第五十三話 寧寧と梅林



「こんにちはー……って、きゃあ!」

 香織こうしょくは思わず叫んだ。


 香織は耀藍ようらんが甘味屋へいくのを見送り、いつも通り吉兆楼の玄関広間に入っていった――のだが、入ったとたんに上から何かが降ってきた。



「な、なにこれ……え、蛙?!」


 首の後ろにぼたぼたと落ちてきたのは、数匹の蛙だ。鮮やかな黄緑色をしている。


「ああーらだいじょうぶ?」

「この辺りは、けっこう蛙がいるのよぉ。気を付けてねえ」


 二人の妓女が、階段の上からニヤニヤと笑いながら下りてきた。


「あたし、寧寧ねいねいっていうの」

「あたしは梅林ばいりんよぉ」


 二人とも二十歳前後くらいだろうか。

 杏々しんしんのように赤い髪や翡翠の瞳ではないが、豊満な胸元に女性でも思わず目がいってしまう、セクシー系の美人だ。

「あ、はい、わたし、厨で辛好しんこうさんのお手伝いをしています、香織といいます。よろしくお願いします!」

 初対面なので、とりあえずあわてて挨拶をする。


(ブラジャーがこの異世界にあったら、たぶんFカップとかだわね……いや、Gはいってるかしら)

 などと香織が見惚れている間にも蛙はゲコゲコと鳴きながら香織の首回りに張りついている。



「きゃはは、蛙、動いてるじゃなあい」

「取ってあげましょうか?」

 手を伸ばそうとした寧寧の手を、思わず香織は払いのけた。

「痛いわねっ、なにすんのよっ」

「ダメですっ、直接触らない方がいいですよ!」


 香織は手を伸ばし、首回りをうろついている蛙たちをそっと手で取ると、外へ次々と放してやった。


「たぶん、アマガエルでしょう。でも、アマガエルでも身体の表面に触るとかぶれるんです。だから素手で触っちゃダメだめですよ」

「言い訳がましいわねっ、あんた自分で触ったじゃないのっ!」

「あ、わたしは慣れてるんで」


 智樹ともきは小さい頃、生き物が大好きだった。大きい公園へよく虫や蛙を捕まえに行ったので、香織は虫や蛙を触るのは慣れっこになってしまったのだ。


「だからぜんぜん平気……って、やだ、かぶれてきてる?!」


 前世ではアマガエルでかぶれることなどなかったのだが。

(そうだった、今の身体は16歳異国風の美少女なんだった!)


 白いてのひらに、赤いぷつぷつが出てきている。


「早く洗わなきゃ! あの、ありがとうございました! 失礼します!」

「あっ、ちょっとあんた待ちなさいよ!」


 寧寧ねいねい梅林ばいりんが止める間もなく、香織こうしょくは厨のある中庭へ走っていってしまった。



「――くそっ、計画失敗じゃない」

 寧寧はいまいまし気に、懐紙で手指の先をぬぐった。

 蛙と取るフリをして、香織の顔や首に墨を塗りたくってやろうと思っていたのだ。


「ふん、杏々しんしん姐さんが気に入らないのもわかるわあ。あの子、あたしたちがこの吉兆楼の看板娘、三姫のうちの二人だってわかってなかったわよねえ。あのすっとぼけた世間知らずな感じが姐さんを苛立たせるんだわぁ。このあたしたちを見てひれ伏さない小娘なんて、久しぶりに見るものぉ」

 梅林はおっとりした口調とは裏腹に、怒りで大きな目をぎらつかせ、肉感的な口の端を上げた。

「それに、異国風の美は今まで、杏々姐さんの十八番おはこだったのに、あの小娘がいたら杏々姐さんも霞んじゃいそうだものねえ」


 寧寧は、蛙がちゃんと外へ出ていったかどうかを確認しつつ、店の扉をきちんと閉めて梅林を振り返った。

「ていうか、どうすんのよ。失敗したとか言ったら、杏々姐さんに叱られるよっ」

 焦る寧寧に、梅林は妖艶に微笑む。

「だいじょうぶよぉ、まぁだ始まったばかりじゃない。計画その二にうつりましょぉ」



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