第四十六話 はじめてのおつかい
店に入ると、厳めしい顔をした
「お嬢ちゃん、もうそろそろ店は終いだ。ここには塩しかねえんだ。ひやかしなら、よそへ行きな」
ぎょろりとした目で、じろり、と睨まれる。
「す、すみません」
普通の若い娘なら、これで回れ右して店を出るのだろうが、中身が主婦歴15年の香織はひるまない。
「あの、塩を買いたいんです。今は一斤、おいくらなんですか?」
「はっ、今朝ちょうど、王城からお達しがあってな。また値上がったぞ。芭帝国との国境にある峠で、タタル族と芭帝国軍の小競り合いがあっただけで、200も上がりやがった。一斤、2800プアルだ」
「2800プアル……」
(耀藍様、情報が早い!)
スマホもテレビもないこの世界で、どうやって情報を仕入れているのだろう。
(そういえば、耀藍様って特別な宮廷術師なんだものね。だからかしら……)
その耀藍の姿が見えず、香織はきょろきょろと周囲を見る。
ふりむけば、店の入り口から、不審者のようにちらちらとこちらをうかがう耀藍の姿が見えたが、香織と目が合うとサッと隠れてしまった。
(な、なんで……??)
できれば、耀藍がいた方が心強いが出てくる気配がない。
仕方なく香織は髭面の主人に言った。
「あの、できれば、半斤で売っていただきたいんですが……」
香織の所持金は三万プアル、一斤2800プアルの塩を買えないわけではないが、今は値上がったばかりだという。
(原因が紛争なら、もうすぐ値下がる可能性もあるものね)
昔、まだ小さかった結衣といっしょに『あつもり』というゲームをやっていたときのことを思い出したのだ。
物の値段は、けっこうちょっとしたことで変動する。高い時は買い控えたほうがいい。
(もしかしたら、また値上がりするかもだけど、ひとまず少ない量を買って様子を見るべきよね)
「馬鹿言っちゃいけねえよ、お嬢ちゃん。一斤からだ」
「そこをなんとか!」
「だめだめ。他の塩屋に行きな。ま、同じこったろうがな」
ふん、と小馬鹿にしたように髭面の主人が笑ったとき、
ぐううぅううううう
空虚な音が、二人しかいない店に響いた。
「う……」
髭面の主人は、外見に似合わず真っ赤になっている。
「し、しょうがねえだろうっ。この物価高で店の者もクビにしちまったから、一人で店番してんだ、飯食うヒマなんかねえんだよっ。昼からなんも食ってねえんだ、腹が減って当然だろうっ。わかったら馬鹿なこと言ってねえで、もう帰れ帰れ!」
「……明日のお弁当じゃ、ダメですか?」
「なに?」
「明日、ご主人にお弁当、届けます。だから、半斤で塩を売っていただけないでしょうか?」
(おねがいっ……)
香織は手を合わせて、頭を下げる。
(やっぱり、ダメかな……)
何も言わない髭面をおそるおそる見上げる。
「それ、ほんとうか」
「え?」
「弁当だよ。持ってきてくれんのか、明日」
「は、はいっ。もちろんですっ」
髭面は一瞬考えて、うなずいた。
「わかった。今回だけだぞ。それから、本当にちゃんと持ってこいよ、弁当」
「え……は、はい!!」
(やったあ! 交渉成立!)
飛び上がりたい気持ちだ。
グローブのような手で半斤にした塩の袋を、主人が香織に渡す。
「なんか、担保になる物は持ってるか?」
香織は身体のあちこちに手をあてるが、担保になりそうな物がない。
仕方なく、胡蝶にもらった給金の包みを差し出した。
「これを、ここに置いていくので、これでなんとか……」
髭面の男は、包みを見て目を丸くする。
「こりゃあ、最高級の麻紙じゃねえか。しかも、三万プアルも入ってるぜ。いいのかい、こんな物置いていって」
「はい。必ず明日、取りにきます」
「おう、潔いのは好きだぜ。おめえ、何て名だ」
「
「香織か。俺っちは、
「はい! 半斤で売ってくださって、ありがとうございました!」
香織はすがすがしい気持ちで、店を出た。
♢
「よくやったぞ香織!」
店を出るなり、耀藍が両手を広げて香織をむかえた。
「?! ちょ、ちょっとちょっと耀藍様?!」
そのままぎゅううう、と抱きしめられ、香織は混乱する。わしわしを頭をなでられ、思考が止まる。
「香織がちゃんと買い物できるか、心配で心配で……」
「は?!」
(お母さん?! お母さんなの?! どんな方向の心配よ!)
「見事な交渉までして、香織はすごいな! あの髭面の男が香織を襲ったらすぐにでも飛び出そうと身構えていたのだが、必要もなかったしな! 」
(……今度はお父さん??)
「あの、耀藍様ってたしか、わたしがスパイ活動しないために見張っているんでしたよね……?」
「すぱい……? よくわからんが、オレはちゃんと香織を見張っているぞ!姉上にも、ちゃんと報告を入れているしな!」
そんなこと自慢されても……。
「とにかく、よくぞ見事に一人で買い物ができたな!」
耀藍は満足げに香織の手を握って、歩きはじめる。
「そういえば、こんなテレビ番組、前に見たことがあったような……」
「ん? なんだ?」
「いえっ、なんでもないです」
たしか、まだ小学校にも入っていないくらいの子が、近所におつかいに行く様子をテレビカメラが追っていくあの番組は――。
「そうだ! はじめてのおつかい!」
「うむ、そうだな。まさに初めてのおつかい、よくできたぞ!」
耀藍は再びわしわしと香織の頭をめちゃくちゃに撫でる。
(わたしは犬ですか……)
耀藍の中で、香織は小さい子か犬と同じなのかもしれない。
(明日、ちゃんと塩屋さんに、お弁当と届けようっと)
香織はルンルンした気持ちで半斤にしてもらった塩の袋を抱きしめて、夜の建安の喧噪を心地よく歩いた。
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