犬を喰った

オクラーケン

犬を喰った《僕視点》

 兄妹は一人だ。

 僕たちは二人で一人だった。

 そんなときに犬はやって来た。

 橋の下で段ボールに二人で包まって暖をとっているとそいつは言った。

「俺に食い物を寄越せ!」

 僕はそいつの身体を見た。フサフサの毛皮に濁った瞳、それは僕自身を写している鏡のような身体。

 ――欲しい。あの毛皮が欲しい。

 僕は犬に自分はお前より上の存在だと知らしめるように声を低くして、

「お前の毛皮を寄越せば食い物をやる。話はそれからだ」

 そういうと犬は甘い声を出しながら去っていった。

 後日、そいつは毛皮を持ってきた。大きくて妹と二人で入るのに充分な大きさだった。

 妹は泣いて喜び、

「お兄ちゃん! 私、こんなに気持ちいいお布団初めて!」と、クシャクシャな髪の毛を左右に揺らした。

「お前これどこで手に入れた?」

「拾った。それより食い物を寄越せ」

 犬はこちらを睨みつけ、近寄る。

 妹は臆することなく近づくヤツに手を差し出す。

「これしかないけど食べて」

 差し出したのは魚二匹。

 いつ獲ったのか忘れた。もう食えない食べ物。

 妹はそれを知らないのか、無邪気な笑顔で笑った。

 犬は呆れた顔でそれを食べ、咳き込む。

 美味しくないのは当然のこと。腐った魚なんて犬でも食いはしない。

 僕は毛皮で顔を多いながら失笑する。

 妹との時間以外で初めて笑った。

 咳き込む犬は続け様に僕らに注文する。

「貴様ら、舐めているのか? これだけで俺の腹が溜まるとでも」

 犬の言葉に妹は何かを閃いたようで、寒い中川に足を運ぶ。

「ひゃ〜〜、お兄ちゃん冷たいの」

 小さな手に掬われた。お水は犬の口元に、

「犬さん、喉乾いたのね。これど〜ぞ」

 犬は呆れたと言わんばかりのため息をつけ、何かを言おうとするが、プルプルと震える妹を見てか、何も言わずにそれを口にした。

「寒いなら、俺を抱け。毛皮もいいが俺には体温がある。お前は特別だ」

 犬は以外にも妹に懐いた。

 それからというもの僕らは食い物を、犬は欲しい物を提供する関係になった。

 その間、妹は犬に名前をつけた。

 欲しい物をくれて、温かく夢のような存在――サンタ。

 おとぎ話のつもりで妹に話したそれは、身近な犬の名になった。

 相変わらず僕らは橋の下で暮らしているが案外悪いものではなくなった。

 今日も妹はサンタの頭を撫でながら、

「サンタさん! 私、お肉が食べたい!」と、言った。

 サンタは困った顔したが、撫でられて気持ちがいいのか僕を見た後妹の方に向き直り、

「肉が欲しいなら、お前のいちばん大事なものを貰うぞ……それでもいいのか?」

 妹はハッとした顔をして僕を見る。

 僕は静かに頷き妹の頭を撫でる。

「ありがと……お兄ちゃん」

 妹の声を聞くとサンタは足早に何処かに走り去った。

 すっかり日が暮れて、辺りが真っ暗になったとき、月の光に反射した川に小さな影が映った。

 僕はすぐにその正体を知り、僕の胸の中で眠る妹を揺らす。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 影の方を指さすと妹は跳ね起き、駆け寄る。

「サンタさん! 持ってきてくれたの!」

 犬は咥えていたモノをおろし、こちらに合図する。

 僕は重い腰を上げ、二人に近寄る。

「火をおこそうか」

 取り出したのは公園で拾ったライター。昼間に集めた木を丁度いいサイズに折り火をつける。

 肉を細い木に突き刺し、火に近づける。

 こんがり焼けた肉を二本だけ手に取り僕とサンタは橋に戻る。

「お兄ちゃんこれ美味しい!!」

 妹が口に肉を溜め、目一杯の笑顔を向けながら、こちらに手を振るのでサンタと一緒に手を振り返す。肉を貪る姿はさながら犬のようだ。

 肉を頬張るサンタに僕は食べかけの肉を差し出す。

「いいのか?」

「ああ。それより今日はどこで手に入れたんだ?」

「拾った。それだけだ」

 サンタは僕の質問に聞く耳を持たない。お決まりのセリフを吐き、棒についた僅かな肉も骨をしゃぶるようにきれいに食べた。

 サンタはご馳走様でしたと言いこちらを覗く。

 僕が瞳を2回閉じるとサンタは喋りだした。

「お前、魚の目ん玉って喰ったことあるか?」

「ないな。お前は?」

「俺もない。ただ栄養があることは知っている」

 サンタの見つめる先は僕の目だ。

「どっちが喰いたい?」

「左だ」

 そういうとサンタは僕に乗っかり、いつもの食事に取りかかった。

 

