弐拾肆 真相

 葵の耳に扉が開く音が届いた。汽車で運ばれたのは二時間程度だ。もっと遠くに連れていかれると震えていた葵は一先ず安心した。

 山瀬や匠が助けてくれると信じるしかない。

 再び馬車で運ばれ、扉の蝶番が動く音が聞こえた。何処かの屋敷に連れてこられたようだ。階段を上り、部屋に置かれたのを感じとる。

 極度の緊張で意識を手放していた葵は窮屈な箱の中で目を覚ました。人の気配がしたからだ。何事か話し込んではいるが、声が小さくて聞き取れない。

 しばらくして、箱が開けられる気配がした。息をひそめて身を固くしていると胴を結ぶ縄が切られ、体を起こされてから麻袋を外される。

 闇に慣れていた目に黒い洋服を来たフミがはっきりと映った。


「大丈夫そうだな」


 安心させるように微笑んだフミは葵から離れて、恵子の元に向かっている。

 状況について行けずに固まっていると、口と手の縄もほどかれた。フミと同じ格好をした妙齢の女性がてきぱきと片付けている。何処かで見たことがあると思えば、三浦邸の女中だ。黒い服はエプロンを外したお仕着に違いない。

 他の女中に麻袋を外された恵子も動きを止め、こぼれるぐらいに見開いた目でフミを凝視した。

 規則正しい寝息が葵の耳に届き、視線を落とした。寝転がる紗代の無事を確認して胸を撫で下ろす。

 最後に肩に毛布をかけられた葵は詰めていた息を細く吐き出した。小刻みに震えていた体を律し、紗代が寒くないように毛布と一緒に抱き抱える。

 悠長に室内を観察していたフミが振り返り、まるで朝食の内容を言うような軽さで口を開く。


「助けに来たぞ、お姫様達」

「フミさん、その冗談笑えないわ」


 申し訳ないが、葵も恵子の言葉に頷いた。

 するどく突っ込んだせいで痛むのか、恵子は腫れた頬に指先を当てている。


「三文芝居をするいい機会だと思ったんだが」


 つまらないとでも言うようにフミは口をへの字に曲げ、まぁ、いいかとすぐに気を取り直す。


「部屋を移ろう。ここに居たら、いつ敵が来るかわからないからな」


 女中が先導して、移動した葵達は二つ離れた部屋に身を隠した。

 移動を終えて安心していると、最後に入ってきたフミが閉じた扉へ向き直り、話しかけ始める。


「三人とも無事だ。作戦通り、全てが終わるまでここで待機する」


 奇抜な行動に葵と恵子は目を見合わせたが声は真剣そのもので、ふざけているわけでは無さそうだ。女中達も平然としていた。

 顔をしかめていた恵子がフミに食いかかうとした時、遠くで何かを破壊する音が響いた。

 音をした方を睨んでいた恵子は疑問をぶつける。


「どうなっているというの。説明して頂戴」


 フミは少しだけばつの悪そうな顔をして埃を被った机に寄りかかった。近くに置いたランタンで闇から浮かび上がるように照らされている。


「恵子さんに手を上げた悪漢に鉄槌を下しているのさ」

「……どうしてフミさんが知っているのかも知りたいわ」


 壊れた人形のように首を傾けたフミは、閉じていた目を開けた。一から説明しようと口火を切る。


「まず始めに、私は最初からおかしいと思っていたんだ。なぜ、恵子さんは調停の情報を手にいれることができたのか。なぜ、佐久田の戦死を知っていたのか」


 フミは恵子に目を向けた。


「以前から知っていたんだろう、恵子さん」


 恵子は驚きもせず、どうしてそう思うのと問うた。

 フミの顔には咎める色はなく、応えを求める素振りもない。ただ淡々と言葉を紡ぐ人形のようだ。


「見計らったように情報を知っていた、が大きな理由だな。家族が関係者とはいえ、軍人でもない一個人が知っている内容ではなかった。事実、恵子さんが調べられる範囲は限られている。父も次兄も戦に出ていたのだから情報の出所はひとつ――長兄が仕入れた機密情報を盗み見たと考えた方が自然だ」


 垂れてきた髪をフミはかけ直す。顔にできた影が一瞬深みを帯びた。


「ここまで来てもまだ不可解な点があるだろう? 調停の話は戦争の動向を知りたいで説明がつく。では、なぜ、わざわざ『佐久田』の死を調べていたのか。入隊したばかりの男をわざわざ調べる理由はない。『佐久田』は他と何が違うのか――簡単に答えは出る『異能持ち』達の情報を集めていた、とね」


 足を組み直したフミは後ろに手をついた。筋を伸ばすように、ゆっくりと背中を倒す。


「我が家に泊まりに来た日、私が神隠しの話を振ったこと覚えているか? 実はな、鎌をかけたんだ。異能持ちは軍に置かれることも多い。神隠しの犯人だと確信はできたくとも、恵子さんが白か黒かをはっきりさせたかった」

