第五十二話 初・お弁当配達



 今日も食堂が大繁盛に終わり、片付けを終えると、耀藍ようらんが起きてきた。


「ん? 近所の人々の声がしていたような気がするが、皆はどうしたのだ?」

「もう食べ終わって、みんな帰りましたよ。耀藍様、もうずいぶん日が高くなってますよ。寝すぎです」


 香織こうしょくは呆れつつも、耀藍と自分用にとっておいたお惣菜を卓に並べる。


「いただきます! んー、今日も美味そうだな。お、今日は卵焼きに青菜が入っているのか!」


 耀藍はうれしそうに箸を取る。


(よく寝てよく食べて……ほんと、子どもみたいな人だな)

 香織はふふふと笑んで、自分も箸を取る。


「すみませんが、ちょっと急ぎめで食べましょう。今日は羊剛ようごうさんにお弁当を届けるんで、少し早く出たいんです」

「おお、そうだったな。塩屋に弁当を届けるんだったな。しかし、吉兆楼に行く前に市場に寄るとは、ちょっと遠回りだな」


 たしかにそうだ。耀藍まで付き合わせることはない、と香織は思った。


「そうだ! 耀藍様は、先に花街へ行ってていいですよ。私、ちゃんと道覚えてますし。そうだ、そうしましょ――」

「だ、ダメだ! 男と二人きりになるなど危険すぎる!」

「へ?」


 香織がきょとん、と目をまるくすると、耀藍は白飯と佃煮和えをかっこみながらもそもそと言った。


「と、とにかくだなっ、オレも一緒に行くから!」

「いえいえそんな、無理しなくても――」

「無理じゃない! 香織はオレが守るんだ!」


 一拍の間。


「…………」

(耀藍様、その発言は……リアクションに困りますーっ)

 面と向かって「守る」と言われ、香織は顔がカーっと熱くなる。

(ぜったい顔真っ赤になってるよね……恥ずかしい……)



 香織こうしょくの様子に耀藍ようらんもハッとして、白皙はくせきの顔に朱が差す。



「そ、そのっ、ほらっ、オレは香織の見張り役だから! 守るのも仕事のうちだろう?!」

「は、はい、まあ……」

「だからだ! いっしょに行くからな!」




 そんなわけで、香織と耀藍は食べ終わると市場へ足を向けた。



 塩屋の前で、大きな熊のような巨体が、塩の麻袋を店内に担ぎ入れているところだった。ほんとうに一人でやっているようだ。


「こんにちは」

 香織が声を掛けると、羊剛は手拭で汗をふきながら顔を上げた。

「おう、きのうの! なんて言ったか……そう、香織こうしょくだ!」

「お仕事中すみません」


 香織は、竹の皮で包んだおにぎりを羊剛に渡した。


「へえ、洒落たことするじゃねえか。こりゃあ竹の皮かい」

「はい。中に、おにぎりと卵焼きが入ってます。手で食べられるので、お仕事の合間に気軽にどうぞ。あ、でも食べる前にちゃんと手を洗ってくださいね」

「へえ、手で食べられるってのはいいな! それに卵焼きは好物だぜ! オニギリってのは……なんだい、そりゃあ」

「白飯をこう、かたまりにした物でな。とても美味なのだ」


 香織こうしょくの隣にぴったり張りついている耀藍ようらんが、得意げに胸を反らす。


「白飯のかたまり? 美味いのかね、そんなもん」

「そんなもんとはなんだ! 食べて驚きだぞ! おにぎりを食べなくては人生半分は損するぞ!」

「お、おう、わかったけどよ……兄ちゃん、なんなんだい。香織の男かい?」


 瞬間、香織と耀藍が真っ赤になるのを見て(なんだ図星かよ。ノロケかよ)と羊剛は思ったのだが。


「そ、そそそそそそんなわけないだろうっ! なにを言っているんだそなたは!!」

「そんなに動揺しなくても……」


 羊剛が迫る端整な顔をじいっと見返す。


「うーん、ていうかよ。兄ちゃん、さっきからなんか見覚えあんだよな。どっかで会ったことねえか?」

「ま、まさか! そ、そなたとは初対面だ!」

「ふうん。ま、そうさな。この塩商人の羊剛、兄ちゃんみたいなキレイどころ、面識あったら覚えてるわな」


 羊剛はがははと笑い、綺麗な麻紙の包みを香織に渡す。

 香織が胡蝶からもらった、給金袋だ。


「おう香織、これは返すぜ」

「ありがとうございます!」

「はは、礼には及ばねえよ。おめえは潔いし、約束は守るし、今どき気持ちのいい奴だ。俺っちは契約した家や店や気に入った御仁にしか塩を売らねえんだが、おまえならまたここへ塩を買いにきてもいいぜ」

「ほんとですか?!」


 香織はうれしかった。保存の意味でもお値段の意味でも、半斤で売ってもらえるのは助かる。


「おう。この弁当がうまかったら、また頼んでやってもいいしな」

「はい! よかったら、また作りますよ!」


(お弁当も、久しぶりに作ったら、楽しかったし)


 どうやっておにぎりを詰めようか、とか、卵焼きはどんな形に切ったら食べやすいか、とか、あれこれ考えながらお弁当を用意するのは楽しかった。

(前世では、もうとっくの昔にそんな楽しさ、忘れちゃっていたからな……)

 無言でお弁当箱をひったくるように出かけ、帰宅しても何の感想も言わない夫への弁当作りは、いつしか機械的なものになっていった。



(そういえば、あの人、お弁当どうしているかしら……)

 異世界の青空を見上げて、香織はふとそんなことを思った。






――香織たちが去ってから、半刻後。


「なっ、なんじゃこりゃあ……うめえ! また食いてえ! いや、食わせてください!!」


 羊剛は、香織に上から目線で言ったことを後悔したのだった。



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