人のやさしさがじんわりと心に沁みた話

一之森 一悟朗

単話 人のやさしさに助けられた話

 まだ大学生だった頃、ある秋の夜に部活仲間を集めて飲み会を開催した。

何か特別な理由があって開催した訳でもなかったが、慌ただしい大学生活を送る中で久しぶりの息抜きとなる飲み会は大いに盛り上がった。

 終盤になってふと横をみると、同級生が1人、テーブルに突っ伏して、ぐでんぐでんに酔っぱらっていた。

 その酔っ払い学生は、飲み会が終了した居酒屋の道端で、大の字になって寝転んだ。本人は、至極気持ちがよさそうに大声で奇声をあげている。道端で寝ている本人を除き、その場にいた全員が黙って私の顔を見る。

 彼も私も電車通学で、帰宅方向が同じであることは部活内における周知の事実だったので、当然のことながら、私が彼を連れて帰ることになった。

 

 当時の私はごく一般的な標準体型ではあったものの、自分より10 cmあまり背が高く、体重が1.5倍ほどもある酔っ払いに肩を貸しながら歩くことはひと苦労だった。隙あらば路上で寝ようとする彼をなだめ、足元のおぼつかない千鳥足の彼に声をかけながら、何とか最寄りの駅までたどり着いた。

 ホームに滑り込んできた電車の車両ドアが開き、嫌がる酔っ払いをなかば引きずる様にして、やっとの思いで電車に乗せた。


 ところが電車に乗って数駅を通過した頃、彼はつぶやいた。


「うぅ。気持ちわりぃ。吐きそう」


 彼が降りる予定の駅まではまだ遠い。

 仕方なく、私たちは次の駅で降りた。

 駅のホームのベンチに座らせて、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを手渡す。外の風にあたってもらえば、酔いも少しは醒めるだろうと考えたのだ。


 ところが、ベンチに座って間もなくすると、小さなうめき声が聞こえてきた。


「うー。うえええ」

 彼が胃の内容物を吐いてしまったのだ。


「おい、大丈夫か?」


「わりい。ちょっと飲み過ぎた。でも水飲んで吐いたら少し楽になった」


 彼の持っていたカバンには吐しゃ物が付着していた。何か拭くものはないか、自分のリュックの中身を探った。しかし普段からポケットティッシュなど持ち歩く習慣のない自分のリュックの中身の探索に絶望していたその時だった。

 30歳くらいだろうか。

 スーツを着たサラリーマンとおぼしき男性が近づいてきて、私にポケットティッシュを差し出した。

「これを使ってください」


「ありがとうございます。とても助かります、でも、良いのですか?」


「こういう時はお互い様ですよ。ぼくも酔っぱらって同じような経験をしたことがありますから」


 私にポケットティッシュを渡した男性は、「タクシーで帰るか、どなたか車で迎えに来てもらった方が良さそうですね」と云い置いて、駅の改札口へと去って行った。


 その後、私は駅員に頭を下げて吐しゃ物の処理をお願いした。

 少し酔いが醒めたらしい酔っ払いから幼馴染の連絡先を聞き出して連絡をすると、駅まで車で迎えにきてもらえることになった。夜遅くの急な連絡だったにも関わらず、駆けつけてくれた彼の友人に謝意を伝えた後、無事に酔っ払いの身柄を引き渡すことができた。

 まだ若かった当時の自分にとって、見ず知らずの男性のさりげない心配りが身に沁みる出来事だった。あれから10年以上が経った今、自分もそんなやさしい社会人になれているだろうか。

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