第二十一話 ギリギリの母たちへ。



 三人の農夫たちと入れ替わりに、今度は賑やかな笑い声が入ってきた。


「あんたが香織こうしょくかい?」


 明梓めいしと同年くらいだろう。やはり農作業をしてきたらしい女たちがどやどやと戸口に集まってきた。

 皆、小さな子どもを連れている。小さい子の手を引きながら、赤ちゃんをおんぶしているたくましい女性も数人いた。


「明梓に聞いたんだ。ここでお昼ごはん食べさせてくれるってね」

「はい、そうなんです。もう食べられるので、どうぞ入ってください」


 しかし女たちは気まずそうに顔を見合わせた。


「でも、本当にいいのかい? あたしら、ほら……見ての通りの子連れだからさ」

 子連れ、というのを女性たちは気にしているようだ。



 その遠慮がちな姿を見て、香織は胸がきゅんとなった。



(懐かしいな。あたしもこんな時があったな……)


 智樹と結衣が小さい頃は、どこへ出かけるのにも気を使った。お店へ入ったとたんに二人がケンカしたりどちらかがぐずって泣き出したりすると周囲の冷たい視線が突き刺さり、いたたまれずに店を出ることもよくあった。


 小さい子連れというのは、とにかく肩身が狭い。

 そして、小さい子を育てている母というのは、周囲が思っている以上にストレスが溜まっている。

 そこで自力でストレスを解消しようとするわけだが、解消しようとした先で冷たい視線に合うので、結局ストレスを抱えたままギリギリの精神状態で生きていくことになる。



 目の前の女たちは、まさにそういうギリギリな女たちだ。



(あの頃の私だったら、何を願うだろう)

 小さい我が子の子育てに疲れていたあの頃、何を願っていただろう。



 少し考えて、香織は大きく息を吸いこんで言った。


「だいじょうぶですよ!」


 女たちはきょとん、としている。

「子連れ大歓迎です。ここは誰でも気軽に立ち寄れる近所の食堂ですから!」

 香織の笑顔を見て、女たちは歓声を上げた。

「ありがたいねえ」

「じゃあ、さっそくおじゃまして」


 どやどやと七組の親子が入ってくる。扉の脇で荷物を下ろすが、そんなどうということもない行動すら小さい子がいるとままならない。小さい子どもというのは思い通りに動いてくれないし、言っても聞いてくれないのが当たり前と思っていたほうがいい。


「ほらっ、そっち行くんじゃないよっ」

「ここに荷物を置くんだよっ」

 母たちは懸命に怒鳴るが、子どもたちはちょこまかと動き回る。


 香織は一番大きな、リーダー格の男の子をやんわりと抱きとめた。

「な、なんだよ放せよ!」

「私、香織っていうの。あなたは?」

「か、櫂兎かいとだよ」


 かっこいい名前だね、などと言いながら男の子を洗い場にいざなう。目論見もくろみ通り、男の子の後から他の子たちが付いてきた。


「ほら、ここにお水が出てるでしょ、冷たくて気持ちいいよ~」

 香織は優しく櫂兎の手を取って水に手を浸す。

「あっ、ほんとだ!冷たい!」

 櫂兎はうれしそうに自分から水に手を浸す。しめしめ、と思いつつにっこり笑った。

「ほら、手に泥がついているから流しちゃおうか。手がきれいになった人から、あっちでご飯を食べまーす」


 そう言うと、櫂兎の後ろにいた4,5歳の子たちは我先にと手を洗い出す。それを見て、2,3歳の子たちは兄・姉の真似をして手を洗う。


「あんた、若いのに子ども扱うのうまいねえ」

 母たちはしきりに感心している。


(いやいや、年の功ですよ)

 香織は苦笑する。彼女たちは、せいぜい30代に届いているかいないかといったところだ。前世で言えば、香織にとっては遠い存在になりつつあった今どきの幼稚園・保育園ママだ。



 土間の縁にぎゅうぎゅうになりながらも全員が座れたところで食事を運ぶ。


「上のお子さんのご飯、あたし手伝いますね」

 赤ちゃんをおんぶしている母たちの上の子の食事介助を香織は引き受けた。


「……ありがとう」

 しばらくして、赤ちゃんをおんぶした母の一人がぽつりと呟いた。

「温かい汁物を、久しぶりに食べれたわ」

 それを聞いて、他の母たちもしきりに頷く。

「そうだよねえ、子どもに食べさせなくちゃいけないから、自分のご飯なんて冷めてるもんね」

「あたしもここ数年、できたてのご飯って食べてなかった。あ、でもさ、できたてだからってわけじゃなくて、あんたの作ったこの汁物とか浅漬け、とっても美味しいよ」

「ありがとうございます。卵焼きもありますよ!」


 さっきから何度か作っているので、慣れてきて手際がよくなった。フライパンのようにはいかないが、鍋をゆすりながら菜箸で寄せていくと、卵液はなんとか細長い形になってくれる。

 それを包丁で一口ずつに切って出す。


「わあ、母ちゃん、これ甘いよ!」

「甘くておいしい!」

「あれ本当だ。甘いけど、不思議と白飯にも合うねえ」


 できたての甘めの卵焼きを出すと、母たちだけでなく子どもたちも大喜びであっという間になくなった。


「こんなにゆっくりとご飯を味わったのっていつぶりだろうねえ」

 母たちの満足そうな表情を見て、香織も胸がいっぱいになる。


 あの頃の自分が願ったことを若い母たちにしてあげられてよかった。

――そう思って、ハッとする。



(うすうす、気付いてた)

 かつての子育てのストレスが、恨みとして香織の中に残っていることに。



 月日を追うごとにあの頃の自分や自分の子育てを遠くから見られるようになって、あんなこともあったなあ、子どもたちも大きくなったなあ、と感慨にふけって消えていく恨みもあるけれど、残る恨みもある。


 あったことに、今、気付いた。

 あの頃の自分が願っていたことをあの頃の自分と同じ状況にいる人たちにしてあげられたことで、恨みが解消したからだ。

――あの頃の恨みが、成仏できたんだ。

 口々にお礼を言っていく母たちに、香織は深々と頭を下げる。

(感謝すべきは、私だわ)

 この異世界に転生しなかったら、香織の中の子育ての恨みは澱のように溜まり続けて腐ったかもしれない。



 ここで、この異世界食堂で、自分にできる精いっぱいのことをしよう。



 ふと、前世でトラックに轢かれた日の朝のことを思い出す。

(夫や子どもたちへのやるせない思いも、いつか解消する日がくるのかしら……)

 そのためにも、これからもこの食堂を一生懸命やっていこうと、香織は心に誓った。









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