冬野つぐみは泣き笑う
こちらは『冬野つぐみのオモイカタ』第四章までのネタバレを軽く含んでおります。
ネタバレは嫌! 読んでから来たい! という方は本編をお読みいただいた後に、こちらにお寄りいただけたらと思います。
今回のお話はつぐみ視点。
彼女の気持ちに寄り添っていただければ、嬉しく思います。
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笑っている。
私の目の前で、
沙十美の笑顔が好きだ。
緩やかなウエーブを描く美しい黒髪に、指を絡ませながら私を見つめてくる姿。
こちらの視線に気づくと、首を傾げ「どうしたの?」と優しく尋ねてくるその声。
そう。
全てが愛おしく、私には大切な存在。
「あ、来たわよつぐみ。じゃあ約束通り、イチジクとマンゴーを一口ずつ分けてくれるわよね?」
「え、約束? えっと?」
状況が理解できず、私は周りを見渡す。
いつも通っていた喫茶店の席に、私は座っていた。
店長さんが、トレーに載せたタルトを三つ、笑顔とともにテーブルへと置いていく。
「もう、ここに来るときに約束したでしょ? 私はチョコタルトを頼む。あなたは新作を二つ頼むだろうから、それぞれ一口頂戴ねって話をしてきたじゃない」
確かにその会話は、私の記憶に残っている。
けれども、この約束は叶わなかったはずのもの。
なぜならこの店に来る前に、私たちは……。
◇◇◇◇◇◇
目に映るのは、沙十美の姿ではなく、見慣れた
認めたくないという思いからだろうか。
夢であったと理解するのに、少し時間がかかってしまう。
あの日の私たちは、店に着く前に喧嘩をしてしまった。
『一緒にタルトを食べる』という約束は守られることなく、その直後に沙十美は……。
「……あぁ」
こぼれたのは言葉。
そして、目からあふれていくのは涙だ。
涙を拭いながら、私は顔を横へと傾けていく。
隣の布団では、親友の分身である少女がすやすやと眠っていた。
分かってはいる。
今の自分は、沙十美と二度と会えないわけではない。
この少女に願えば、彼女を通じこの世の場所ではない『
けれども沙十美は、この世界で一度『死んで』しまっているのだ。
肉体はすでに失われ、実体として存在できるのは
行方不明という扱いになっていることもあり、自身を知る人達と二度と会うことが出来ないのだ。
それはどれだけ苦しく、悔しいことだろう。
沙十美がこの状況を、どう受け止めているのかはわからない。
けれどもその事実に、彼女の力になれない自分に無力さを感じてしまうのだ。
声をこらえ、私はただ涙を流し続ける。
いつまでも泣いてたら、この子に気付かれてしまう。
私は、静かに布団を抜け出していく。
まずは、この泣き顔を何とかすべきだろう。
洗面台へと向かいながら、通りすがりにリビングの時計をちらりと眺める。
五時半というデジタルの文字が、まだ皆が眠っている時間であることを教えてくれた。
洗面台まで、誰にも会うことなくたどり着く。
蛇口を開き、私は顔を洗い始めた。
ひんやりとした水の心地よさで、次第に心は落ち着いていく。
タオルで顔を拭き、正面の鏡に映る自分の姿を見つめる。
そういえば、よくここで泣いているような気がする。
いや、洗面台に限ったことではない。
この家に来てから、私はどれだけ涙を流してきたことだろう。
沙十美が自分の手の届かない場所にいると知った時。
あるいは、ヒイラギ君の目を覚まそうとして、自分の不注意で襲われてしまった時。
その都度、起こってしまった出来事に対応できず、泣いていたように思う。
――でも、それだけではない。
先生を助けたいと、会ったばかりの
私の過去を知り、それでもこの家にいてもいいと、皆に認めてもらえた時。
自分が出来ることを少しずつ知りながら、私は喜びの涙もたくさん流してきた。
今まで起こった出来事は、決して悪いことばかりではない。
それを私は、知っているのだから。
そう思える冷静さは、取り戻せているようだ。
安堵の息をつくと、今朝のことを思い返していく。
夢の中とはいえ、思いがけず沙十美に会えた。
――でも、私たちは二度と昔のようには戻れない。
「だめ、そんなふうに考えたら……」
このままでは、また悪い方へと思いが傾いてしまう。
心が締め付けられるような感覚にとらわれ、思わず胸に手を当てる。
「おい、まだ使うのか?」
突然、後ろから掛けられた低い声に、「ひゃあ!」と間抜けな悲鳴が出てしまう。
近くに来ていたことに、全く気付けなかった。
いつから見られていたのだろう。
その恥ずかしさもあり、背を向けたままで相手へと返事をしていく。
「おはよう、ヒイラギ君。ごめんね、すぐに交代するから」
