第三話 生きてた、と思ったら転生してた。

 なにか騒々しい。 

 智樹と結衣がケンカでもしているのだろうか。そういえば、夕飯の支度をまだしていない気がする。今夜は冷蔵庫の残り物をかき集めて豚汁を作って、それから――


 それから?


「!」


 香織はそこではっきりと目が覚めた。そして思い出した。パートの帰りに、夕飯の献立を考えながら、社員に言われた陰口のことをモンモンと考えて自転車をこいでいて、そして……トラックに轢かれたはず。

 首を動かすと、周囲にたくさんの人が集まっていることに気が付く。


(え、ウソ、私生きてるの……?)


 あんな大型トラックに轢かれて無事なはずない、と思い、しかし自分を覗きこむ人々が華流ドラマのような格好をしていることに頭が混乱しかけたとき、白髪の老人んがぐい、と顔を押さえて瞼を押し上げたり、頭をぐりぐりしたりし始めた。


「い、痛いっ」


 自分で自分の声にびっくりする。なにこのかわいらしい声。


「おう、声も出るのう。むうう、奇跡じゃのう。あの荷馬車に轢かれてかすり傷だけとは、よほど運がいいらしい。おーい、小英しょうえい、鞄」

「はい老師せんせい


 小学校低学年くらいの男の子――しかしやはり服装は華流ドラマみたい――が人垣をかきわけて老人に口の開いた鞄を差し出す。


 老人は鞄から出した棒で香織の舌を押さえ、口の中をじろじろと見たあとで集まった人々に向かってさけんだ。


「大丈夫じゃ、生きておるわい。たいした怪我もしとらん」


 おおー、と歓声が上がる。


「ささ、ここは往来の真ん中、みんな散った散った。お、太謄たいとういいところにおったわ、おぬしはこの子をわしの家まで運んでくれんかのう」

「ええっ、華老師かせんせいそりゃあないよ」

「蔡家の馬車がこの少女を轢いたんじゃろうが」

「俺っちは蔡家に雇われてるだけで、その娘さんが轢かれたのは俺っちのせいじゃないっしょー」

「まあそう言わずに。夕飯をわしのところで食ってけ」

「はい喜んでっ」


 え、え、えー?!


 集まった人々も散っていく中、香織は相撲取りみたいな巨漢にお姫様だっこされた。


「あの、あたし重いんで! 一人で歩けます!」

「あっはっは、あんたみたいな棒きれみたいな娘さん、荷物のうちにも入んないよ。気にすんな」


 確かにこの相撲取りのような大男なら香織を軽いと言うかもしれない。

 しかし香織も立派な中年、肥満ではないが、それなりに肉はついている。

 それにいい歳をして人にお姫様だっこしてもらうだなんて――


「?!」


 香織は自分の手を見てびっくりする。

 それはずいぶん昔に香織が失った、結婚前の手だ。皺もシミもない、カサカサもしていない、透き通るような白魚のような手。


「? ? ?」


 顔を触ってみる。手と同じようにツヤツヤしている。

 おそるおそる見れば、やはり自分も華流ドラマに出てくるような、しかもピンクの花柄の服を着ている。ずいぶん泥や埃にまみれてくすんでいるが、元はさぞ鮮やかな衣装だったに違いない。土色になってしまっているが、ヒラヒラしたストールのような物まで首から下がっている。


「おぬし、その容姿格好から察するに、北の帝国から逃れてきたのじゃろう」

 と老人に言われたときには香織はすでに気が付き、腹を括っていた。


(私、転生したんだわ)


 織田川香織は確かに死んだのだ。パートの帰りに、トラックに轢かれて。


 今いる自分は、香織の記憶を持った別人なのだ。

 その証拠に、香織は周囲の人々の会話を理解できるし、街並みの看板やのぼりに書かれた文字も読める。その文字は漢字のようでいて漢字ではないのに。

 昔の中国に似た世界なのだろうか。人々の服装や街並み、漢文調の文字などからして、なんとなくそう思う。


「今、小英が着替えを調達してくるから着替えなさい」

「あ、ありがとうございます……でも私、泥だらけで」

「ふぉっふぉっふぉ、湯も沸いておるから使うといい。どこも大怪我はしとらんから大丈夫じゃろう。かすり傷の手当はそれからにしよう」

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