第五十五話 吉兆楼の厨騒動➀



「おい、この酢の物、なんかおかしくないか?」


 客からそう言われたのは、開店直後に客を座敷に通した下っ端の妓女だ。


「あ、あら申しわけありません。もう一度お作りしますね」

 愛想笑いでその場を取り繕い、くりやに向かいつつ首を傾げる。

「こんなこと言われたこと、なかったけどなあ」


 吉兆楼の料理は妓女と同じくたいへん評判がよく、妓女自身も吉兆楼の料理は最高だと思っていた。まかない飯も美味しい。料理人の辛好しんこうは性格的にちょっとアレだが、料理に関しては文句のつけようがなかった。


 気になった妓女は、下げようとしていた器をじっと見る。

(一口、箸を付けていただけだもの。平気よね)

 器の端っこをちょっとだけつまんで、口に入れる。

 とたんに妓女は、盛大にむせた。

「なっ、なにこれ……こんなの食べられない!」

 妓女は顔をしかめた。





辛好しんこう! これはどういうことなの」

 衣装の裾を持ち、胡蝶こちょうが珍しく速足でやってきた。



 開店して間もなく、あちこちの座敷から「お通しの酢の物がおかしい」と客からの苦情が上がっているのだ。


「今、直してるよ」

 辛好は落ち着いた様子で、しかし手は作業台の上を忙しく動いている。



「直してる? ということは、この後は大丈夫そうかしら?」

「ああ。もう少し、漬けておきたいが」



 大量の酢の物を入れた盥の上に、薄茶色をした砂糖がまんべんなくまぶしてある。



「さっき、味を見た。作った直後に味見したときとは、別物になっていた。誰かが大量の酢を、ここに混ぜたらしい」

「なんですって?!」

「すまん!」


 突然、頭を下げた辛好に、胡蝶は目を丸くした。


「ちょ、ちょっと辛好さん、どうしたの?」

「あたしは……ここを留守にしたんだ」

「なんですって?」

「その間、ここはあの小娘に任せていた。それでこんなことになった。これは、あたしの責任だ」

「ちょっと待って……ここには、香織が一人だったってこと?」

「夕方、あたしが帰るまでここを守っておくように言っておいた。かわやにも行ってないだろうよ」

「そう……」


 胡蝶は、少し考えるようにとがった顎に手をそえる。

 花のような美しいかんばせには、何の表情も見えない。

 こういうときの胡蝶は、少なからず怒っている――辛好は長年の付き合いで、それがわかっていた。


香織こうしょくに話を聞かないとね」

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