第二十九話 吉兆楼、再び


「こんにちはー!」

 次の日の午後。

 香織は再び吉兆楼の玄関広間に立っていた。


「今日から、よろしくお願いします!」

 誰もいない玄関広間で、ふかぶかと頭を下げる。

 なにごとも、最初の挨拶が大切だ。



 建安一の妓楼『吉兆楼』。

 きのうの夜、建安の商人の親玉、魯達にここへ拉致され、ポテトチップスやポテトフライを作ったことで、妓楼の厨房で働く、という仕事を、トントン拍子で見つけた香織だったのだが。



「夢、じゃなかったよね……?」

 そうだったかもしれない、と思うほど、景色が異なって見える。

 夜とはうってかわって、明かりの入っていない、薄暗い玄関広間。

 生気のないその空間に、やがて寝起きの妓女たちが、だらしない格好のままぞろぞろと出てきた。

 妓女たちは香織を見ると、あからさまに嫌な顔をする。


「またあんたなの。てか、何しに来たのよ?」

「まさか、ここで妓女になるってんじゃないだろうね」

「この吉兆楼で妓女やるからには、覚悟はできてんだろうね」

「容姿だけ良くても、この吉兆楼の妓女は勤まんないんだから!」


 口々に飛んでくるブーイングに、待ってましたとばかりに香織は満面の笑みで答えた。



「今日から、こちらの厨房で働かせていただくことになりました!」



 しーん。

 玄関広間が静まり返る。妓女たちは、目が点になっている。



「……は?」

「ですから、こちらの厨房で、お客様にお出しする料理や、みなさんのご飯を作らせていただくことになりました!」


「な、なにそれ」

「聞いてないけど」

 妓女たちがざわついた、そのとき。



 だん!



 床を思いきり踏む音に、妓女たちはサッと振り返った。

「あ、姐さん」

「姐さん、まだ寝ていたほうが――」



「許さないっ!!」

 赤い髪に、翡翠の瞳――杏々しんしんが、叫んだ。


 意外にも質素な寝間着姿の杏々が、妓女たちをかきわけて香織の前にやってくる。



「ふざけんのもいいかげんにしてよっ。あんたなんかがこの吉兆楼の門をくぐるだけでも腹立たしいっていうのにっ。誰があんたなんかを認めたのよっ」



「あたしよ」



 今度はその場の全員が階段を見上げて、サッと居ずまいを正した。


「胡蝶様!」


 妖艶な美女は、普段着であろう深い緑色の襦裙姿で階段を下りてくる。

「その子、香織こうしょくというのだけれど、お座敷じゃなくて、厨房で働きたいんですって。だから今日から来てもらったのよ」


 屈託のない胡蝶の物言いに、妓女たちは気まずそうに顔を見合わせる。胡蝶の言うことなら妓女たちに嫌も応もない。


「で、ですが胡蝶様」

「杏々。あなたは、この吉兆楼三姫さんきの一人として、新入りにいろいろと教えてあげてちょうだい。よろしく頼むわよ」

「…………はい」


 胡蝶は微笑むと、香織に手招きをした。


「いらっしゃい。厨房に案内するわ」

「は、、はいっ」

 香織は胡蝶の後ろからついていった。



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