第七話 粉ふきイモは食堂の始まり(1)
三日過ごして、華老師の家のことがだいたいわかった。
まず、華老師は近所でとてもありがたがられている。
ここは
言ってみれば下町だ。
下町といえば時代小説に出てくる江戸の風景を思い浮かべる香織だが、街並みは一軒一軒の敷地が広くスペースに余裕もあり、時代小説に出てくる下町とはだいぶ違う。
しかし、そこで暮らす人々がお互いに助け合い、人情に厚いところは、江戸の下町風情を思い起こさせる。
そんなエリアで、華老師は町医者をしているようなのだが。
下町特有の助け合い精神なのか、華老師のポリシーなのか、とにかく無料診察が多い。
近所の人々が次から次へと訪れてやれ腰が痛いだの、子どもが転んで怪我しただのと相談していく。その一つ一つに華老師は丁寧に対応し、ほとんどの場合、代金を取らない。
取るのは薬代くらいだろうか。
そんなわけで、この辺り一帯では、華老師は神様のように崇められているらしかった。
よって『献上品』が絶えない。
「さっき市場ではねだしのジャガイモがたっくさん手に入ったから、食べてみて!」
「うちの畑で作った初物のきゅうりだよ! 華
「これ、うちの中庭で採れたミョウガ。今年はできるのが早くてねえ」
こんな調子で次々と食材が舞いこむので、毎日買い出しに行かずとも華老師の家には何か食材がある状態だ。
(華老師ってほんと親切だものね。みんなに慕われるの、わかるわ。得体の知れない私みたいなのも家に置いてくれるし……)
今日は往診の日だということで、朝から華老師と
香織は留守番がてらジャガイモと格闘していた。きのうご近所さんが持ってきた大量のジャガイモの皮をむき続けている。
作るのは、粉ふきイモ。
皮をむき、大き目に切ったジャガイモを、10分くらい水にさらす。
鍋でたっぷりの水から茹でる。
ジャガイモに竹串が通るようになったら、茹で水を捨てる。
そして火加減の調整をしつつ一心不乱に鍋を揺らす。
鍋のなかでジャガイモが粉を吹いてくる。よしよし、いい感じ。
手早く半量を別の器によけ、鍋の中に残ったもう半量のイモに塩を振って再び鍋を揺する。
完全に粉を吹いたら引き上げ、待機させていたもう半量のジャガイモを鍋に戻して合わせ調味料を入れる。甘醤油だ。
じゅわ、と甘辛い匂いがあたりに広がる。
鍋を揺することしばし、茶色く粉を吹いた甘醤油味が完成した。
「ちょっとお行儀悪いけど」
指でつまんで、味見をする。
白い粉ふきイモは塩味で、ちょっと多めに入れた塩がしっかり効いていて美味しい。茶色い粉ふきイモは甘醤油味で、みたらし団子に近い甘めの甘醤油はこれも間違いのない美味しさだ。うん、いい出来だわ。
「ふう、でもやっぱり小鍋が無いと大変ね」
一つしかない鍋は大きく、しかもがっちりとした鉄製の鍋なので重く、揺するのがけっこうな重労働だった。
ふう、ともう一度息を吐いてふと振り向いて――香織はぎょっとした。
いつの間にか土間に、おそらく近所の人々であろう老若男女がわらわらと集まって、ひそひそと話しながら香織をじっと見ていた。
「華老師の家から良い匂いがすると思えば、誰だねこの綺麗な娘さんは!」
「華老師のお嫁さん……にしては若すぎるなあ」
「ばか、何言ってんだい。この子はね、蔡家の馬車に轢かれちまって、怪我をした可哀そうな娘さんだよ。親御さんが都合ですぐには迎えに来られないから、しばらく華老師が預かることになったんだって」
近所ではそういうことになっているらしい。香織は内心ホッとした。さすがです、華老師。ありがとうございます。これで近所をこそこそせずに歩けます。
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