幕間|兄
じっとしていては物に当たると判断した
軍内でも指折りの異能持ちと恐れられる
後輩ではあるが、役職は上にあたるので道をゆずった。盗み見た表情は冷え冷えとしている。整った顔に並ぶ双眸は曇天と酷似しており奥がのぞめない。生気がないと敬遠され、亡霊とまで影で言われいるが無気力なだけだ。
葛西のことを幼い頃から知る匠は臆しなかった。周りに人がいないことを確かめて、沈黙を破る。
「戦争のこと、聞いたか」
「機密事項です」
すれ違いざまに落とされた言葉に抑揚のない声が返された。立ち去ろうとする背中を匠が見逃すわけがない。
「上官には知れ渡ってんだろ。感のいい奴らも気付いているぞ」
葛西は足を止め、ため息をつく。辟易とした背に追い打ちがかけられる。
「
匠は鎌をかけずにはいられなかった。
返事はなかったが、肯定と等しい。予想では正月明けに火蓋が切られるだろう。
海に守られる時代は終わった。鉄の大鑑が海を渡り、木と布で作られた飛行機が人を乗せて飛ぶ。ルーシスが海を隔てた島国を手にしようと動くのも時間の問題だ。遅れをとれば全てを搾取されるだろう。
匠も時代の流れだと諦めていた。頑なに変化を拒んでいたしっぺ返しだ。骨の髄まで染まってはいないが軍に置く身として覚悟はある。
匠が苛立つ理由には他にあった。
強国を追う
陸軍第三特殊部隊に属する葛西も確実に駆り出される。上は長引かせないように尽力しているが、戦争は世界をゆるがすものだ。思うように進むわけがない。隊員の命が散れば、国内から補充がかけられるだろう。一市民と生活していた者が戦場に送り込まれる危険がある。
二年、三年と時がすぎれば、子供だった者も大人だ。徴兵される歳になる。
匠はそれが許せなかった。
口を開かない葛西に匠は奥歯を噛みしめる。
「危惧することは何ですか」
「弟達の心配だ」
「……素直ですね」
珍しく訊ねられたので率直に答えれば、白々しそうな顔を向けられた。
匠は意趣返しに嫌味を言ってやる。
「お前は死にそうにないからな」
「銃で撃たれれば死にます」
撃たれても死にそうにないと返しても葛西は堪えないだろう。
面白くない匠は本心をつく言葉を放つ。
「いいのか、心残りがあるまんまで」
葛西は口を閉ざし、歩き出す。
兵士でも、亡霊だと言われようとも、葛西も人だと匠は知っていた。この世に未練がない者は少ない。
「余計なお節介だったな」
見送る言葉に謝罪は口にしなかった。
。゚。゚。❀。゚。゚。
年の瀬にルーシスが大陸の海岸部へ武力侵攻したと報じられた。新聞には少々過激に書かれていたが、士気を高めようと軍は黙認している。
世界は確実に戦争へと歩みを進めている。
正月に実家に帰った匠は腹の底から息を吐きだし、憤りを逃がしていた。父のいる家で怒鳴り声を上げようものなら罰を下されるからだ。相手をする石頭がもう一人増えてしまう。胸の内に秘めようにも、煮えくり返る怒りは治まりそうにない。
「あの馬鹿、外地に行くといきり立ってやがる」
仕方なく融通のきく次兄の部屋に入った匠は開口一番に言ってやった。
書き物をしていた
「
冷静な返しに溜飲が下がる。
「子供を戦場に行かせるわけがないだろう、全く」
匠は隣の部屋にいるであろう末弟に言って聞かせるように嘆息をこぼした。畳に胡坐をかいた匠は膝に頬杖をつく。
詞も兄につられて目線を壁に向けた。
何を言っても自分の意見を曲げない父に一番似たのは徹だ。壁の向こうを呆れたように眺めるが口は開かない。
横目で見合わせた兄弟はほぼ同時に首を振った。意見しても無駄だと嫌になるほど味わっているからだ。
詞は匠に顔を向ける。
「兄さんも外地に行くの」
「いや、内地勤務」
詞は息を吐いた。兄弟だからこそわかる些細な程度だ。
強者であれと育てられた兄弟は、戦に行きたくないとは口にはできなかった。心の内は別として信念のために戦った先祖への畏敬の念が根付いているからだ。
軍人の道を進まないと決めた詞も例外ではなかった。
安堵を見せた理由は母にある。匠も詞も心の弱い母のことを心配していた。父が先立てば、兄弟の誰かが支えていくしかない。匠でさえ不安を覚えるのに、学生の詞が抱えるには重すぎる。
両膝に拳を置いた兄は、弟に言って聞かせる。
「俺はな、国のために軍に入ったわけじゃあない。家族が苦しまないよう、お前達が戦地に向かわなくていいよう、軍に入ったんだ。簡単に死ぬような阿呆じゃない。よおく覚えておけ」
いつになく真面目な匠を詞がまじまじと見つめた。
父を思い起こさせる堅固な顔が一転しておどけたものに変わる。
「俺が踏ん張ってやるんだから、崇めろよ」
「肝に命じとく」
兄にならって、詞も軽口を叩いた。
区切りがついたので書き物を再開される。
匠は丸まった背中を見た。昔から聞き分けがよく、机の高さが体に合わなくても口にしない。未練の少なそうな弟が放っておけなかった。
「いい子はいないのかよ」
「藪から棒だな」
弟の嫌そうな態度にかまわず、匠は言ってみろよ、と答えを促す。
「いないよ」
「こっち見てから言えよ」
「いないって」
振り返った詞は仕方なさそうに笑った。
匠はにやりと笑う。
「知ってるか。お前、嘘つく時、必ず笑ってんだよ。眉間にしわをよせてな」
前の仕返しだと言わんばかりに、長兄は面白がった。
意表を突かれた詞は一寸の間、押し黙る。
上手くかわせない弟を兄が見逃すわけがない。
「なぁ、学校の子か?」
「いない。友人にいい子はいるけど、兄さんが聞きたいのはそういうのじゃないだろ」
「そうかそうか。高等師範学校ともなればいい子ばっかりだよな、そうだよな」
眉をうっとうしそうに歪められても匠の頬はゆるんだままだ。
「どんな子? 年は?」
げんなりした顔で書き物に集中し始めた弟をよそに兄は願った。
どうか、戦場に行くな、と。
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