今しがた、顔を洗い終えたかのようにふるまわなければ。
顔を拭くふりをしながら、目の隅に留まっていた涙をぬぐい、私は振り返る。
妙な悲鳴のおかげで、悲しみの感情は隅に追いやられたようだ。
震えた声などではなく、いつも通りの口調で私は彼と会話を続けていく。
「今日は早起きだね」
「ん、まぁな。俺、今日から夏期講習なんだよ」
「そうなんだ、がんばってね! じゃあ、今日の朝ごはんは気合い入れて作るからね。あ、洗面台どうぞ!」
私は斜め前へと足を踏み出し、ヒイラギ君に場所を譲ろうとした。
ところが彼は私の手を掴むと、真剣な表情で見つめてくる。
「あのさ。……お前、何か困ってんのか? 今のお前、いつもと違うんだよ」
言い当てられてしまったことで、すぐに声を出すことが出来ない。
私からの答えがないことに、戸惑いを見せながらも彼は言葉を続けていく。
「冬野はさ、すごい観察力を持っているよな。今までその力で、俺たちは何度も助けられたよ。……でもな」
ほんの少し、彼の指先に力が入る。
けれども、痛みを感じるほどではないもの。
そんな些細な行動にも、彼の温かな気持ちが伝わってくる。
「お前自身には、それが全く使われないんだよ。本当はもっと、自分を大事にしてほしいんだ。そっ、それが難しいっていうのであれば」
言葉を探すようにうつむき、ヒイラギ君は話を続ける。
「なんかあれば言え! お前に元気がないと、俺は、……じゃなくって! みっ、皆が心配するんだよ」
怒ったように語るその言葉は、勢いとは正反対の、優しさに満ちているものだ。
私はそんな彼の手に、そっと自分の手を重ねていく。
「ありがとう。……ありがとね、ヒイラギ君」
突然の行動で、かなり驚かせたようだ。
がばりと顔を上げた彼の顔は、赤く染まっている。
「ま、ま、まぁあれだ! 相手のことを見ているのは、お前だけじゃないんだ。だからな、えっとそのなんだ……」
私を慰める言葉を、探してくれているのだろう。
空いた方の手を、ヒイラギ君は先程からずっと上げ下げしている。
普段の彼からは見ることのない行動に、私はくすくすと笑いながら気づくのだ。
あぁ、私を見守ってくれている人がここにいるんだ。
なんて、幸せなことだろう。
嬉しくて見上げれば、私の顔に浮かんだ笑みを見て、ほっとした表情になっていくヒイラギ君と目が合った。
「いいか、心が疲れてしまう前にだぞ。俺でなくてもいいから、もう少し周りに頼れ。それをみんなは望んでいるんだからな」
恥ずかしそうにしながらも、教えてくれた気持ち。
それが自分には本当に嬉しくて、愛おしくて。
だから私は、彼に一番伝わる方法で答えてみようと思う。
それは笑うこと。
たくさんたくさん、笑うんだ。
私の前にいてくれる、この人たちと共に。
今の自分には、こんなに心を温かくしてくれる人がいる。
そうして同時に知るのだ。
――わたしは、もう一人じゃないと。
笑っているはずなのに、どうしてだろう。
まるで今までの悲しみが溶けたかのように、涙が次々とこぼれていく。
「ふ、冬野? どうした! どっか痛いのか?」
「ううん、違うの。たぶん、これでいいんだと思う」
そう、これでいいのだ。
こんな自分を、ここにいる皆は認めてくれる。
この幸せをしっかりと感じ、これからも皆と一緒に笑って、そして泣いて。
もっと皆に、私を知ってもらおう。
そして、もっともっと。
皆を大好きになっていこう。
あぁ、そうか。
今度、沙十美に会ったらそうすればいいんだ。
いっぱいいっぱい抱きしめて、きっとそれで「しつこい!」って怒られて。
それでもいいから、聞いてもらおう。
『あなたは、一人じゃない』ということを。
沙十美のことが、大好きだということも。
涙を拭うと、私は笑い、そして願うのだ。
この大切な時間を、瞬間を、皆と一緒に重ね合わせながら。
――これからもここで、幸せや喜びを見つけていけますようにと。
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お読みいただきありがとうございます。
こちらのお話はたねブン様のコラージュアートから書かせていただきました。
作品が生まれるきっかけを下さったたねブン様へこの作品を捧げつつ、感謝を申し上げます。
本編の方はなかなか不穏ですが、つぐみの行方と結末をこれからもお楽しみくださいませ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
冬野つぐみの『IF』なオモイカタ とは @toha108
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