3.

「……んっ……ごえ……護英たんてばっ!」

「すみません。何でしたでしょうか」

 カフェでの出会いから二週間後。バイト終わりののん子さんがオフィスを訪ねてきた。露出控えめの私服で、不安の色を隠せない様子はまるで別人のよう。

「どうしよう。エルたん、このまま消えたりしないよね? のん子のこと置いていかないよね?」

「ご安心ください。確かに生命反応がありますし、この街を出ることも叶いません」

「そうかもしれないけど、二週間もうちに来ないなんて今までなかった。きっと何かあったんだよ」

「連絡してみましたか?」

「ベースは携帯契約できないの」

「……失礼しました」

「いいよ別に。でもだからわたし達は会うの。離れたら次いつ会えるかわからないから、約束するの。去り際には、また会おうねっておまじないかけるの。でも、今回はおまじない効かなかった……」

 そして潤いを湛える瞳。彼女達にとって、再会の保証は相手の中にしかなく、互いに信じることで約束が現実化する。名前も居場所も仮のもので、行き先も不透明な彼女達は、必然的に相手を繋ぎ止める術が虚弱になりがちだ。魔法に頼るのも無理ないのかもしれない。そう思った。

「護英たんには、サテライトにはベースの居場所がわかるんでしょ。探し出してあげて。きっと迷ってるの。エルたんはベースとして生きるには綺麗すぎるから」

「容姿と人生に相関性はないのでは」

「違う。違うよ。容姿同様、心が綺麗なの」

 私はこれまで何を見てきたのだろう。サテライトとしての出発点は「再び希望を持って欲しい」という願いだったはずだ。その信念は消えずに共にいたのに、しっかり向き合っていたかどうか、急に判然としなくなった。


 彼女を見送りGPSシステムを確認すると、ほど近い海辺を指し示していた。車の運転席に滑り込み、最短距離をひた走る。かける言葉を必死に検討したけれど、何もまとまらぬまま目的地に到着。車を止めて砂浜を歩けば、波打ち際に一つの影。座って夕焼けを眺める横顔が静かにこちらに振り向いた。

「あーあ、見つかっちゃった。君から逃げてきたのに」

 いつの間にか嫌われていたらしい。弁解の勇気も湧かぬまま、無言で隣に座る。捻り出した返答は、移動中に検討したどの言葉よりも安っぽかった。

「夕焼け、好きなのか?」

「好きでも嫌いでもない。でも朝日よりは好き」

「そうか」

「うん」

 職業柄の癖でさっと外傷の有無を確認。特に問題ないけれど首元に点在する小さな痣が目に留まった。

「あ、これ? 気にしないで」

「痛みは?」

「キスマークって知ってる?」

「ばっ、馬鹿にするな」

「ハハハッ」

 軽く砂を撫で、先を続けるエル。

他人ひとの温もりを感じてるとね、生きてることを実感出来るんだ」

「快楽故に?」

「そうじゃないよ。護英くんのえっち」

「………………」

「温もりを感じ取る肌、重みを受け止める体、それらを知覚する脳。全部一緒に体感するとね、思うんだ。ここにちゃんといるんだって」

「なるほど」

「いつ消えてもいいって思ってたのに、自分を感じたくなって、結果、自己嫌悪に陥る。自分で選んだことなのにね」

「後悔しているのか?」

「まさか。愚痴の一つや二つ許してよ。それに、後悔のいなし方は熟知しているから、したくても出来ないと思う」

「人として生きる以上、困難に思うが」

「ふふふ。君の基準に当てはめた場合はね。僕の基準はこう。過去はもう僕の足を引っ張れない。未来はもう、過去を基盤にした古い夢を見ない。制限をかけられるのは今の僕だけ。この先で後悔するか否かを選ぶのも僕次第。素晴らしいことだと思わない?」

「さあな」

 真隣で、隠す気の無い嘆息がこぼれていた。

「つまんない答え。ちゃんと考えてよ」

 言い終えぬうちにこちらに手を伸ばし、気づけば傾斜する私の体。両腕を砂浜に縫い止められ、追随するエルの重み。挑発の瞳で煽る君。

「キスマーク増やしてみない?」

「悪い冗談はやめてくれ」

「ふうん。やっぱり君はそっちの人か」

「分かりにくい」

「愛がなければ始められない人」

「当然だ」

「そう。じゃあ教えて。愛って何」

「それは……」

「好きだから好き、これだけじゃ何か不足なの? 絆や思い出、胸の中で消えない証拠を溜めてからでないと愛を証明できないの? 愛には形がないから証明も定義も不可能。違う? 形がないから形を得て永続して欲しいと人が望んでいるだけ。そう思わない?」

「……退いてくれ……」

「この体格差からして力ずくで退かせるよね」

 そんなの分かってる。分かっているのに。

 溢れ落ちた笑みは失望の証だろう。それを追う声音には僅かな苛立ちが滲んでいる。

「全部君のせいだ」

「……?」

「君といるとむず痒いんだよ。相性が悪いのかな。それとも、あるはずのない記憶が騒いでるのかな。とにかくやめてよ護英くん」

 言葉では責めながら、その瞳は憂いに満ちて。

「どうして。思い出せもしない過去を、僕はどうして、羨望するのかな」

 今の君には謝罪も励ましも意味をなさないのが分かった。ゆっくりと引き寄せられてくる唇を、拒むことが出来ずにいる。

 しかし触れ合う直前に軌道修正し、私の肩口に着地した。

「……意気地なし……」

 耳元で溶けた言葉は、どちらに宛てたものだろう。


 恐らく、それは。

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