幕間|友人
フミは煌々と照らされた玄関に影を見つけた。黒い外套に鉄色の軍帽から覗く髪は明るい。匠を見た瞬間、兄弟でも似ないものだなと興味深く思った。顔の造りはかなり似ているが、表情の作り方が違うのだ。こういう手合いには装うことにしているフミは笑みを顔にのせる。
「申し訳ないのですが、父と兄達は仕事で国を出ています。母も夜会に行きましたから、帰ってくるのは遅くなりますよ」
「いやはや、それは困りました。何せ急ぎの仕事ですから、失礼かと思いましたがこんな夜分に伺わせていただいたのです。でも、そうか、ご不在でしたか」
殊勝な態度をとっているが、フミは嘘をついていると見抜いていた。
恵子と葵の話から見切りをつけていたからだ。
泊まり込みの使用人以外が帰ったのを見計らって来ているに決まっている。
「ええ、何もお構いできなくてすみません」
フミは匠と同じ顔を浮かべて帰るように促した。
無言で牽制しあうが、匠は一向として引かない。片方の口端だけ上げて本題に入る。
「
フミは笑顔の下で舌打ちをしたくなった。執事が佐久田と名乗る軍人が来たと聞いたので出てみたらこれだ。ただの興味で出向いたら寝首をかかれるだろう。頭を回転させ、何処まで言うか計算する。
「もちろんです。小さい頃はうちで働いていましたから。独り立ちした後のことは私もよくわかりません」
フミの話など常に知っていたのか、何歩も先の話を匠が始める。
「縁があるから頼りやすかったのですね。戸籍の書類に
でも、仕方ありませんね、と匠は鷹のような瞳でフミを射抜く。
「世界を又にかける三浦商事が手を貸したんですから」
演技がかった話し方にフミはいろいろと面倒になってきた。笑顔に皮肉の色を込めて、半眼を軍人に向ける。
「うちを疑ってると」
「いえいえそんな大それたことは考えていません。疑いを晴らすためにも、少し手伝っていただけないかと思いましてね」
お互いに腹を見せてはいないが、匠が限りなく正確に把握しているのは読み取れた。
密航は死罪を言い渡される重罪だ。暗に罪状をかざされ、手伝えと言うのは生易しい。
「軍が善良な市民に頼み事? そんなものがあったら世も末だ」
フミが張った声に灯りが揺れ、影が濃くなった。
器用に片眉を上げた匠は面白そうに口端を上げる。
「そちらが素ですか」
「ああ、そうとも。で手伝いだって? 具体的に命令していただこうか」
「クィルターをよこしてくれませんか。悪いようにはしません」
フミは返さずに匠を値踏みした。頭の上から足のつま先まで気に食わない男だ。
葵を駒として使っているのも頷ける。
「智昭を逃がしたとは一言も言った覚えはないんだが」
「別にいいんですよ、クィルター本人でなくても。本人なら尚のこと都合がいいですが、世界は人で溢れかえっていますからね。一人や二人、クィルターと似た奴がいるでしょう。本人なら尚のこと都合がいいですが」
「いい性格しているな」
誉め言葉ですね、とかわした匠は続ける。
「協力してくれたら、それ相応の対価を支払います」
「商売の流儀をわかってるじゃないか」
フミは鼻で笑った。
「ではしてくれますね」
「言質が取れたら考えてもいい」
フミが簡単にうなずくわけがない。
用心深いですねぇ、と匠はおどける。
「恵子」
それが絶対条件だ、とフミははっきりと示した。灯りが瞳に映り揺れている。
匠は意外そうにフミを見てしばしの間考える素振りを見せた。算段がついたようで小さく頷く。
「あのご令嬢とは友人でしたね。意外と情け深いなら泣き落としをすれば良かった」
「虫唾の悪いことをぬかすな。条件は飲めるのか、飲めないのか」
答えの代わりに匠は笑った。
条件を蹴ったら、海に沈めるとフミは心の中で誓う。
帽子のつばに手をかけた匠は踵を返し、外套を翻す。
「話が速くて助かりました。さすが、三浦商事、期待の星。斬新奇抜と名高いご令嬢だ」
「こんなにえらそうに言われて、疎ましく思われても懲りないのか」
「何処かの令嬢で慣れてますから」
恵子は突っ走る所もあるが自分に素直な性格だ。匠の言う令嬢とは別の娘に違いない。
「罪深い男だな」
「いやいや、かわいそうな男ですよ」
鼻を鳴らして返したフミは思い出したように口を滑らす。
「早くてもふた月かかるぞ」
「そこを何とか。空木さんの無事もかかっておりますので」
「……泣き落としか」
「響きませんでしたか」
「いい趣味をしている」
匠の返答をフミは一笑した。信用はできないが、葵と恵子の無事には賭してもらう。勝手に条件を増やして、食えない軍人を睨む。
「ひと月だ。父さんに取り次ごう」
楽しみにしています、と笑った匠は闇に溶けるように出て行った。
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