4.
その日、私は記憶保管庫を訪ねていた。ここはその名の通り、ベースの人々の記憶を留め置く施設で、サテライトの身分証があれば自由に出入りできる。エントランスにある検索モニターにエルのIDを打ち込むと「十五階/楓の間/三」との案内が。指示の通り、エレベーターで十五階へ。一直線の廊下を進み、程なくして楓と名付けられた部屋を見つけた。ドアのない部屋だった。
一歩踏み入った瞬間にセンサーライトが反応し青白い光が部屋を満たす。十畳ほどの無機質な空間の壁に沿って所狭しと敷き詰められた黒いロッカー。ここには記憶の他に、希望すれば貴重品も数点保管しておけるはずだが、三番ロッカーは極めて小型で文庫本数冊で満杯になるほどの大きさしかない。
そこに君の軌跡は残っているだろうか。
不安と期待が拮抗したまま、小さな扉に手を伸ばす。この奥にあるはずの、虹階の記憶。
手帳一冊と、記憶のデータチップ一片。
それだけだった。
オフホワイトの手帳の表紙には、三年前の西暦が刻まれていた。開いて一月、一面が文字で埋め尽くされ余裕の無い月だった。翌月も翌々月もそれは続く。花見の予定を入れる余暇や、初夏の長期休暇とも無縁だったらしい。まさに忙殺とはこのことだと、溜息を堪えながら捲る八月。真っさらだった。上手くは言い表せないが、何故か取り残された心地がする。不安に駆られてぱらぱらと捲り続け、週間スケジュールに辿り着く。八月二五日、「伝えられましたか?」のメッセージ。それ以降は何も残っていなかった。
偶然だろうか。それは私の誕生日だった。
***
僕は、照明デザイナーの事務所で事務員として働いていた。芸術家として生きる夢は諦めたけれど、どうしても美しいもののそばで働きたい。僕の思う美しいものをみんなに届けたい。そう願って就いた希望の仕事。
忙しかったけれど、とても勉強になった。美的感覚が磨かれ、効率よく業務をこなす術を誰よりも身につけた。日々洗練されていく様子が嬉しかった。
先読みして備えることには長けていたのに、あるとき日々増していく業務に応えられなくなった。任されるのは認められている証拠。そう期待したのは僕だけだった。
『これで君のベスト?』
耳が、声が、心が、未来が、閉ざされた気がした。
もう、頑張れない。そう思って星に手を伸ばした。
「元気にしていますか?」
応えはなかった。遠く、届かぬところへ行ってしまったのだと思った。だからこちらから星の世界に行くことにした。何がなくてもいい。どうしても伝えたいことがある。
きっと見つけ出してね。そのとき、僕は君を覚えていないけれど。
記憶を預け、人を忘れ、何処でもない無音の世界に置き去りになる自我。
僕は、星の在処を忘れた。
そして、忘れたことも綺麗に忘れた。
***
手帳をロッカーに戻し、データチップを手に取る。この中に眠る記憶を閲覧するには、地下の視聴覚室に行かねばならない。今日の最大の目的はそこにあった。それなのに、突如襲来する戸惑い。小さなチップを見つめたまま、微動だにできなくなった。いつかの言葉が脳裏をよぎる。
「ごめん……俺のせいだ……」
中を覗かなくてもわかる。君が
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