第八話 粉ふきイモは食堂の始まり(2)


「とってもいい匂いだけど、何を作ってるんだい?」

 ふくよかな女の人が香織の手元をのぞいた。おそらく前世の香織と同年代だろう。肝っ玉母ちゃんといった風情だ。


ふきイモです」

「粉ふきイモ? なんだい、それは」


 この世界には粉ふきイモがないらしい。


「じゃがいもの皮をむいて適当な大きさに切って、茹でて、じゃがいもが柔らかくなったら茹で水を捨てて、あとは水分をとばしながらイモの表面が粉をふくように仕上げるんです。だから粉ふきイモっていうんです」

「へええええ! 簡単だねえ」

「ええ、とっても簡単です。きのう、患者さんにいただいたジャガイモに芽が生えないうちにと思って」


 さすがにこの世界には冷蔵庫はないようで、ならばジャガイモは芽が生える前にできるだけ食べてしまおう、と思って大量消費に粉ふきイモを思いついたのだった。


「白いのと茶色いのがあるけど味が違うのかい」

「はい。白いのが塩味で、茶色いのは甘めの醤油味です」


 前世ならバターやマヨネーズやカレー粉を入れた味変あじへんもあるが、あいにくこの世界にはそれらの調味料が無い。少なくとも華老師の家には無い。


 無いところから美味しい物を作る。これが主婦の信条だ。

 基本の塩味、甘醤油味は子どもから年よりまで好きな味。華老師と小英のためにと思って作った。


「ねえ、ちょっと味見してもいいかい?」

「もちろんです、どうぞ」


 小皿にそれぞれ少しだけよそって渡す。肝っ玉母ちゃん風の女性はおそるおそる両方食べてから、ぎょろりとした丸い目をさらに丸くした。


「こりゃあ美味しいねえ! いくらでも食べれそうだよ!」


 その反応を見て「おれも!」「わたしも!」と次々に味見希望の人々が殺到する。


「あ、あの皆さん、よかったらそこの上り口に腰かけてください」


 土間の上り口に座った人々に香織は次々に粉ふきイモを渡していった。


「美味い!」

「美味しいわあ」

「イモが柔らかい!」


 ずらりと並んだ人々がうれしそうに顔をほころばせている。


(ああ、やっぱり美味しいって言ってもらえるのって、うれしい……!)



「あんた、若いのにたいしたもんだ。どこで習ったんだい、こんな美味しい料理。この辺りじゃ見たことも聞いたこともないよ」

「あ……ええと、その、実家が食堂をやっていて。私、料理好きなので手伝ってたんです」


 我ながら上手い口から出まかせだ。料理が好きなのは本当のことだし。


「なるほどね。こりゃ相当な料理の腕があると見た。この明梓めいしサマが言うんだから間違いない!」

 肝っ玉母ちゃん風の女性はふくよかな胸元を叩いた。


「あんた、名前は?」

「あ、かお……香織こうしょく、です」

「ふうん、じゃあ、華老師宅の土間は今日から阿香あこう食堂だね!」

「食堂?! 私が?!」


 あまりにもぶっ飛んだことを言われて驚くと、明梓はけろっと笑って言った。


「好きなんだろ、料理?」

「え、ええ、でも私なんかが食堂なんて……」

「なに遠慮してんだい。しばらくここにいるんなら、やったらいいじゃないか。この辺りは夫婦で働いてる者ばかりだから、ふらっと立ち寄ったり子どもだけでも気楽に来れる食堂があると正直助かるんだよ」

「そうなんですか……?」


 なるほど、前世で言えば『こども食堂』みたいなものだろうか。

 それなら気が楽かもしれない。

 

「で、でも、私のような素人が食堂なんて……おこがましいです」

「何がおこがましいもんかね。こんな美味しいもん作っといて!」


 そうだそうだ、と声が上がる。並んで土間縁に座るご近所さんたちは、皆口々に美味かった美味かったと言っている。

 香織は、なぜか目の奥が熱くなった。


「それに、あんたどう見ても野良仕事には向いてなさそうだし、華老師の手伝いは小英がやりゃあいいんだから。何もしないでいるより、働いた方があんたも気が楽だろう?」


 確かに、明梓の言う通りだ。


「それにさ、食堂ならお金取れるじゃないか」


 冗談めかして言う明梓に香織はぶるぶる首を振る。


「そ、そんな! 皆さんからお金取るなんてできません!」

「じゃあ、調理してもらいたい食材をここに持ってこよう。みんな、それでいいだろ?」


 おおそうだな、いいね、などと声が上がる中、「それじゃ今とあんまり変わらないんじゃあないか? みんな診療代の代わりに華老師に食材運んどるだろ」という言葉に「ちがいない」と笑いが起こる。


「じゃあ決まりだね。阿香食堂、よろしく頼むよ!」

 明梓が香織の肩をばしーんと叩いた。むっちりと分厚い手は力が強いが不思議と痛くない。


(食堂かあ……)

 香織はうっとりする。


 前世、小さな喫茶店や軽食屋を開きたいというぼんやりとした夢を持つくらいには料理が好きだった。もちろん、現実の生活を考えれば到底かなうはずもない夢なので、いつしかすっかり忘れていた。


 それが転生して「食堂」なんて、人生何が起こるかわからない。転生してるから人生一度終わってるけど。


 などと頭の片隅で思いながら、粉ふきイモを囲む近所の人たちに囲まれて、香織は胸がじーんと温かくなった。



――その胸の温かさが一気に冷えたのは、午前の往診を終えた華老師と小英が持ってきた伝言だ。


「蔡家の当主が、おぬしに蔡家まで御足労願えないかと言ってきてな」

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