「何て言ったか忘れたけれど、白と判断されのね」

「恵子さんも態度に出やすいからな。純粋に話に乗ってきたから私は胸のつかえが取れたよ」


 だから、と目を伏せたフミは着実に真相を切り取っていく。


「長兄だけが黒だと考えた」


 大きく息を吐き出した恵子は清々しいとも取れる諦めた顔をした。正解、と小さく呟く。


「お兄様はね、異能ばかりが誉めそやされるのが嫌いだったの。まさか、神隠しをするまで嫌っているとは思わなかったわ。情報を勝手に盗み見ていた私が言うのも何だけどね」


 葵とフミは静かに耳を傾けた。

 恵子は自虐的に笑って悔いるように顔を歪ませる。


「悪いことをしていると知っていて、私は止められなかった。お兄様に逆らったら大変な目に合うもの」

「正しいとは思えないが、君の今の姿から判断しても賢明な選択だったと思うぞ。私から言わせてもらえば、父も次兄も、長兄の行動に早く気付くべきだった」


 闇よりも深い色に染まった恵子の瞳にフミの不敵な笑みが映る。


「安心しろ。恵子さんの無事は私が確保した」

「……嘘よ。よくてお家の取り潰しよ」

「私が協力することで、佐久田兄に約束させたんだ。いいように計らうだろう。これでも評価はしてやってるんだ。恵子さんを楼閣すれば簡単に情報が入ったかもしれないのに、そうしなかったからな」


 戸惑いを隠せない恵子を眺めて、フミは釘を刺す。


「でも、あの男はやめておけ。葵さんをおとりに社会の膿を排除する外道だからな」


 今度は葵が驚く番だった。

 葵の様子を一通り楽しんだフミは刺を含んだ妖艶な笑みを浮かべる。


「私達にだって知る権利があるだろう? 暴露してやるよ、あいつの悪行を」


 言葉を失う葵を置いてけぼりにしてフミは話を転がしていく。


「半年ぐらい前からやけに目障りな奴らがいなくなったと思ってたんだ。葵さんから護衛をつけられていると聞いて調べてみたら案の定だ。に寄ってきたやましい奴等を吊るしあげていたんだよ。いい根性をしている、全く」


 まぁとフミは一呼吸を置く。


「今回のように、一旦、鳴りを潜めてかわした奴等もいたから本命を捕らえるまでは至らなかったみたいだけどな」


 気に食わないという顔でフミが話を切った。

 葵は教師に正否を確認してするようにゆっくりと訊ねる。


「もしかして、私が駅で落とされそうになったのも、恵子さんから遠足に行くと聞いて……?」

「その可能性が高いな。分が悪いと見て、そこから身を隠したんだろう」

「じゃあ、どうしてまた行動し始めたっていうの」


 恵子の指摘にフミはよくできた生徒をほめるように目を細める。


「葵さんの周りにある人物をうろつかせたからさ」

「……誰も見てませんよ?」

「本当に会っていたら、また叱られるぞ」


 葵が問いを重ねようとした時、近くの扉で断末魔が聞こえた。

 女中が一言言い置いて、確認しに行く。


「きちんと作戦をこなすと言っておきながら、これか。愚鈍め」


 扉に向かって吐き捨てたフミは、のんびりしている暇は無さそうだなと呟いた。伏せていた目を上げて、入室した時と同様に誰もいない場所へ呼び掛ける。


智昭ともあき聞いている・・・・・だろう。ちょっと来てくれ」


 聞きなれない名前に葵と恵子で目合わせをしていると、五分ほどで扉が叩かれる。


「俺だ、入るぞ」


 その言葉と共に入ってきた男に葵は覚えがあった。鬱蒼とした後ろ髪は一つに縛られていたが、心配になるほどの長い前髪はそのままだ。小間使にするな、とすがめられた瞳は紫色に煌めく。


「逃道を探ってくれ」

「何処も乱闘中だぞ」


 フミの命令に智昭は渋った。


「安全が保証されないなら、ここにいたって変わらないだろう」


 痛烈な返しに舌打ちした智昭は、恵子、葵と部屋の全体に目を滑らせる。


「人が多すぎる。せめてもう一人護衛が――」


 全てを言い切る前に智昭は口を閉ざした。遅れて女中が戻ってくる。


「行くぞ」


 フミは問答無用に告げた。

 猫背がちな肩をさらに下げた智昭は部屋の扉を開ける。左右を確認して、顎をしゃくり出るように促した。

 智昭の先導の元、暗い廊下を進む。時に階段を降りる男達を廊下の影でやりすごし、倒れている男を飛び越えた。

 不気味に感じるほどに、誰とも遭遇することなく、外に出る。月は雲に隠れ、雪は止んでいた。

 離れた所に馬車が停めてあるというので、そちらに足を向けた時、智昭が急に顔を上げた。


「伏せろ!」


 怒鳴り声に驚き、身をかがめる。

 刹那、割れる音と友に硝子の雨が降り注いだ。葵と恵子の悲鳴が響き、軍服を来た男が飛び降りてきた。

 降り立った足で硝子を踏みしめ、耳障りな音が響く。獣が頭を持ち上げるように、長兄は睨みをきかせた。


「お前が! 密告したんだろう!!」


 うなり声を上げて恵子に迫ってくる。

 恐怖が葵の足を絡めとり、一歩も動けなかった。腕に抱いた紗代だけでもと強く抱き締める。

 間に智昭が駆け込むが、狂人と化した長兄に払い飛ばされた。

 風を切り、隆々とした腕が襲いかかる。恵子の頭を握りつぶそうとした刹那、狂人は宙に飛んだ。

 飛んだとは些か語弊があった。目には見えない何かで、男は宙に捕らえられている。広げられた四肢は微動だにせず、力を入れようにも縛られたように身動きが取れない。服は指二本分の何かで幾重にも締め上げられており、異質な皺ができていた。しばらく抵抗をしていた男が、白目を向く。

 雲から顔を出した月は、不格好な操り人形に酷似した影を作った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る