第三十八話 華老師宅の夕食風景


 今日の献立は、


 青菜のおひたし 大根の煮物 豆腐とネギの味噌汁


 そう決めて、準備を始める。

 ついでに、出汁を取ったあと保管しておいた昆布をまとめて、佃煮にするべく鍋でくつくつと煮る。


 煮物をしようと、ご近所さんから華老師への謝礼の大根をむいていると、「うわあ! 危ないですよ耀藍ようらん様!!」という小英しょうえいの大きな声が聞こえた。


「どうしたのかしら」


 香織は火の加減を見て、包丁の手を止めた。


「ていうか、危ない、って耀藍様が小英に言うならわかるけど」


 やんちゃ盛りの小英にほぼ大人の耀藍が注意される状況とは、いったいなんだろう。

 腰にさげた手拭で手を拭きつつ庭へ出て――香織は仰天した。


「なっ、なにしてんですか耀藍様!?」


 そこには、白銀の髪によく映える、上等な藍絹あいぎぬ深衣しんい姿の耀藍が、米俵を両肩に担いでニコニコと立っていた。


「え? なにって、オニギリって白米を使う料理なんだろう?」

「そ、それはそうですけど」

「だから実家から持ってきたのだ」

「そ、それはありがたいですけどっ! そんな細腰で米俵なんか担いだら、折れちゃいますよ!」


 きょとん、としている耀藍から、米俵を一つ受け取ろうとするが、耀藍にひょい、と避けられてしまった。


「なにを言う。香織こそ、そんな華奢な腕で米俵を担いだら折れるぞ。香織の腕が折れたら、香織の料理が食べられなくなるじゃないか」


 耀藍は軽々と米俵二つを担いで、土間の隅に置いた。

(耀藍様、け、けっこうたくましいわ……あの細い身体のどこに米俵二つ担ぐ怪力が……)


「どうした、騒がしいのう」

 居間から華老師が出てきて、顔をほころばせた。



「おおっ、耀藍よ、そなたもたまには気の利いたことをするのう。たくさんの米、ありがたい、ありがたい」

「香織が、オニギリなるものを作ってくれるというのでな」

「オニギリ? なんじゃ、そりゃ」

「白米を使った料理らしい。ほら、そこでいい匂いをたてている、その佃煮を入れてくれるのだそうだ」

「ほう」


 二人の会話の横で、香織はハッとする。


「鍋! 焦げちゃう!!」


『いい匂い』が『ん? なんだかこうばしい匂い?』になっていることに気付き、香織はあわてて火を加減した。







「いただきまーす」


 四人で、手を合わせて箸を取る。


「ん! 美味いなあ、やっぱり香織の味噌汁は」

 小英が豆腐を箸でつまむ。


「豆腐が、いい具合なんだよな。俺が作ると、なんか硬くなるんだよ。なあ香織、どうしてだと思う?」

「うーん……もしかして、お豆腐、早く入れてない?」

「えっ、どうしてわかったんだよ。俺、豆腐入れ忘れたり、落としたりするのがイヤで、いっつも先に入れるんだ」

「お豆腐は最後でいいと思うよ」


 味噌を解き入れる寸前。そのタイミングがいちばんいい。豆腐のちゅるん、とした風味が活きる。


「そうなんだ」


 小英はしきりに感心している。


「勉強になるな。俺も今度やってみる。って……」


 小英が急に箸を置いた。


「? どうしたの?」

「うん……俺、これかもずうっと、香織が作ったご飯が食べたいなあ、って……」


 小英は、顔を赤くしてもじもじと言った。

 その姿に、胸がきゅんとする。


(か、かわいい……っ)

 ママの作るごはんが美味しい! と智樹や結衣が言ってくれていた頃を思い出す。

 自分が必要とされている喜びをダイレクトに感じる瞬間で、母の特権だと思っていたけれど。

(子どもじゃない誰かに言われても、こんなにうれしいものなんだ……)


 香織はじーんとして、うんうんとうなずいた。


「もちろん、わたしで良ければずっとご飯作るよ!」

「ほ、ほんと?」

「うん!」


 小英の顔がうれしそうに破顔する。


「うん、そうだな。オレもずっと、香織が作ったご飯がいいぞ」

 すかさず横から、耀藍がずいっと身を乘りだす。

「そなたは家に帰ってメシを食え。なんで毎日ここで食っとるんじゃ」

「いいではないか。食材も持ってきているぞ」

「そういう問題じゃないわい!」


 耀藍と華老師がわーわー言い合っているのを見て、香織は笑い声を上げる。


(声を上げて笑うなんて、久しぶりだな……)


 ご飯のときにみんなが笑ってくれるとうれしいし、ありがたい。がんばって作ってよかったと、食卓をながめてうれしくなる。

(決して、豪華な献立ではないし、わたしの料理の腕だって、たいしたものじゃないけど……)

 それでも、自分が整えた食卓をみんなが笑顔で囲んでくれることで、こんなにも胸が温かくなる。

 香織は、じゅわっと出汁のしみた大根をかみしめた。


 こうして、華家の夜は更けていった。

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