第六話 どうやらワケアリ美少女らしい
にこにことご飯を頬張る三人を見ていると、うれしさのあまり、つい
「ふふ、具は玉ねぎだけなんですよ」
「ほう」「ええっ、ほんとうかよ」
「おひたしなんです。玉ねぎを茹でて、醬油と酢とかつお節を混ぜた調味液に浸したものです。あっ、すみません、かつお節を少し、使ってしまいました……」
貴重であろうかつお節を勝手に使ったことを謝ると、華老師がふぉっふぉっふぉと笑った。
「米にちびーっと、申しわけ程度にかけても物足りなさが倍増するだけじゃ。こちらの方がかつお節の旨味が広がって得した気分になるわい。小英、見習うといいぞ」
「ちぇ、
ぶつぶつ文句を言いつつ、小英は香織をちら、と見た。
「そう言えば、その……姉ちゃん、あんた、名前なんていうんだ?」
なぜか小英は顔が赤い。
「ふぉっふぉっふぉ、娘さん、小英はウブな少年なのでな、おぬしのような綺麗な娘を間近に見て緊張しておるんじゃよ」
「ばっ、なっ、なに言ってんですか老師!」
ますます赤くなる小英を見て、さっきも台所で小英が顔を赤らめていたことに香織は合点がいった。
(そうか、私、若い子に転生したんだった)
お風呂で身体を見たところ、きっと15、6歳だろう。
小英はたぶん10歳前後だろうから、綺麗なお姉さんを見ればドキドキするお年頃かもしれない。
中身はオバサン、容姿は美少女。
(これからは中身と容姿のギャップに気を付けないと)
自分に言い聞かせて香織は小英に優しく微笑んだ。
「私、香織って言います」
「かお……何だって?」
「変わった音じゃのう。
香織は床板に大きめに字を書いてみせる。
「香に織、か。こうしょく、じゃな」
「へええ、
香織と書いて「こうしょく」。確かに音読みだとそうなる。というか、やはり漢字が混ざっているのだろうか。中国語と日本語では使う漢字が同じようで違うが、そういう現象だろうか。
小英と二人で器を片付けていると、太謄が土間に降りてきた。
「
太謄がよっこらしょと立ち上がった。本当にタテもヨコも大きく、相撲取りか格闘家のようだ。
「じゃあ、俺っちは
「うむ、蔡家には、怪我人は無事だったから心配ないと伝えておくれ」
「あいよ。じゃあごちそうさまでした」
太謄はぺこりと会釈すると、荷物を担いで帰っていった。
気付けばもう外は日が暮れている。いったい、今は何時なのだろう。
そんな香織の思考を読んだように華老師が言った。
「うむ、もう日が暮れるのう。
「え……」
「わしはこの通り小英と二人暮らしだし、この家はオンボロだが部屋は余っているんでのう」
「そうだ! そうしなよ!」
うれしそうに目を輝かせる小英が可愛くて、香織はつい笑って頷いてしまった。
「はい……では、お世話になります」
◇
小英がお風呂を使いに行っている間に、香織は華老師から部屋に案内された。
「いくつか部屋があるんじゃが、おぬしは若い娘さんだからのう」
と華老師に通された部屋は、奥の角部屋だった。
「ずっと使っていないんで、ちょいと片付けを手伝ってくれるかの」
「はいっ、もちろんです!」
十畳ほどもある部屋は小さいが天蓋の付いた寝台と椅子、小さな机、チェストらしき棚がある。全体的に濃い茶色の部屋は、いつだか旅行会社の広告で見たバリ島のホテルを思い出させた。そういえば、この世界は気候が温暖なのか、人々は薄着な気がする。
(自分専用の部屋なんて、生まれて初めて……って生まれ変わってるけど)
前世、実家ではマンション暮らしで妹と同じ部屋だったし、結婚してからはもちろん自分専用の部屋などなかった。
(古いけど家具も素敵だし……ほんとうに幸せ……)
作ったおそうざいを美味しい美味しいと食べてもらえた上に、こんなに広い部屋まで貸してもらって、香織はこわいくらいの幸福感に包まれながらせっせと部屋を片付ける。
この家は華老師の言う通り確かにオンボロだが、実はけっこう広い。
上から見ればロの字型になった家は、正面が玄関、土間、居間になっていて、左側にお風呂と居室、右側には薬を作る部屋、診察をする部屋、奥に居室が並ぶ。囲まれた中のスペースは中庭になっていて、大きな木や植栽があり、洗濯物を干すスペースのようだ。
オンボロに見えるのは、おそらく古い家なのにあまり手入れをしていないからかな、などと香織がガタついた窓を開けたり布団を運んだりしていると、部屋の片付けを手伝いながら華老師が何気なく言った。
「おぬし、ここへ来るまでのことを覚えておるのか?」
香織は
(何も覚えてないし、思い出せない……この少女の記憶は何も)
前世の、織田川香織としての記憶は死ぬ直前までハッキリとある。
けれど、この少女の記憶がまったくない。どこの誰で、どうして馬車に轢かれることになったのかもまったくわからない。
「すみません……何も、思い出せなくて」
「いや、様子からして記憶が無いだろうと見当はついておったしな。おぬしが謝ることではない」
華老師は
「着ていた衣装から察するに、おぬしは芭帝国の娘じゃろう」
「はあ……」
芭帝国。さっきも会話の中に出てきた。
「この呉陽国の北にある大きな国じゃが、このところ内乱が起きているらしくてのう。戦で家を追われた人々が、呉陽国にもちょくちょく流れてきておる」
「そうなんですか……」
「おぬしも戦で追われたのだと思うが、ちと他の人々と事情が異なるかもしれぬ。おぬしはおそらく……芭帝国王城の後宮にいた娘じゃろう」
「そうなんで……って、ええ?!」
後宮? 私が?!
