コートの裾の屑を取る

 朝の電車の中での出来事でした。私はいつも通りの時刻の電車の、いつも通りの号車へ乗り込みました。私の乗る駅は電車内の混み様がまだ緩いので、やはりいつもの如くかろうじて座席に着くことができました。私は電車に揺られながら、ぼうっと正面を眺めるのが癖なのですが、二駅ほど過ぎて比較的大きな駅に停まった時、二人の若い女性が乗り込んできて、こちらに背を向けるようにして私の正面に立ちました。いつものようにありふれた光景です。しかしここで、いつもとは違う景色が私の網膜に差しました。先に述べてしまうと、その眼の前の女性の着ているコート、その裾に葉っぱのような屑が付いていたのです。それ自体はほんの些細なことです。ですが、このときの私には全く些細に映らなかったのです。

 私はすぐにこれの取る気を起こしました。つい今朝に、自分自身の小さな気遣いの行動について考えていたからです。私はそういった行動を比較的よく起こす性格でしたから、この小さな行いが積み重なればきっといつか形となって帰ってくる、たとえ帰ってこなくてもそれは私自身の高潔な本質の顕れなのだから、その発心を妨げる術はないだろう、という思考が私の心身にはまだ熱を持って残っていました。しかしここで私は痛恨の怠慢を起こしてしまい、今に持ち上がろうとしていた腰をついにそのまま下ろしてしまったのです。第一私がここでこんな気を起こさなくても、傍らにいるもう一方の女性かあるいは他の誰かがこの屑を見つけ、取り除くなり指摘なりするだろうと考えました。であるならば、わざわざ私が、身内でもない人間がお節介をする必要があるでしょうか。そう思いながら、私の身体と気持ちは再び座席に落ち着きました。

 ですがそれと同時に、やっぱり取ってやろうという気がまた起こったのです。私の心は典型的な天邪鬼なので、よく考えと行動が反発し合います。この時もまさにその例に漏れず、あるいはその例の代表とも言えましょうか。そして私はこの天邪鬼を突破すべく、もし仮に私がこの屑を取り除かなかったらどうなるかを想像しました。もちろん、先に述べたような誰かが取るとかそういう想像ではありません、彼女が被りうる不利益のことです。もしかすると、この小さな屑のために恥をかく可能性があります。何かしらの恥ずかしい思いをするかもしれません。もしこの女性が意中の男性がいたとして、その男性とこのあと顔を合わせるかもしれません。意中の男性でなくとも、とにかく私はこの屑が彼女の周囲の某かの目に止まって、最終的に彼女が辱められるという悲劇を思い描きました。この悲劇を、たった一つの行動で消し去ることができる立場に私はいます。どうして何もせずにいられましょう。私はついに留まることをやめる決意が付きました。

 私はすぐに、霧散させていた意識を目の前の彼女らに集中させました。そして、まるで私の存在を気に留めていない、そもそも私が視界にすら入っていないことを確認しました。

 あらかじめ告白しておきますが、私はこの行為を恥ずべきものだったと自覚しています。彼女の恥を取り除くべく起こした行動が、むしろ私に恥を取り付けるなど想像すらしていませんでした。もっとも、私に指をさして笑うのは他でもなく私自身なわけですが。

 私は徐ろに上体を前へと倒し、当人に悟られぬよう、また自分でもおかしな事をしている自覚があったのでしょう、なるべくコートに触れぬよう屑を爪で摘んで取り除きました。そして屑を全て取り去った時、私は何か崇高な任務を達成したときのような清々しい心持ちになりました。これで彼女に被るはずの悲劇は回避できるはずです。私は屑の消えたコートを見て、ようやく安息を得ました。

 私のこの行動は、母親が息子娘に行う無償の愛と本質は何ら変わらないはずだと確信しています。またこれ以外に例えようものが見つかりません。私は純粋に、ただ私の内に湛える愛を以ってこの行為に当たったのです。ですから、再び座席に座り直して何とはなしに携帯を眺めながら、私は自らの尊い行いを吟味し己の心の純なるを再確認しました。そうして一から改めて自分の行動を鑑みたとき、しまったと心の内で発したのです。

 私がおよそ母のような心持で事に当たったことは撤回しません。しかし傍から見れば全く不審もいいところで、まさか私を知らない第三者がこのたった一度の行動から私の本意を見抜けるとは到底思えませんから、つまり男が若い女性の背後からその足元に手を伸ばしている、それ以上にもそれ以下にも見えなかったのではないかと考え至りました。あるいはなお酷い解釈をされても可笑しくはない突飛な行動だったと、やっと自覚したのです。

 私はすぐさま自分の顔を覆いたくて堪らなくなりました。けれど、下心などの悪い気は一切なかったのだから別に咎められる謂れもないと踏ん反り返る気持ちも表れました。そしてもう一度反芻してみて、流石に無言は駄目だったなと、ようやく反省の兆しを迎え入れることができたのです。その反省の次に私を襲ったのは、ではどうするのが最適だったのかという疑問でした。乗り換えのため私は例のコートの裾をとっくに離れ、プラットホームからプラットホームまでを歩きながら考えました。まあ深く考えるまでもなく、ただ一言声を掛けるだけで良かったのでしょうけれど、ふと先のその場面を目前に想起してみて、喉が竦みました。周りの人間の目が気になったのです。きっと多くの人は思い至るでしょう。無言で見知らぬ人に肉薄するのには一切躊躇わなかったくせに、声を掛けることの何に緊張するのだと。私はその疑問を綺麗に解きほぐすための答えをついに拵えることができませんでした。そして自分が奇妙であったことを確かに認めましょう。強いて言い訳をするならば、シャイだったのです。私は自分の行いの正しきを確信すると途端に大胆かつ顧みずになります。しかし至るまでの道筋においてはその限りではなく、というよりかは気まぐれで過程も勇敢であったりなかったりするのですが、この時はただ、声を掛けるのが恥ずかしかったのです。その結果、社会的に必要な手順をことごとくすっ飛ばしてしまったのです。

 私はこの失態がただただ悔しくって堪りませんでした。例えるなら、満点を取れるはずの数学のテストで、途中式を欠いたが為に半分以上も失点してしまったような心持です。その式が「たったの一言」という私にも十分付け加えられた事例なだけに、ことさら悔しさを覚えました。しかし事態が事態なら0点にも成り得ていたわけですから、ただの悔しさに留まるだけ幸いだったのでしょう。何はともあれ、次こそはきっと一言添えてやるぞという覚悟が私の胸に落ち着きました。また、己の純心が他者からも純心として処理されるためには、心の外側に備わる身体である程度はロールプレイングしなければならないのだと理解しました。自分自身を表すためには幾分振る舞いを演じなければならないのだとしたら、私にとってこれほど生きにくいことはありません。それでも世がそういう風にできている以上、殆んど見知らぬ人間だけで構成されている以上、私はこれに従う義務があります。私はその義務を元より了解していました。にも拘わらず、今度の出来事ではそれをすっかり忘れていたのです。どうか笑ってください。私も私自身を笑っているのですから。 

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