弐拾壱 護衛
太陽が高い位置に上がってから、葵達は目を覚ました。
パンに目玉焼きにベーコンと豪勢な朝食をとり、食後の紅茶を楽しむ。
両手でカップを包んだ葵は恵子を見て、フミを見た。それから、外に目を移しフミに視線を戻す。
「山瀬とかいう男なら、まだ屋敷にいるぞ。時間も遅かったから泊めてやった」
フミは落ち着きのない葵に言ってやった。
驚いた猫のように背筋を伸ばした葵は一気に顔を染める。
「……ばれてましたか」
「今更だろう」
「恋する乙女ねぇ」
葵はぐっと押し黙った。紅茶が吹き出しそうになったが、口を閉じたまま咳をしてやり過ごす。
昨晩、葵が眠りこけていた間に事件は起きた。三浦邸の周りで身を潜めていた山瀬が捕まったのだ。恵子の証言で事なきを得たが、葵は叩き起こされ洗いざらい話す羽目になった。
不可解な男を助けたこと、匠から聴取を受け護衛を付けられたこと、駅で危ない目にあったこと、匠にたんまりと灸をすえられたこと。
特に、匠のことは恵子に根掘り葉掘り聞かれた。
恋する乙女というのは恵子のことを言うのだ。匠の意地の悪い話を言っても、新たな面を知れて幸せだわと恍惚とした顔でとろけていた。
恵子とフミの説教に眠たいと言いつつ頷いていたら、東の空が白んでいたのは今朝のことだ。
睡眠を取った後も赤い目をした葵は、露ほども疲れを見せない友人達を恨めしそうに睨む。
「恋ではありません」
葵は口ではそう言ったが、赤らんだ頬が雄弁に語っている。
「わたくし達のことはいいから、行ってきなさいよ」
恵子の言葉に同意するように、フミはカップに唇をあてた。
視線を下の方でさ迷わす葵は赤い頬で口を尖らす。
「緊張して……」
「礼だけでもいいだろう」
フミは簡単に言ってのけるが、葵にとっては容易なことではない。
「ここに来てもらうこともできるのよ。わたくし達に最初から最後まで舐めるように見られることになるけれど」
「なめる」
「取材にはもってこいだな」
笑って言っているが、恵子達なら本気やってしまいそうだ。二人が乗り出す前に、葵は飛び出すように食堂を後にした。
執事に案内されて着いたのは屋敷の裏庭だ。赤レンガが敷き詰められた道の先にいると言われたので、葵は高鳴る心臓を落ち着かせるようにゆっくりと歩いた。本の図解でしか見たことのない南国の植物を横目に通り過ぎ、開けた場所に出る。
足を踏み込むと、腕の筋を伸ばしていた山瀬が振り返った。怪訝な顔が徐々に驚きに塗り替えられていく。
声が届く距離で葵は足を止めた。どの挨拶が正しいのか迷い、なかなか口を開くことができない。山瀬が眉をひそめるものだから、フミの助言に従い本題から入ることにする。
「お礼が言いたくて、来ました」
葵の言葉に山瀬は微動だにしなかった。静かに話を聞いている。
「先日は助けていただき、ありがとうございます」
深く頭を下げた葵に返ってきたのは、いえ、という吐息のような二文字だけだった。
顔を上げた葵は勇気を振り絞って口を開く。
「もしかして、護衛の方ですか」
護衛ならば、駅にいたことも、三浦邸の周辺にいたことも説明がついた。
山瀬は答えず背を向け、歩き始める。
二人を分け隔てるように強い海風が吹き、潮の香りを運んだ。葉がざわめき、影が揺れる。
背中から離せなかった葵の視界はぼやけてきた。冷たい態度に心が傷ついたのか、理由は葵にもよくわからなくなる。
迷いなく進んでいた足が止まり、振り返ることなく低い声を落とす。
「ただの護衛ですから、構わないでください」
山瀬はそれ以上のことは言わず再び歩み始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます