【おまけss】終章のあと

 葵は首を傾げた。何度見ても、山瀬の顔が佐久田の顔に変わったからだ。長い前髪で見えなくなっているが、きっと瞳も鳶色に違いない。


「山瀬さんが佐久田さんに見えます」


 ぽつりと落ちた呟きに、佐久田は動きを止めた。二回程瞬く時間を置いて、ああと呟く。


「幻術を見破った人には、本来の姿が見えるそうです」


 葵の戸惑いを感じ取った佐久田は淡く笑って補足する。


「詳しくは言えませんが、僕は死んでいることになっているので外に出る時は姿を変えないといけません。腕時計に術が施されているので、つけることによって『山瀬』の姿が取れるようになっています」

「私も腕時計をつけたら『山瀬』さんになれるのでしょうか」

「それは難しいでしょうね。仕組みはわからないのですが、僕以外がつけると普通の腕時計のようです」


 なるほどと頷いた葵は佐久田が見えやすいようにしてくれた腕時計を観察した。説明を受けても特別な所はないように見受けられる。


「どうして、僕だと気付いたんですか」


 耳のそばで響いた声に驚いて、距離を取ってしまう。誤魔化すように顔をあらぬ方へ向けたが、佐久田には無意味なことに気が付いた。

 佐久田は何も言わない。

 根負けした葵は目だけを戻し、口を尖らせる。


「……軽蔑しません?」


 真に迫る声に佐久田はすぐには返すことはできなかった。顔も姿も、声まで変えていた。熟考した佐久田は神妙に頷く。


「……おそらく」

「言いたくなくなりました」

「……残念です」


 葵のすげない返事に佐久田は肩を落とした。いつにない反応に葵の確固たる心が揺ぐ。

 桜の花びらが降り積もる時間だけが過ぎていった。佐久田は微動だにしない。

 視線をただよわせた葵は鳶色の前髪の隙間から額から瞼にかける傷跡を見付けた。その傷が喉をかすりでもしていたらと想像して時は一瞬なのだと考える。


「今回だけ、特別ですよ」


 ぱっと輝いた顔に葵は白旗を上げた。一生勝てない気がしたことには目を向けないようにする。


「最初に会った駅の時にはおかしいな、って思ってたんです。……軽蔑しません?」

「はい」


 二回目の問いに佐久田は間違えなかった。

 俯いた葵は聞き取りづらい声で答える。


「匂い、です、それから、次にお会いしたと、き、に――な、何ですか、何なんですか、その反応!!」


 口元を手の平で隠した佐久田を見た葵はわめきたてた。顔が湯立ち、恥ずかしすぎて涙がにじむ。


「え、あ、変な顔してましたか。可愛らしいなと思っ……聞かなかったことに……ああ、嘘じゃないです、本心ですから」


 顔を俯ける葵の頬に手が添えられる。親指で涙をぬぐわれ、熱が同じぐらいなことに安心した。胸が苦しくなるが、この痛みは嫌ではない。


「……軽蔑されていないことはわかりました」

「恥のついでです。他の理由も知りたいです」

「歩き方とかで間違いないだろうなって」

「よく見てますね」

「逆に見ていないんですよ」


 佐久田は不思議そうな顔をしている。


「目が悪いと、匂いや音、人の姿勢や歩き方の方が記憶に残るんです。細部が見えませんから」

「見えないことも、役に立つこともあるんですね」


 感心したように頷く佐久田に葵は春の陽射しのような笑みを浮かべた。

 草がゆれ、遠くでさえずりが聞こえる。

 吸い込まれそうな空を飛ぶ色の瞳に手をのばした。額の傷跡にやわらかい指先が掠める。


「見えないことも私が伝えますから、一緒に見ましょう?」


 桜の花弁のようにさらりと耳に届いた言葉に佐久田は胸が熱くなった。





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