幕間|大尉

 葛西かさいは表情や行動に微塵も出さず頭を悩ませていた。

 終戦して二ヶ月、帰国できたと安堵したのは一瞬で半年間、庁舎に缶詰めになっている。処理する仕事が多く駐屯地から一歩も出られてない。それもこれも岩蕗いわぶき少将が原因だ。事務仕事は苦手だと葛西に押し付けてくる。今までの処理はどうしていたのだと指摘したい気持ちはあったが、それを言っても頑として譲らないだろう。

 幼い頃から世話になっているということもあり、嫌がらせだとわかっていても上司である少将の言う事は絶対だ。書類仕事が終わったら鍛錬にも付き合わされるおまけつきだ。死神と恐れられる葛西は悪夢のような日を過ごしていた。

 にも関わらず、部下の調べていた案件がさらに悩みの種を増やす。


「どうした、もともと陰険な顔さらに暗くして」


 匠の登場と発言に部下が度肝を抜かれた顔をしているが、葛西も匠も気に止めなかった。匠が神出鬼没に現れることも歯に衣も着せずに話すことも納得はしていないが、慣れている。

 葛西は何も見なかったとでもいうように書類に目を通す。

 お構いなしの匠は葛西の後ろにある窓から外の景色を眺めた。一通り楽しんで、白い頭を見下ろす。


「喜ぶような仕事を持ってきてやったのに」

「喜ぶと思うなら、とんだ能天気ですよ」

「さすがの葛西も苛立ってんなぁ」


 鼻で笑った匠はまぁ、聞けよと続ける。


「とある大棚の夜逃げの証拠をあぶりだす、簡単な仕事だろう?」


 匠は人好きのする笑顔を浮かべた。

 葛西は振り向きもせずに却下する。


「他をあたってください」


 匠は口端をつり上げた。葛西の肩に腕をかけ、耳に吹き込むように意地悪く提案する。


「ちょーっと、そいつを貸すだけでいいんだ。えーと、野山のやまだっけ?」

山瀬やませです」


 即座に葛西が修正した。

 そいつと指された山瀬は目を瞬かせる。矛先を向けられると思っていなかったようだ。

 うっとうしそうに腕を払った葛西は目を眇める。


「私用で貸すものではありません」

「仕事だよ、仕事」


 匠は山瀬の肩に腕を回し、胸元のポケットから一枚の写真を出して見せた。

 軍楽ぐんがく隊の集合写真だ。一番後ろに立つ右端から三番目の男を指で叩く。


「コイツ探してほしいの。陸軍一等楽手がくしゅ智昭ともあき・クィルターって奴。鬱陶しそうな髪型で目が紫だからすぐわかる」

囸本にほん人ですか? 外国人ですか?」


 聞きなれない名前に葛西が口を挟んだ。

 写真を部下に渡した匠は悪びれなく満面の笑みで言葉を放つ。


「教えられんなぁ」

「は?」


 葛西が苛立ちを覚えた。目の前の男が何処ぞの少将の口真似をするからだ。

 年相応の反応に訳知り顔で笑った匠は、踊るように死神の背後に立ちその肩に手を置いた。


「お前、帰ってきて丸くなったよなぁ」


 余計なひと言は匠の十八番だ。

 正面から葛西の顔を見た山瀬は青ざめ、たしなめるように匠を睨んだ。

 山瀬の反応など知ったこっちゃない匠はおどける。


「うっわぁ、無言がこわいこわい。冗談だって、囸本人だよ、にほんじん! 父親が樹族きぞくで母親は外国人! 囸本人でも庶子だから名前と見た目がややこしいんだよ」


 降参するように両手を上げた匠は葛西の机の前に回った。

 減らず口を叩いた男を葛西は見据える。


「その一等楽手がどうしたと言うんです」

「前々から怪しいと追ってた奴なんだけど、なかなか尻尾がつかめなくてな」

「あなたが掴めないなら白でしょう」


 奔放な言動をする匠だが、元帥直轄の特務機関諜報部唯一ゆいいつの表の顔だ。ただの一少尉だと侮ってはいけない。

 頭をかきながら、気だるそうに欠伸をした匠は首を鳴らした。その姿勢のまま、猫のように細めた目で葛西を眺める。


「雇い主が変わるのか、何なのか。あっちの下っ端したかと思えば、次はそいつらの敵になってるなんてざらにある。岩蕗邸の近くでも噂がたってんだよなぁ」


 固い表情がわずかに鋭くなる。些細な変化を匠が見逃すはずもない。


「貸してくれんだろ?」


 匠の顔には決まったも同然と書いてあった。

 葛西は無言で睨んだ。白炎の死神の逆鱗に触れてはいけないと山瀬は一歩下がる。


「今、追っている案件が終わったらいいですよ」

「それな、コイツ捕まえたら万事解決だから大丈夫」


 眉間の皺が増えた。山瀬はもう半歩下がる。


「お前のとこが追ってる神隠しが一枚噛んでる気がするんだよなぁ」

「最初からそう言えばいいじゃないですか」

「それじゃあ、面白くないだろう」


 庁舎内では異能の使用はご法度だ。

 それでも目の前の男が消えるなら、葛西には価値があるように思えてきた。


「休みも無けりゃ時間が取れないもんな?」


 無言の圧に悠然とした笑みが返される。

 時折、この男は何処まで知っているのだろうと恐くなる時がある。忙殺されていた葛西は早く仕事を片付けて、空いた時間がほしかった。面白くないことに休息のためではないことを匠はわかっている。

 論で匠に一度も勝てたことのない葛西は額に手を置いた。


「解決しなかったら、佐久田さんを恨みます」

「死神の恨みとは恐いねぇ」


 今度こそ、この世から消してやろうと実行する前に、匠の姿は跡形もなく消えてきた。



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