人で「いただきます」と手を合わせる。
肉じゃが、キャベツときゅうりの浅漬け、いろいろキノコと豆腐の味噌汁
(やっぱり、冷蔵庫があると料理の幅も広がるわね)
もちろん前世の冷蔵庫ほどの保冷力はないのだが、床下の保存庫は肉なら三日ほどは大丈夫だと市場でも聞いた。
こちらの世界では、ポピュラーな食品保存方法らしい。
そこで、吉兆楼の帰りにまた市場へ寄り、豚肉とキノコを買ってきたのだった。
こちらの世界には、実にたくさんのキノコがある。中には、「これは毒なのでは……?」と思ってしまうくらい、色鮮やかなキノコもあるが、どれも美味だと言う市場の売り子と耀藍の言葉を信じて、赤、緑、黄色のキノコを香織は買ってきたのだった。
「む、これは……美味い!」
肉じゃがを一口食べた耀藍が、白飯をかっこむ。
「ほんのり甘い味付けがじゃがいものホクホクによく合うぞ! 煮込んで柔らかくなった肉がしんなりした玉ねぎと絡まっていい具だ! しっとり煮えたにんじんもいいな!」
「ふむ、耀藍は料理の良し悪しだけはよくわかっておるのう」
「また失礼なことを!」
「ほめておるのじゃぞ。おぬしの言う通り、すべての具の特徴が味わえる料理じゃ。味付けがいいんじゃろうな、このすべてを包むようなほんのり甘い醤油味が。このあたりでは、甘いおかず、というのはほとんどないからのう」
「そうなんだよな、不思議と、この甘い醤油味が白飯に合うんだよ」
小英も「肉じゃが→白飯」のループが止まらないらしい。早くもお茶碗の半分のご飯を食べてしまっている。
(そっか、こっちの世界では、甘辛い味付けっていうのが無いんだ)
たしかに、食堂でも、珍しいがられ、ありがたがられる。
特に、小さい子や小さい子連れの母親たちに評判がいい。
(お肉の調達ができるなら、食堂でも肉じゃがやってみようかな)
――などと香織が考えているときだった。
「
土間で大きな声がした。
四人で、思わず顔を見合わせる。
「誰だろう、こんな時間に」
「男の声だったな。こんな時間に香織に用とは、けしからん!」
小英と耀藍が立ち上がる。香織もいっしょに立った。
(でもほんとに、こんな時間にあたしを訪ねてくる人なんて、誰かしら?)
まったく心当たりがない。
土間には、三人の男が立っていた。
皆、黒づくめの袖のない上衣と先すぼまりの下衣姿で、筋骨隆々としている。浅黒い顔の中、白い眼がぎょろりと香織たちを見た。
「どっちが
小英と耀藍が顔を見合わせる。二人を押しのけて、香織は前に出た。
「わたしが香織です」
「吉兆楼の
「え、今? 今は食事中だよ」
「ガキは黙ってな」
言い返そうとした小英を、耀藍が後方にかばう。その顔には、先刻までの和やかさは無い。
「胡蝶は、訳もなくこんな時間に人を呼びつける人物ではない。どういう用件かくらい、申してもよかろう」
耀藍が言うと、けっ、と吐き捨てるように男が言った。
「胡蝶様を呼び捨てかい。何者か知らんが、キレイな兄ちゃんは黙っててくれよ。これは吉兆楼の沽券にかかわる話だからな」
男たちの声には、凄みがある。
「あの、どうして胡蝶様は、わたしを?」
男たちは顔を見合わせて、せせら笑った。
「とぼけるのかよ」
「ごめんなさい、ほんとうにわたし……」
男の一人が持っている棍棒で土間をがつん、と突いた。
「あんたが作った酢の物のことで、客から文句が出まくってんだ! こんなことは吉兆楼始まって以来なかったことなんだぜ!」
「そうだ! おまえ、吉兆楼の評判を落とすためにどこぞの妓楼から送りこまれてきた
香織は頭が真っ白になった。
(酢の物……? わたし、作ってない)
下ごしらえはもちろん、やった。味付けは辛好がするので、香織はきゅうりとワカメを和えるだけでいいように揃えただけだ。
「とにかく申し開きは胡蝶様の前でしてもらおうか」
「おう、早く支度しろや」
「
不安げに見上げる
「大丈夫よ。
「ウソだよね、香織の作ったものに文句を言われたなんて」
「そうね……とにかく、何があったか確かめてくるわ。心配しないで。わたしは、何も悪いことはしていないからね」
「うん。俺、香織を信じてるよ」
居間へ戻ると、華老師が頷いた。
「話は聞いておったよ。わしらのことは気にせず、行ってきなさい」
「はい。あの……すみません。なんだか大変なことに」
「ふぉっふぉっふぉ、なんの。どうってことないわい。それより、カラクリを突きとめてくるんじゃぞ。おそらく、そなたへの嫌がらせじゃと思われるからの」
「はい……」
(嫌がらせ……いったい、誰が)
「オレも行く」
「耀藍様……」
耀藍様はいいですよ! まだ食事中じゃないですか!
と言おうとして、言葉が出てこない。
足が震えていた。誰かがいっしょにいてくれたら、どんなに心強いだろう。
「おうおう兄ちゃん、こりゃは花街の裏方の話だぜ。兄ちゃんみたいなひょろひょろのキレイどころが来たって、何の役にも――」
男の一人が、棍棒で土間を乱暴に突いてがなり声を上げていた、その刹那。
耀藍が少し動いた。
と思ったら、男の隣に、いつの間にか立っている。
耀藍の手刀が、棍棒の真ん中に当たっていた。
「なっ……」
からん、と音をたてて、棍棒は真っ二つになって土間に転がる。
「……人の家を傷付けるようなことはやめてもらおう。それこそ吉兆楼の沽券に関わるぞ」
「ひっ」
男たちは、真っ二つに割れた棍棒を見て真っ青になっている。
「早く案内しろ。オレは、食事を邪魔されて気分が悪い」
「は、はははいっ!!」
男たちはあわてて先に立って歩き出した。
「そうですよね、耀藍様が食事を中断するなんて我慢ならないですよね……やっぱり、華老師たちと食事の続きを」
「うるさい。早く事実を確かめて帰るぞ」
耀藍が不機嫌気に言う。
「だいたい、香織がそんなことをするわけがないだろう! 意味がわからん! ふざけたことをした奴の顔を見るまで、食事の美味さが半減になってしまうではないかっ!」
ちょっとズレた、けれど耀藍らしい理屈に、香織は思わず笑った。
(耀藍様……)
たとえ耀藍が、スパイ嫌疑のかかった香織の見張りなのだとしても。
いつも隣にいる端整な長身を、自分は頼りにしているのだ――。
そのことにはっきりと、香織は気が付いた。
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