「着ている衣装が貴族か妃嬪が着るような上等な物じゃったし」
たしかに、香織もそう思った。泥まみれだったが、主婦の目で見ればあれはぜったい超高級品だ。
「何より、首の後ろに印があった」
首の後ろ?
思わず手をやる。
手触りは何もない。
お風呂のときにはわからなかった。というか自分では見えない。
「ああ、心配せんでも、すぐ見えるところにはありゃせん。首の根元というか、背中に近い場所じゃ。衣を着ておればまず見えん」
「そうですか……」
見えないとなると、よけいに気になる。
「印とは、どのようなものですか?」
「小さな赤い星の刺青じゃ。この呉陽国もそうじゃが、後宮に入り、ある程度の位が与えられた妃嬪には
「そんな……」
華流ドラマをママ友に勧められて少し見たことがある程度の知識しかない香織だが、後宮から逃れてきた、ということが大事件だということはわかる。
「あの、このことは」
「うむ。おぬしとわしの秘密にしておこうかのう。小英はおぬしが貴族の娘か何かだと思うておるが、そのままそう思わせておけばよい」
香織は後宮についての少ない知識を総動員して、おそるおそる言った。
「……私が後宮から来た者だと知れたら、小英にも華老師にもご迷惑がかかるのではないでしょうか」
後宮の妃嬪は一度後宮に入れば一生そこで過ごすという。それなのに、戦とはいえ後宮の外に出てきているのだ。しかも隣国に逃げてきている。
(この美少女が何か厄介な事情を抱えていることは明白だわ……)
だとしたら、自分がこのままここにいては二人に害が及ぶことは間違いない。
それは申し訳なさすぎる。
助けてもらった恩を仇で返すようなものだ。
「私、明日の朝にでもここを出てい――」
「まあ、しばらくはここにいるがよいて」
華老師が香織の言葉を遮った。
「おぬしは他ならぬわしと出会った。これも何かの縁や運かもしれぬ」
「で、でも」
「大丈夫じゃ。こんな古ぼけた町医者の家に隣国の妃嬪がいるとは誰も思わんじゃろうて」
華老師は笑うが、香織はまだ納得できない。
「私……申しわけないです」
見返りを期待しない優しい手を差し伸べてもらって。
作ったおそうざいを目の前で美味しいと言ってもらえて。
幸せすぎて浮かれてしまったが、こんな善良な人たちに自分のせいで迷惑をかけるわけにはいかない。
そんな香織の思考を読んだように、華老師は節くれだった手でがっちりと香織の手を握った。
「申し訳なく思うならしばらくここにいて、家事を手伝ってくれんかのう。その方が、小英も医者としての修行に集中できるからの」
「で、でも」
「そうじゃなあ、あの玉ねぎのおひたしをまた作ってくおくれ。小英があんなにうれしそうな顔をするのは初めてのことなのでな」
では頼んだぞ、と華老師は部屋を出ていった。
(なんて、なんていい人たちなんだろう……)
鼻の奥がツンとする。すぐに視界がぼやけて、ぐしぐしと袖で目元を拭った。
優しい人というのは本当に存在するんだ。
その優しさが、自分に向けられることもあるんだ。
それだけで生きててよかった……というか転生してよかった、と思える。
死ぬ直前、パートの帰りに香織を覆っていた暗い思考が、華老師や小英の優しさのおかげで霧散した気がする。
ほんとうに、自分は生まれ変わったんだ――そう思えた。
「……よし」
香織は決めた。
華老師の家に居候して、ここで美味しいおそうざいをたくさん作ろう!
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