 翌日妹はサンタとともに遊びに行った。

 基本的に妹は僕が働いているときは橋の下で待っていることしかなかったため、こうして遊び相手がいることが――安心して預けることができる相手があることに安堵していた。

 夜になると、二人は仲良く手を繋ぎながら帰ってきた。

 サンタはやや疲れた表情を見せ僕に寄りかかり、妹は相当楽しかったのだろう。すぐに毛皮の上で眠むりついた。

 妹の頭を撫でる僕にサンタはクリスマス前の母親みたいな口調で、

「お前何かを欲しいものはないのか?」

「欲しい物? 今の暮らしで十分満足してるさ」

 僕の回答にサンタは溜め息をつき、僕の鼻を舐める。

「いきなりなんだよ? 今まで僕に欲しい物を聞くことなんてなかっただろ」

 僕の質問にサンタは頭を捻り、真っ直ぐに妹を見つめていた。

「お前にとって食事って何だ?」

「食事? そりゃ生きるためにすることだろ」

「そうか……」

 サンタは僕に頭を下げ、撫でろと言った。妹の頭と違い、柔らかく触り心地のいい頭だった。

 僕に頭を撫でられるのを嫌がっていたサンタの今の行動に若干嫌悪感を抱いたが、僕は目先の欲に忠実だった。

 ふと、サンタは先程の質問の答え合わせをすると言い出す。

「俺は食事とは……一つになることだと思っている。そして、喰ったものの意志は強者の糧となり、その後の行動を決めるものともな」

「一つになること……素敵な考えだな。僕には一生辿り着くことができない境地だろうな」

 僕の言葉にサンタは体を起こし、僕の目の前に立つ。息を吐き、吸う。それを2回繰り返しサンタは言った。

「俺はお前を喰った。つまり、俺はお前だ。お前の欲しいモノなんて手に取るようにわかる」

 サンタの言葉に僕は震えた。

 ああ、もう終わってしまうのか……。

「一週間時間をやる。それまでに願いを言うんだ……いいな」

 そう言い、サンタは眠りについた。その後も僕は妹とサンタを交互に撫でながら、いつもより深めの眠りについた。


 一週間。

 サンタが指定した期間はあっという間に迎えようとしていた。

 それまで、いつものように僕は仕事に向かい妹はサンタとともに遊びに行って時間を潰していた。

 夜になり、出会った頃より一層冷え込んだ橋の下は、不思議にも以前より温かく心地の良い空間になっていた。

 今日もいつものように妹の頭を撫でているとサンタは答えを求めた。

「それで、欲しいモノは見つけたか?」

 僕はサンタの甘い声にある区切りをつける。

「ああ、決まったよ……決まってたんだ」

 僕の言葉にサンタは首を横に振る。

「それで何にしたんだ」

「犬……僕は犬が欲しい」

 僕の願いにサンタは長めのため息をついた。

 サンタの白い息はやがて僕に吸い込まれるように流れ込んでくる。

 今ならサンタの考えていることがわかる気がする。


 翌朝。僕はバイトを休み、サンタからの贈り物を待った。

 妹はサンタとともに遊びに行ったので一人での時間を過ごすことになる。

 その時間はゆったりとしたもので妹と過ごした時間を振り返るのにちょうどよかった。

 夜。それはやってきた。

 いつかの日みたいに、サンタは大きな肉の塊を持ってきた。

 僕の目の前まで引きずり、一緒になってそれを木の棒に突き刺した。

 こんがり焼けた犬の肉は食べ慣れた味だったが、いつもと違い筋肉が少なく無駄な筋が多いため、美味しいとはとても言えないものだった。

 コリコリとした目玉も生えかけの永久歯もいつも見ていたモノは今じゃ全て僕の体の一部になっていった。

 サンタは決して僕の食事の邪魔はせず、静かに見守っていた。 

 やがて、肉を平らげ、サンタの食事の時間となる。

 食べたい部分は分かっている。

 大の字で仰向けになり、サンタの柔らかい肉球が僕の上を足踏みする。

「犬にはなれたか?」

「もう出会った頃から僕は犬だった。今ならそう言える気がする。不思議と僕はお前の気持ちもわかる気がするんだ……これが食事ってやつなんだな」

 サンタは微笑み僕の頭を撫でる。

 いつかの僕が彼にやったときのように。

「これから、俺とお前は一つになる。いいな?」

 終わりの時間が近づき、涙が溢れた。

「なあ、サンタ。僕は妹を幸せにできたかな」

「ああ、それは――」

「慰めの言葉はいらないからさ、本音で言ってくれ」

 息を呑み、サンタは甘い声を鳴らす。

「お前は妹を幸せにできたと思うぜ。どんな暮らしにしろ、お前は最後まで妹を守ったんだ。あの時もお前は妹を救うために全てを捧げたんだからな」

 サンタはそう言うと、鋭利な牙を立てる。

 目を閉じると、そこには白いワンピースを着て、花畑を走り回る妹の姿があった。

 ああ、愛してる。愛してるんだ。この世のすべてを捧げても足りないほど彼女を愛してるんだ。

「サンタ、僕来世でもあいつと一緒に生きていけるかな?」

 もうサンタの顔をは見えないが、彼は笑っている気がした。

「当然だ。君と彼女は来世でもその次の生でも共に生きることができるだろうな。

 ――ただ来世では、首輪を外して、自由気ままに生きていることを俺は願っているよ」

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