第四十七話 サッと作れる夕飯を
「遅くなって申しわけありません!」
華老師宅の庭へ入ると、米の炊けるいい匂いが土間の小窓から漂ってきた。
「おお、帰ったか。耀藍がいるので滅多なことはないと思ったがな、耀藍が香織を襲う可能性に気付いてな。もう少し遅かったら、近所の若い者たちに捜してもらおうと思っとったところじゃ」
「な、なにを失礼なことを言う! オレはちゃんと香織の初めてのおつかいを見守っていたのだぞ!」
「初めてのおつかい?」
「あの、これ」
香織は、そっと塩の包みを差し出した。
「老師のお宅の塩をたくさん使わせてもらって、ありがとうございました。今日、お給金が出たので、耀藍様にお店へ連れていってもらって、少しですが買ってきたんです」
「香織……」
「他の調味料も、これから買い足して、お返ししますね。あの――」
がしっ、と華老師が香織の肩をつかんだ。
「そなたという娘は……」
「老師様?」
シワに埋もれた華老師の目尻に、きらりと光るものが見えたのは気のせいだろうか?
「礼を言うぞ、香織。ああ、そなたの作った夕飯が、今日も食べたいのう」
「もちろん! すぐに作りますからね! あ、時間がないから、今日はサッとできるものになっちゃいますけど」
「かまわんよ。これ耀藍、そなたも何か手伝え」
「むう、よろづのことは慣れている者に頼むのが最も良いのだ。役割分担というやつだ。皆の得意分野で助け合いというやつだな」
「ほう? そなたの役に立つ得意分野とは、なんじゃ?」
「む、むう……それは……もういいではないか老師! とっとと薬草を引かねば、明日の薬ができぬであろう!」
わーわー言いながら居間へ行く二人をくすっと笑い、香織は火の加減を見ている小英のそばへ寄った。
「あ、香織、おかえり!」
「ごめんね小英、お米、炊いてくれてありがとう! すぐに代わるから」
香織はそでにたすきをかけつつ、手を洗う。
「え、いいよ香織。疲れてるだろ。今日は俺が夕飯作るから」
心配そうに小英は顔を上げる。
(かわいいなあ、もう)
心から香織を思いやっていてくれるのが伝わってくる表情に、胸がきゅんきゅんしてしまう。
「きのう言ったでしょ。小英のご飯、あたしがずっと作るねって」
小英はうれしそうに目を輝かせる。
「ほんと?」
「もちろん。今日はどんな食材があるの?」
小英は厨の隅の籠から、大きなキャベツを持ってきた。
「往診で、玉菜をもらったんだ。うまく切れるか自信なかったから、香織が帰ってきてくれて助かったよー」
(キャベツのこと、玉菜っていうんだ)
丸く、見事に大きいキャベツは、青々としていて少し泥が付いていて、とても新鮮そうだ。
「あと、明梓が持ってきてくれた青菜の残りと、豆腐と……あっ、今日は油揚げもあるんだ。それと、鶏の干し肉をもらったよ」
「へえ、すごい。これ、鶏肉なの?」
胸肉だろうか。塊をスライスしたような形で、鍋で炙ればすぐに食べられそうだ。
「よし。決めた。今日の献立は……」
油揚げとたっぷり青菜の味噌汁 鶏干し肉とネギの醤油炒め 玉菜(キャベツ)の塩もみ佃煮昆布和え
(これなら、15分もあれば作れるから、みんなを待たせずにすむわ)
どんなごちそうよりも、スピーディーに出てきた素朴なゴハンの方が、美味しく感じるときがある。
お腹が空いているときは、特に。
「小英、もうお膳立てしてだいじょうぶよ。ご飯も、もう炊けるんだよね?」
「え? うん、炊けるけど、今から作るのに、時間だいじょうぶ?」
「お腹空いてるでしょ? すぐに作っちゃうから、まかせてちょうだい!」
「ほんと? やったあ!」
うれしそうにお皿を出している小英の姿に、香織は疲れも吹き飛んで味噌汁の湯を沸かしはじめる。
お腹を空かせた家族を満たしてあげたい、たとえ、喜んでもらえなくても――。
その一心でキッチンに立ち続けた経験が、今、ちゃんと生きている。
香織を、周囲を、笑顔にしている。
(前世でがんばって、よかったな……)
香織は鼻歌まじりに、青々としたキャベツに包丁を入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます