第二十八話 仕事決まりました!


「あらまあ、本当に突然だこと。なにをいきなり言い出すかと思えば」

胡蝶はほほ、と笑った。

「妓女としてではなく、厨房で?」


「はい」


 胡蝶はしとやかに頭を下げた。

「魯達様。もしよろしければ、この子の作ったというそちらのお料理をお味見させていただいても?」

「おうよ、食ってみろ。この吉兆楼の厨房で働かせてくれなんて大それたことを言うだけの腕はあるぜ」

「あら、魯達様がそうおっしゃるなら」


 胡蝶は優雅に箸を持って、小鳥が食べるような量を形の良い口に運ぶ。

 その美しい顔が、ほんものの驚きに見開かれたのを香織は見逃さなかった。


「とても、美味しいですわ」

「じゃ、じゃあ、雇っていただけますかっ?!」


 どうやらこのお店で働かせてもらうのは身分不相応の図々しい願いのようだが、今はそんなことは言ってられない。

 働かせてくれるなら、そしてもちろんお給金がいいなら言うことなしだ。


「そうねえ……妓女の方が、御給金がいいわよ? 貴女の器量なら、じゅうぶん妓女としてやっていけると思うけど」


 妖艶なまなざしに吸いこまれそうになるけど……だめだめ!

 もちろんお金も稼ぎたいけど、私には目的があるんだから!


「じゃあ、厨房の御給金に塩を付けていただけないでしょうかっ」

「塩ですって?」

「はいっ」


 胡蝶はきょとん、として、それから可笑しそうに笑った。


「まあ、ほんとうに変わった娘だこと。いいわ、魯達様の御墨付もあるし、あなたを雇いましょう」

「えっ、ほんとうですか?!」

「ただし、七日の間、ね。七日、厨房で働いてみて。もちろん、その間のお給金は出します。七日後に、雇ってもいいと判断したら正式に雇いましょう」

「ありがとうございます!!」


 試用期間ということらしい。

 それでも、糸口を見つけられたのはありがたい!


「じゃあ、明日からおうかがいします!」

「おう、せっかくだからおめえ、ちょっとぐらい俺様の酌をしていっちゃあどうだ」

 魯達が冗談交じりに言う。

「す、すみません! 今日はもう、帰らなくちゃならなくて」

「なんでえ、男がいるのか。まあ、その器量じゃ男の一人や二人、いるか」

 残念そうに魯達が言うので、香織はつい笑ってしまった。

「いえ、帰って、お夕飯を作るんですよ!」





「ただいまー」

 香織が帰ると、やっぱりすでに小英が厨でいそいそと煮炊きをしていた。

「あっ、香織! 遅かったじゃないか。心配したんだぞ」

「ごめんね、小英。ちょっといろいろあって。でも仕事見つかったから」

「えっ、ほんとうか?」

「うん、明日から、午後からお夕飯まで、働いてくるね」


 まずは厨房で、お客用の料理の仕込みの手伝いをすることになったのだった。


「なにっ、聞いてないぞ」

 そこににゅっと、不機嫌気な顔が居間からのぞいた。

「耀藍様!」

「腹が減ったぞ。ずっと待ってたんだ。オレは香織のご飯が食べたい」

「俺が作るって言ってるのに、この通り、聞かないんですよ耀藍様。だから俺も、中途半端な作業になっちゃって」


 たしかに、青菜が茹でてあったり豆腐が水にさらしてあったりするが、何を作ろうとしているのか迷いの見える台所状況だ。


「耀藍様、ワガママ言わないでください。小英が困ってますよ」

「む……」

「すぐ作りますから、待っててください」

「むう」


 小英から台所を引き継いで、何を作るか考える。

 そして、ふと思った。

「智樹も結衣も、ちゃんとご飯食べてるのかしら……」

 夫は料理はまるでできない。コンビニで買ってきた弁当ですら、電子レンジをちゃんと使えるかあやしい。

(あたし、ほんとうに死んじゃったんだな)

 急に、そんな思いが胸に押し寄せる。

 子どもたちのために何かを作ろうと思っても、作ってやることはできない。もう自分は死んでしまって、別の世界に転生までしているのだから。


 前世に生きているときは本当に疲れていて、ご飯作りも正直、楽しくはなかった。本当は料理が好きなのに、日々のご飯作りというのはその「好き」とはかけ離れたところにある。


 居間から、小英と耀藍の言い合いが聞こえてくる。たまに華老師のツッコミが入る。楽しそうな笑い声を聞くと、智樹と結衣が小さくて、まだ一緒に遊んでいた頃を思い出す。

(今ここに、もし智樹と結衣がいたら)

 何を作ってあげるだろうか。

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