【カクコン参加記念ss】それから 、二人は

 神社の鳥居の前で待つ詞が目に入った葵は、鼓動が速くなるのにつられて駆けるように足を動かした。間近で見た姿に変わりがないことを確認して深く頭を下げる。


「明けましておめでとうございます」

「明けましておめでとうございます」


 すみません、遅くなってと申し訳なさそうに付け加える詞に、葵は首を振る。


「大丈夫です。一緒にお参りができるなんて思っていなかったので」


 口から出た後に、やってしまったと動きを止めた。詞が無理に笑ったからだ。彼なら、葵の動揺もつぶさに捕らえてしまうだろうが、平静を装うほど器用ではない。けれども、何に気遣わせてしまったのか、葵には見当がつかなかった。

 ひと月に一度、会えればいいほど、春の再会から会えた数は両の手で足りる。葵が忙しいということもあるし、詞の予定が見通せないことも原因だった。わずかな時間で常に平静を装う詞の考えを察するほど、葵はかしこくない。

 重い空気を払うように詞が葵の背を押す。


「葵さんはどんな正月を過ごしましたか」


 触れた背から心臓が飛び出したのではないかというほど驚いた。顔に熱の集まる葵を知ってか知らずか、すぐに手は離れていく。

 学生の頃とは違う距離に戸惑いつつ、肩を並べた。

 参道を歩く詞は口元に弧を描き、何喰わぬ顔だ。

 呼吸を調え、訊ねられたことを反芻した葵は言葉を探す。


「えっと……、特に、変わりはないです。正月にはお休みをいただいて、家族とゆっくりしました。姪っ子と福笑いをしたり、御節おせちをいただいたりして……今年の黒豆は結構、好評だったんです。豆がおいしかったんでしょうね」


 話をひねり出そうとしたが、それぐらいしか思い出せない。二日からは実家の呉服屋が初売りだったため準備に追われ、冬休み明けには本職に追われ、常に何かに追われてた気がする。唯一の話題である旧友たちとの初詣で詞のことを問い詰められたなんて、口が裂けても言えるわけがない。

 佐久田さんは、と言いかけて葵は口をつぐんだ。『詞』と呼んでほしいと言われたし、私生活を訊ねていいものかとも悩む。


「料理、されるんですね」

「……まぁ、それなりに」


 詞の相づちに葵は言葉を濁した。女中も雇えないような貧乏商家だからですとは言わないでおく。

 葵の場合、友人達を助けるぐらいの力はある。お嬢様な二人に振り回されたり、一人で空回ったりして、記憶が曖昧だけれども。

 そういえば、料理を馳走してくれと言ったのは詞だったか。冗談だと思ったので、形にはならなかった約束ではあるが。

 境内に入ると、ほとんど人がいなかった。正月がすぎて幾ばくか過ぎているせいか、宮司と数人の巫女、彼らよりも少ない参拝客が散らばっている。

 詞が幼い頃から世話になる神社なので、葵は勝手がわからなかった。

 何処にお参りをすればいいのかと、目配せしていた葵の耳が小さな声を拾う。


「あの」


 言い淀む詞にむかって葵は振り返った。聞き返すよりも先に、物影から出てきた人にぶつかられ、よろめく。倒れるところを詞に左肩を預ける形で距離がなくなった。右肩から背に回った力強い腕に途方にくれる。葵は言葉の通り、石になった。

 ぶつかった張本人はよほど急いでいるのか軽くわびて立ち去っていった。

 はっと気を取り戻した葵は手をあげ、どこにやるべきかわからず、行き着いたのはショールの合わせだ。自分の拳を見下ろし、うまく回らない口を無理に動かす。


「すすすすみません、けけ怪我は」

「いえ」


 肩に添えられた手は離れなかった。息も聞こえてしまいそうな距離に目眩がする。ほとんど誰も見ていないとはいえ、無言は息がつまりそうだった。耳に息がかかり、鼓動がはちきれんばかりに暴れだす。

 澄んだ空気が二人の髪をゆらし、肌をなでていった。

 幾ばくか時間が過ぎれば葵も冷静さを取り戻す。一番に詞が心配になり、意を決して顔を上向かせた。見上げた顔は鳶と同じ髪に隠れてよく見えない。かすかに見えた隙間からは深い傷痕がのぞいた。

