第四十五話 手をつないで、市場へ!


 夕方。


「ふう、今日も疲れた……」

 吉兆楼の厨を出てきた香織は、口ではそう言いつつも足どりは軽い。


 懐に入れた、綺麗な紙の包みにそっと手を当てる。


「異世界で、初めてお給金、もらっちゃったもんね!」


 何に使おう……とワクワク考える。


「まずは華老師宅の厨から拝借した、塩やら味噌やらの調味料よね。あ、でも塩って高いんだったっけ。ていうかそもそも、調味料とか塩とか、いくらくらいするのかしら」


 包みをそっと、開いてみる。中にはお札が三枚入っている。

 偉人らしき肖像画と、こちらの文字で「プアル」と印刷されている。

「前世でいったら、三万円くらいってことかしら……」


 そうだとして、これでどれくらいの品が買えるのか、想像もつかない。



「そういえばわたし、この世界の値段感がぜんぜんわからないわ!」

「市場に行けばよいではないか」

 甘味屋で持参のおにぎりをたいらげ、さらにみたらし団子をほおばっていた耀藍が言った。



「おおそうだ。帰りながら、市場をのぞくか」

「え? あ、ちょっと耀藍様!」


 花街の門を出て、耀藍はいつもと逆の方向へ歩き出す。

 逆方向とは、北側、つまり王城や役所、貴族の邸宅が立ち並ぶエリアであり、香織は蔡家へ一回行ったきり、足を運んだことはなかった。


「ダメですよ、もう帰らないと! お夕飯の支度がありますし」

「いいではないか。ちょっとのぞくだけだ。物の値段を確かめられればいいのだろう?」

「まあ、そうですけど……」

「だいたい、香織は働きづめではないか。今行かなかったら、いつ行けるのだ?」

「う、た、たしかに……でもお夕飯のしたく……」

「まったく、香織は真面目だな。そういうところも、オレのお気に入りだけどな」

「は?」


 言ったとたん、耀藍が、香織の手をぐい、と引っぱった。


「よ、耀藍様?!」

「ここから先は、建安の繁華街だ。人が多いゆえ、手をつないでもよいか?」

「は、はいっ」

(つなぐ前に聞いてほしかった……)

 つながれては、イヤですというわけにもいかない。

 こんなイケメンに手を取られていては、イヤでも往来の視線を、とくに女性の鋭い視線を感じるが、もうどうしようもない。

「よし、オレから手を離すなよ」


 そう言って、耀藍は香織の手を引いて歩き始める。


(耀藍様の手、大きくて温かい……)


 もう長いこと、子どもの手より大きい手を握ったことがない香織は、耀藍の手の大きさと温かさに全身を包まれるような気がして、ドキドキしてしまう。


(な、なに考えてるのわたし! これは物価を見るための社会勉強なんだから!)


 香織は気合を入れ直して、人通りの多くなっていく夕暮れの都大路を耀藍と並んで歩いていった。





「市場といえば、週ごとに開かれる大市が品は多い。が、建安の物価を見るためだけなら、この繁華街に並ぶ店をとりあえず見ればいい」

「うわあ……」


 建安の都の、中心部。

 

 夜のとばりが下りかけている建安の町は、花街に負けず劣らず、鮮やかな灯が店の軒先に灯って、明るい。

 通りには露店も出ていて人通りが多く、とても賑やかだ。


「ところで香織は、どんな物を見たいんだ?」

「そうですね……まずは、調味料でしょ。それから、もちろん、野菜とかお肉とか、食堂で使える食材ですかね」

「ふむ。なるほど。では、この通りを右に曲がって」


 耀藍についていくと、そこは食べ物を扱う店がたくさん並ぶ通りのようで、野菜や肉などはもうほとんど売り切れていたが、味噌や砂糖、酢、みりんなどの調味料は並んでいる。


「へえ、味噌って値段にばらつきがあるんだ。あっ、お砂糖って、けっこう高いのね……」

 そんなことをつぶやきつつ店をのぞいて歩くと、店の前に荷車が置いてある大きな店が目に入った。


「あれは塩屋だ」

「塩屋?」

「塩だけを扱う店だ。塩は特殊だから、王城より許可を得た商人だけが売ることができる。米と同じだな。それだけを売る店なのだ」

「つまり、お値段が、他のお店と変わらないってことですよね? 例えば今、味噌とかお砂糖を見てきたけど、お値段がお店によってちょっとずつ違っていましたよね?」

「うむ、よく見ていたな。さすがは香織、その通りだ。味噌や砂糖やみりんや酢は、産地によって、または主原材料によって少しずつ異なる。人々は家庭の好みや経済状況で選んでいるようだぞ」

「へえ……耀藍様、詳しいんですね」

「これでも一応、将来王城に仕える身だからな。一般常識くらいは身に付けているつもりだ」


 耀藍は得意げに胸を張る。


「しかし、塩はそういうわけにはいかない。塩の値段は宮廷会議で決まる。商人には決められないから、どの店でも値段は同じだ」

「ちなみに……いくらくらいなんですか?」

「うむ。今はたしか、一斤で2800プアルほどだったと思う」

「ええっ!?」


 こちらの通貨単位はプアルというらしく、さきほどから見ているかぎり、さまざまな調味料は「~斤」という単位で売られている。調味料の中でいちばん高い砂糖が、一斤500プアルほど。

 いかに塩が高価かわかる。


「それなのに、華老師は快く塩を使わせてくれたわ……よし。決めたわ。わたし今、塩だけでも買っていくわ」

「え、おい、香織!」


 ごくりと唾を飲んで、手のひらにお給金の包みを握りしめ、香織は白い暖簾をくぐった。


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