第四十話 おにぎり二種(佃煮、ネギ味噌)と出汁巻きたまご
朝食を食べながら、華老師が言った。
「
「うん、おにぎり、なんて、変わった名前だよな」
「確かにな。だが、なにやら美味しそうだぞ。白米をこう、握ったものだそうだ」
「ええっ、これを握るって、どういうことだ?」
小英は、お茶碗の中の白米をしげしげと見つめる。
香織は、昨夜の残りの青菜のおひたしを
「お茶碗で食べるときは、こうやって、お惣菜を上にのせて、ご飯と一緒に口に運びますよね。おにぎりは、上にのっているおそうざいを包むようにして、白米をにぎった食べ物なんです」
へえー、と三人は不思議そうに頷く。
すると、華老師が「それなら」と言った。
「食べやすい形状じゃな。ぜひ、食堂で出したらどうじゃ?」
「ええ!?」
たしかに、食堂で出すにはピッタリな形状だが。
「駄目かのう」
「い、いえ……調味料ならまだしも、華老師の家のお米を大量に使うなんて、できません!」
香織が言うと、華老師はふぉっふぉっふぉと笑う。
「これは耀藍が持ちこんだ米じゃ。遠慮なく使ったらいいんじゃないのか? のう、耀藍」
「香織が作る美味しい物を他の者にもは食べさせたくないと言う気持ちと、こんなに美味い物があるのだ! と他の者に言いたい気持ちがせめぎ合っているんだが……」
神妙な顔で腕組みする耀藍を、華老師が軽く小突く。
「ほれ、持ってきた本人もこう言っておる。食堂で出すがよい。皆、喜ぶじゃろうて」
「俺も帰ってから食べるの、楽しみにしてるよ!」
そんなわけで、花街で耀藍がぶっ倒れないようにするためのおにぎりは、食堂でも出すことになった。
♢
ということで、華老師と小英が往診に出かけてから、香織はさっそく米を炊き始めた。
二つある土鍋を二回ずつ稼働させ、十二合の米が炊ける。
「子どもたちにも食べやすい大きさにすれば、けっこうたくさんできるかも」
異世界の人たちにおにぎりが受けれらるかわからない。
とりあえず、食べきれるくらいの量で試してみようと思う。
具には、作ってあった佃煮と、米を炊いている間に作っておいたネギ味噌だ。
ネギ味噌は、これも前世、香織がよく作っていたレシピで、ネギと、味噌と、砂糖少な目のみりん多め……なのだが、みりんがないため、砂糖を多くして酒をちょっとだけ多めに入れておく。
「今日は、佃煮とネギ味噌に甘味があるから、出汁巻きたまごにしようっと」
先日、耀藍がこれまた蔡家から持参した卵がまだたくさんある。
「たくさん卵が使えるんだから、ダイナミックにケーキ型にしようかな」
鍋の形そのままに、大きな円に整えた出汁巻きたまごを、五つ作った。
出汁巻きたまごを冷ましている間に、こちらも適度に冷ましておいた白米を握り始める。白米はあまり冷ますと、おにぎりが美味しくなくなる。適度に冷ます、このタイミングが重要だ。
きれいにしたまな板に、塩、細かく刻んだ佃煮、ネギ味噌を並べ、順番に取りながら握っていく。
一個につき二十五回、リズミカルに握る。これが香織流だ。
握ったおにぎりは、二つ用意した大き目のザルに佃煮、ネギ味噌、と分けて並べていく。
「――おにぎり完成! ひい、ふう、みい……四十個できたわね。初めて食べてもらうには、ちょうどいいかな? これで海苔があれば、最高なんだけどな……」
四十個ものおにぎりに華老師宅の家にある海苔を使ったら、無くなってしまう上に足りないし、そもそも申しわけなくてそんなことはできない。
「海苔があれば完成なのか?」
「ひゃあ?!」
気が付けば、耀藍の整った顔がじいっとおにぎりに見入っている。
「ちょ、ちょっと耀藍様! まだですよ! まだ食べないでくださいねっ」
「むう、海苔を持ってきたら食べさせてくれるか?」
「えっ、う、それは……」