 痛ましい痕に胸がしめつけられる。どうしようもないことなのに、なぜ何もできなかったのか、できないのかと責める言葉が脳裏に浮かんだ。

 無意識に傷に触れようとした直前、詞が身じろきする。


「負担で、なければ、葵さんの料理をいただいてみたいのですが」


 弱々しい願いは、葵を赤面させるのに十分だ。伏せられた瞳が探し求めるよう揺れている。

 葵はきちんと応えられるかの不安を堪え、強ばる目尻に触れた。できることがあるのなら、叶えてあげたいと思う。


「対したものは作れませんよ」

「作ってくれるんですか」


 ぱっと上がった鳶色の瞳はわずかに輝いていた。控えめとはいえ、こんなに無邪気に喜ぶ姿は見たことがない。

 きゅっとなる胸を押さえた葵はゆっくりと頷く。


「わ、わかりました。善処しましょう」

「善処してください」


 葵をまっすぐに立たせた詞の手が肩から離れた。

 何処で誰が見ているかわからないのに、名残惜しいと感じる。

 行きましょうか、と詞が促した。

 握りしめた拳に力を込めた葵は、そばにある顔を見上げる。


「佐久田さん、あの」

「葵さん、詞です」


 一瞬見えた目尻には皺がよっている。うれしい時にする癖だ。

 なぜ喜んでいるのだろうと疑問を抱きながら、葵は言い直す。


「ちゅ……つ、つかさ、さん、食べたいものはありますか」


 ゆるく弧を描く口から吹き出た空気が聞こえてしまった葵は沸騰しそうな心地だ。視線を他所にやって、やり過ごす。


「葵さんが作るものならなんでも」


 口元を拳で隠した詞の声音は真綿のようにやわらかい。

 くすぐったく感じながらも、葵は眉尻を下げる。


「きちんと答えてくれないと困ります」

「それなら……肉じゃがを」

「……他にはありますか」


 んー、と困ったように笑い、あごをあげた顔から、前髪が流れた。額には皺が刻まれている。


「かぶの味噌汁?」


 楽しげに言った詞の前に葵は回り込んだ。戸惑いを見せる顔を両手ではさむ。

 見開かれた目とまっすぐに見上げる目が一本の糸で繋がれたような気がした。

 葵は目を離さないまま、心の底から願う。


「嘘、つかないでください」


 彼が嘘をつく時の癖を見逃すはずがなかった。

 破顔した詞は敵いませんね、と続ける。


「玉子焼きが食べたいです」


 頬を挟む手の片方に筋ばった手が重なった。かさついた指先が震える指をなでる。綺麗な文字を書くのにふさわしい手をしていたはずだ。

 葵が空いている方の手で、髪を何房か耳にかけてやった。鳶と同じ色を持つ瞳が現れる。やさしい光を宿していたはずなのに、瞼から斜めに横切る傷で伏し目がちになってしまった。

 さみしいと思ってしまうのは、自分のわがままだろう。

 葵は遠くはない記憶を掘り起こして、くしゃりと顔を歪めた。きっと、やさしい色を宿した人は、些細な思い出を覚えている。


「……それ、かぶの出汁入りですよ」

「そうなんですか、知りませんでした」


 詞も同じことを思い出しているのかと思うと目頭が熱い。

 自然と出た笑い声は葵の心を後押ししてくれた。手を離して、明るく努める。


「一汁三菜を再現しましょうか」

「卵焼きだけでいいですよ。大変でしょう」

「では、張り切りすぎない程度でいかがでしょう」

「では、お言葉に甘えて」


 再び歩き始めた二人の笑いが重なる。


「しっかり、ご飯食べられていますか」


 葵はいつも疑問に思っていたことを口にすることができた。

 穏やかな顔に、またわずかな皺。


「まぁ、それなりに」

「嘘、ですね」


 困った生徒に向けるような目が詞に向けられた。

 詞は白状する未来は決まっていたも同然だ。


「……一人だと面倒で、時々食べなかったりはしますが、まぁ、それなりに」


 ほろ苦い笑いを伴った歯切れの悪い言い訳だ。

 嘆息をしたいのを我慢した葵は小首を傾げる。


「日持ちのするものを作りましょうか」

「仕事が大変でしょう」

「物覚えは悪くはありません。すぐに早く終わらせるようにしてみます」


 揺るぎない言葉に詞は仕方なく笑って降参した。

 賽銭箱の前に並んで、銭を投げる。遠慮する葵は笑顔で促され、鈴を鳴らした。

 手を合わせ、必死に願い事をしていると時間を忘れていた。詞に見つめられていたと気付き、ごまかすように御神籤おみくじの方を指差す。


「おみくじ、やられたことあります?」

「いえ。吉とか凶とか、運を占うと小耳に挟んだことはありますが」


 葵が先導して御神籤を引き、詞も習った。

 期待と不安をにじませる葵に小さな問いが投げ掛けられる。


「どんな願い事をしていたんですか」

「……教えません」

「あまりにも真剣だったので」


 気になってしまってと続く声はやわらかい。

 葵は、うぅと今度こそ唸った。遠慮がちにねだる所がまたずるいと指摘できるほど、厳しくなれない。

 詞さんだから教えるんですよ、と前置きをした口はきゅっと結ばれて、また開く。


「料理が上手になりますように、と」


 お願いしました、と続けた声は消え入りそうだった。



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