第26話
それはアップの激しい早いテンポで。僕は捻り曲がった微笑を、その音がする方向へさらした。
ウィズが拳銃を片手に、疾走しているのが確認できた。紺色の制服が、汚れに汚れ、もはや黒に近い。それに彼の息切れが激しい。かなりの距離を移動したのだろう。
すると彼は僕達の姿、光景を見て、車のヘッドライト辺りで、一度立ち止った。そしていつもしっかりとした頬骨を外し、唖然とした顔つきを見せつけた。まるでスプラッター映画を見た後の、思考が追い付かない観客のように。しかし国際警察は慣れている。数秒で顎が戻り、元通りの真面目な顔つきになった。
その後、ゆっくりと僕の方へ歩んでいく。「どうした、カズヤ?ようやく貴様の願いが叶ったのに。そのイカれた顔つきは。」「少し頭がおかしくなりそうになった。」僕は落ち着きを取り戻そうと右手で、汚れが染みついた髪をさっと擦った。
「そこのお嬢様に狂わされたのか。可哀そうな事よ。」と、ウィズは疲労と呆れを含んだ、澱んだため息を吐きながら、そう喋る。僕はそれを聞き、鼻根を強く掴み、暗いコンクリートの床をじっと見つめた。
瞑想しているようだった。僕は荒ぶった気持ちを落ち着かせる。そして重い一呼吸を置き、顔を素早く上げた。ウィズがいない。僕は彼がいそうな、ハイドの死体がある方へ顔を捻る。
予想通りだった。ウィズはさっき僕が立っていた場所で、彼の死体を見下ろしていた。両目が残念だと、深い息を吐いているように見える。
「これがあの偉そうにしていた首領の姿か…。死ねばどれだけ丈夫だったとしても、こうやって萎んでしまう。まぁ、当の本人は知らないからいいんだが。」ウィズは唾を吐く勢いの捨て台詞を、ハイド向けて吐いた。
そして満足しきったのか、ウィズは僕の顔を見つめた。その過程、残念そうな目から、殺意のこもった刺すような目つきへと変貌する。僕はその目つきを、呑み込むかの如く覗き込んだ。
「さて、首領は死んだ。これから貴様の処分について考える。」「死刑宣告を喰らうのは初めてだな。」僕はポツリと呟く。
「なら、味合わせてやろう。」ウィズは制服の内ポケットから、素早い勢いで拳銃を取り出す。ハンマーの引く音が、嵐が去った後の埠頭に産声を上げた。しかし僕にとっては、耳にタコができるくらい聞いた音色だった。
「もしかしたら、フォド壊滅の免罪として許してくれると思っていたが…。」と、僕は言う。期待と慈悲の眼差しを、ウィズの両目へと訴えかけながら。しかし無意味だった。銃口は興味津々に見つめる。
「疲れているらしいな…。しかし安心しろ。もうすぐ肩の荷が下りる。」ウィズは無感情に淡々と話す。そしてトリガーに、そっと乗せてあった人差し指を奥へ押しやった。
咆哮が唸る。付近で羽休めをしていたカモメ達が、その音に反応して一斉に空へ羽ばたいた。僕はそのカモメ達が目に映る。と、同時刻。弾丸が潮風を切り、僕の目の前へと現れ出た。一秒も経っていなかった。
ガンと、まるでハンマーで思いっ切り叩いた音が響く。僕は身体の力が抜け落ちたせいで、反動に耐えれなかった。縄で引っ張られているかの如く、お尻から硬いコンクリートへ激突する。
またも激痛が走る。しかしそれは心臓からではなく、左腕からだった。僕は顎の骨が外れた。鼻孔が酸素を求めている。心臓の鼓動が鳴っていた。
「殺したな。これで積年の恨み、そして腕持ちの殺害は完了だ。」ウィズの声が耳元から聞こえてくる。しかし僕の目線は青い空だった。雲がまた形を変えている。
だがその空は一瞬の内に黒く染まった。ウィズの顔が現れ出る。「意識が飛んでしまったか?」「少し瞑想をしていただけだ。」僕は念仏のように、そう唱えながら、首を左右へ振る。まるで犬が水気を飛ばす動作のように。そして両足の太ももに力を籠め、ぐいと立ち上がった。
それを見たウィズは、しっかりとした足取りで、僕の方へ歩み出る。「瞑想ならば廃屋でした方がいい。」「ならば廃屋へこもりに行こう。」僕は彼の姿を見たくなく、明後日の方向へ視線を変えた。
カモメの大群が至る所で飛行していた。銃声の音色は余程、彼等の心に届いていたようだった。そして僕は体をも、視線が向いた方向へと変える。両足を、無意識的に前へ出す。
するとさっきまで、息の根をひそめていたアムの声が聞こえてきた。「あら、行くのですか?」それでも彼女を顔は僕の瞳に映らなかった。ただ黙って肯く。「ならばお供しましょうか?」「いいや、一人でいい。怪我人を連れて行くのは僕の信条じゃない。」
「ならば後で追っかけていきますわ。」「無駄だ。見つからないさ。大人しくハイドの遺産で暮らすんだな。」僕はまるで感情と言う物を忘れた素振りを、彼女へ向けてふるまった。
アムは黙り込む。それは僕の振る舞いに心痛めたのか、それとも話すのが馬鹿馬鹿しくなったのか、分からない。僕は返事が返ってこない事を知ると、また歩み出した。
ハイドの死体の前を通る。僕は立ち止り、見物する。まるで田舎道の途中に立つ、地蔵を見る目の如く。生前の趣は一行に感じられなかったが、それでもまだ張りがあった。しかしそれも時間の経過で腐っていくのだろう。
僕は満足した。心の内がすっとした。やはり目的を達成してしまったら、否応にも感じてしまう。しかしまた別の心のうち、あほらしさも感じていた。
そんな心の複雑な絡み合いを遠目で見ながら、僕は歩を進めた。目の前にはコンクリート。その奥には海が広がり、醜い老朽化の進んだ鉄の端がその合間に掛っていた。
さらに左端に第四地区の街並みも見える。もはや地区自身が光をともさなくても、太陽が代わりに照らし出していた。
僕はその橋へと昇ろうと、右へ曲がる。四メートル先に橋へと繋がる、屋外用螺旋階段が存在した。アルミ製で傷ついているが、威厳を醸し出している。
僕はその階段の合間にある、真っ直ぐ続コンクリートの道を通っていく。海から吹く冷風が僕の背中を押していく。そして着き、アルミの上を遠慮なく踏んで行った。
太陽へと一歩近づく。橋の上に引かれている歩道、車道。誰一人として通ってなかった。赤茶色の道が向こう側まで続いている。僕はその上をただひたすら歩く。日の光が僕の体へ当たり、北西の方角へ長い影が、道路沿いに映し出された。
真ん中辺りまで歩いた時、埠頭の方へ目を移す。ウィズとアムが何やら話し合っていた。それに僕を見つめている。しかし遠くて表情は分からなかった。
また歩き出す。前を見つめて。そして僕は橋を先、ノーヴィル第四地区へと踏み入れた。これからまた大変になると、ため息を吐きながら。
廃坑の町 @sik21
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