第二十話 耀藍の報告

「ななななんのことでしょうか……!」


 我ながら声が裏返っている。


 またまたー、と耀藍ようらんがふざけるように香織こうしょくを肘でぐいぐい押した。

「オレに異能があるのは知っているでしょー。黙っててもわかっちゃうんだよねー、人の素性が」

「ほ、ほんとうですか?!」


 耀藍の言うことを真正面からすべて信じた香織は、動揺を隠せない。

(テレビでしか見たことのない本物の超能力者がここにっ……!)

 神秘的なアクアマリンの瞳が笑い含みに香織を見ている。

(それにしても異世界で本物の超能力者に会うなんて。いや、異世界だからか)


 香織は周囲に人がいないことを確認し、耀藍の袍の裾を引いた。


「ぜっっったいに誰にも言わないでくださいっ。そのことは、華老師しか知らないんですからっ」

「……へえ、そうなの?」

 意外そうに耀藍は眉を上げる。香織は観念した。間諜という疑いを晴らすためにもちゃんと話した方がいい。


「それが、あたしにもよくわからないんです。ていうかあたし、実は自分がどこの誰かもまったく覚えてないんです」

 前世の記憶はあるんですけどね、という言葉は飲みこむ。

「記憶喪失、ってこと?」

「ええ……たぶん。気が付いたら華老師に助けていただいてたんです。なんで馬車に轢かれていたのかもわからなくて」


 耀藍はまじまじと香織を見た。銀色の長い睫毛がぱたぱたとまたたく。


「あの……?」

「いや、わかった。君が嘘を言ってないこともオレにはわかる。異能者だから」

「はあ……便利ですね、異能って」

 まあね、と言って耀藍は戸口へ向かった。

「耀藍様?」

「おいしいお昼をごちそうさま。ちょっと用事を思い出したから、実家に行ってくる。夕飯には戻るからよろしく」

「は、はい、いってらっしゃいませ」


 耀藍が出ていくのと入れ違いで、三人の男が入ってきた。野良仕事をしてきたのか、担いできた鍬を戸口に立てかけて手拭で顔を拭いている。


「よお、あんたがここで食堂を始めたっていう娘さんかい? えーと……」

香織こうしょく! 香織ってんだろ? 明梓めいしに聞いたぜ」

「俺たちもここでメシ食っていいのかい」


(お客さんだ!)

「はいっ、もちろんです!」

 香織が張り切って言うと、男たちは土間に立ち込める湯気に鼻をくんくんさせた。


「おー、いい匂いしてんなあ」

「おいらもう腹が減りすぎた」

「さっそくもらっていいかい」

「はいっ、では、あちらへ座って待っててください」


 男たちはわいわい言いながら土間の縁に腰掛ける。

 香織はもう一度卵焼きの準備をしつつ、大根と干し肉の汁物と大根葉の浅漬けと白飯を男たちに運んだ。


「おおっ、なんか美味そうなものが出てきた!」

「これ大根葉か? こんな食べ方あるんだな」

「美味い! うまいねえ」

「よかったです! まだありますからね!」


 卵焼きを焼いたり、おかわり対応をしているうちに、耀藍との会話のことはすっかり忘れた香織だった。


 



 蔡家の屋敷。

 耀藍はふらりとどこからともなく現れ、真っすぐに奥の部屋へ向かった。


 雹杏は御使いなのかおらず、耀藍は扉を軽く叩いてから部屋へ入った。


 姉は大きな卓子に山と積まれた書類に目を通していた。

「本当にそなたはふらりと現れる。我には先触れくらい出せ」

 書類から顔も上げずに紅蘭は言った。

「さっき来たと思ったら大量の卵を持ち出してすぐいなくなったのう。今度はなんじゃ。羊でも丸ごと持ち出そうというのか」

「羊はさすがに……まあ食材もまた拝借しますけど、姉上にひとつ、ご報告が」

 紅蘭の牡丹のような艶やかな顔が書類から上がった。


「ほう。なんだ」

香織こうしょくは、帝国後宮にいた娘のようです」

「なんじゃと?」


 紅蘭はつ、と目を細めると立ち上がった。

「座れ」

 言われて、豪奢な長椅子に座ると、紅蘭が隣にきて、獲物を喰らう肉食獣のような不穏さで耀藍に迫った。


「そなた……もしやとは思うが、あの娘に手を出してないじゃろうな?」

「はあ?! ま、まさか! なんでそういう話に」


 自分でも思いのほか動揺していることに耀藍は驚く。

 その動揺を見て、さらに紅蘭は眉をひそめた。


「本当かえ? わかっていると思うが、術師は王族の王女ひめめとるのが習わし。ねやの手ほどきを除き、王城に入る前に他の女人と通じることは術師にとっては死罪に値するのだぞ?」

「わ、わかってますって」


 耀藍はホッと息を吐く。

 美味しい料理を作る香織に必要以上に執着している自分に気付かれたかと思った

が、姉の心配は


「別に寝所を共にしたからわかったわけじゃないですよ。ちょっとカマをかけただけです。そしたら、あっさり認めましてね。自分はどうやら芭帝国後宮から来たらしい、と」

「どうやら、というのはどういうことじゃ」

「彼女、記憶が無いらしいんですよ」


 紅蘭は眉を寄せた。


「我にもそう言っておったが……本当なのか? 芝居じゃないのか?」

「いや、あれは芝居じゃないですね。色が見えなかった」


 耀藍には、人の感情が色になって見える。嘘をつくとき、その人を取り巻く色は灰色に霞むのだが。


「少なくとも、彼女が記憶喪失で、どうやら芭帝国後宮から逃れてきた娘だということは事実みたいです」

 耀藍はにっこりと姉に笑みを返す。すべてを報告していないことを悟られないために。


「……わかった」

 紅蘭は細い指で扇子を弄い、耀藍を見上げた。


「芭帝国は今、内乱の最中じゃ。我が呉陽国にも難民が多く流れてきているし、王は難民をお受け入れになる御意向だ。であるから芭帝国の難民であることは問題ないが、、というところは大問題じゃ。わかっておろうな?」

「もちろんですよ」


 芭帝国皇帝の後宮内での身分によっては両国の争いの火種になり得る。


「位の高い妃嬪でも問題だし、妃嬪に仕えていた間諜であればもっと厄介じゃ。やはり見張りを付けておいてよかった」

「では、引き続き見張り続行ですか?」

「もちろんじゃ。そしてこのことは他言無用。父上にも言うでないぞ」

「わかってますよ」

「怪しい動きがあれば、即刻報告せよ」

「はいはい」


 そう言いつつ紅蘭の室を後にした耀藍は内心ホッとする。


(姉上にバレなくてよかった)


 姉は自分のように異能者ではないが、妙に勘が鋭い。気付かれれば話そうと思っていが。



――香織が何か隠している、ということを。



 香織は嘘は言っていない。

 しかし、彼女は何か大きなものを抱えていて、それを人に言えずにいる。

 そういう色が見えた。

 そして直感だが、それは姉が心配するような事柄ではないような気がした。何かもっと個人的な事情のように思える。

 そこに耀藍も興味を持った。これも耀藍の個人的事情だ。


 だから紅蘭に黙っていた。


(見張りは続行だし、今後、一緒にいるうちに聞き出せる機会もあるさ)

 くるくると厨でよく働く香織の姿を思い出して思わず笑みがこぼれる。

「羊か……厨から本当に拝借して香織に渡したら、何を作ってくれるかなー」


 自然と鼻歌がこぼれる。

 ご飯の時間がこんなに楽しみなのは、生まれて初めてかもしれない。

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