「くれるんだな? よし!」
耀藍は普段のおっとりとした動きからは想像もつかない素早さで外に走り出る。
「あっ、ちょっと耀藍様!」
香織が外をのぞいた時には、耀藍の姿はもうなかった。
耀藍が瞬間移動に使う、あの謎の札が、宙に舞って消えていくところだ。
「うう、蔡家に頼るのも何かちがう気がするんだけど……くれる物はありがたくいただいて、みんなに食べてもらえばいっか!」
そう思い直して、香織は
「耀藍様が来る前に、出汁巻きたまごを切っておこうかな」
冷ましておいたホールケーキのような出汁巻きたまごを、八等分ずつにカットしていく。
その作業がちょうど終わったとき、
「香織! 海苔を持ってきたぞ!!」
「早っ。もう戻ったんですか?!」
「これでいいか?」
黒い束をいくつも抱えた耀藍を見て、香織は絶句する。
「い、いったい何帖?! 何帖持ってきたんですか?!」
「わからん。厨からテキトーに持ってきた」
テキトーにこれだけの量を持ってこれるなんて……つくづく、異世界の貴族の家ってすごい、と思う。
「と、とにかく……ありがたくいただきますね!」
海苔の束を受け取り、使わない分はとりあえず
「おおっ、そのように海苔を使うのか。面白いな!」
「こうすると、食べるときにお米が手にくっつかなくて便利だし、美味しいですよ」
そろりとザルに伸びてきた耀藍の手を、軽くぺしりと叩く。
「ダメです。全部終わるまで待っててくださいっ」
「ううっ……美味しそうな物が目の前にあるのにおあずけなんて……こういうのを生殺しというのではないのか?」
涙目になっている耀藍を無視して、ひたすらおにぎりに海苔を巻いていく。
具のちがいがわかるように、海苔の巻き方を「着物巻き」と「昔話巻き」に分ける。
ちなみに、「着物巻き」とはおにぎりに着物を着せるように巻くこと、「昔話巻き」は、昔話に出てくる挿絵のおにぎりのアレだ。前世、香織は、そう呼んで分けていた。
「できた!」
『おにぎり二種(具は佃煮とネギ味噌)、出汁巻きたまご』
おにぎりと出汁巻きたまごをお皿に乗せて、厨の隅でいじけている耀藍に差し出す。
「お待たせしました、耀藍様。おにぎりは花街に持って行く分もあるから、今はこれだけですよ?」
「……食べていいのか?」
香織が頷くと、目を輝かせて耀藍はお皿を受けとり、土間の上がり
「うまい!! おにぎり、美味いぞ!!」
「耀藍様、手、ちゃんと洗ってますか?」
「うむ、もちろんだ。食べる前は手を洗えと、幼き頃より口うるさく言われてきたからな!」
「なら、おにぎりは手で食べて大丈夫ですよ」
「そうなのか?」
耀藍がおっかなびっくり、手でおにぎりをつまんだとき、
「こんにちは香織……って、耀藍様、何を食べてるんだ?」
おにぎりを手でつまんでいる耀藍を見て、勇史は目を丸くする。横にいる妹の
「ようらんさま、手で食べてる。おぎょうぎわるい」
「あはは、ちがうのよ鈴々。これはおにぎり、って言って、手で食べていい食べ物なのよ」
「手で食べていいの?」
鈴々の顔がぱっと明るくなる。
「本当かよ?」
勇史も半信半疑な様子だ。
(この世界は、きっと手で食べ物を食べないのがマナーなのね。でもって、この子たちきっと、小さいからまだ箸がうまく使えないんだわ)
微笑ましい気持ちで、香織は大きく頷いた。
「そうよ。手で食べていいの。その代わり、よーく手を洗ってきてね」
勇史と鈴々は競うように手を洗いにいく。その間にも、
「こんにちはー!」
「おう、今日もいい匂いしてるなあ」
「おなかすいたー」
にぎやかな声と共に、続々とご近所さんがやってきた。
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