掌編小説・『家庭文化』

夢美瑠瑠

掌編小説・『家庭文化』

(これは2019年の「家庭文化の日」にアメブロに投稿したものです)


 掌編小説・『文化的な家庭』



 一筆家は、いわゆる、「文化的な家庭」だった。

 主人は一筆啓上といって、作家だった。

 啓上、というのは筆名である。せっかく一筆などと言う珍しい苗字を冠しているのに、利用しない手はない、というまあ単純な発想だった。


 が、目立つ、印象的、という点では人語に落ちないペンネームで、文筆活動において様々に余沢があった。まず、読者に興味を持ってもらわないと、本などは手に取ってももらえない時代で、そういうパッシビリティの面でアドバンテージがあって、さらに一筆氏の場合は本の中身もまあ面白いのだ。「中毒性がある」とかいう人もいる。


 それゆえ一筆家は現在まあまあ裕福でもある・・・


 啓上氏の妻は、一筆描紀という女性で、女性なのは当然だが、これも筆名で、シナリオライターを生業にしていた。

「ひとふでがき」という遊びを漢字に当てはめたわけで、駄洒落ですが、一度覚えられると忘れられない、そういう利点があった。


「ああ、あの「ヒトフデガキ」さんか。あの人に仕事を依頼しようか。この前のドラマは良かったよなー」というような会話が交わされているようで、奥さんもだいたいいつも一つか二つ締め切りを抱えている。


 人気ライターというわけで、認知された今は、本業の傍ら、古今東西の名作の戯曲を渉猟して、読者に紹介する、という趣旨のコラムを週刊誌に連載して、ちゃっかり自分の勉強を兼ねている。賢い女性で、決して自分の立ち位置とか、能力の範囲内を逸脱したりはしない。良妻賢母がどっしりと屋台骨を支えていて、結果として一筆家は家内安全、無病息災を絵にかいたような安寧な家庭になっているのだ。


 子供は一男一女で、どちらも優等生だった。

 長男は一筆箋といって、これは本名だった。

 文化的な文人の夫婦なので、それに因んだ名前を選んだのだ。


 栴檀は双葉より芳し、というか、小学一年の時の作文では、もうマークトウェインの少年小説の感想文を書いて、コンクールで入賞した。


「大変に才気煥発な坊やです。後世畏るべし・・・云々」という選評を貰い、気を良くした彼は次々に読書感想文をあちこちに応募して、軒並みに入選して、総なめ、という感じになった。


「天才文学坊や」として新聞にも取り上げられて、アイキューが180あるというので、評判になって、テレビにも出演したりした。


 しかし母親似の彼は決して奢らず、衒わず、静かに自然体でひたすら読書を続けて、今は最年少芥川賞作家を目指して、力作を執筆中らしい・・・


 そのタイトルはというと、「私ージョイスとプルーストの唯一の正当な後継者」というのだから、本当にもしかしたら大変な天才かもしれない。w


 長女で末っ子は一筆淋漓と名付けられ、これは「墨痕淋漓」という熟語から取っているのは自明ですが、偶然にもこの子には、成長するにつれて、書道の方面に才能があることが分かってきた。


 書道のコンクールでは、やはり金賞入選を当たり前のように総なめして、最年少で著名な書道コンクールに入賞したというので、和服姿で微笑んでいる写真と書の作品が、「書」という専門雑誌の表紙を飾ったりした。


 文化的なエリート揃いの家庭、という評判が広まって、週刊誌で特集が組まれて、その家系の血筋やら、教育法、家庭内の雰囲気他のあれこれが大々的に報道される、という格好になった。


「一筆家は、その稀少な苗字に象徴されているように、稀なる文学的な才能が、偶然的な奇跡のように集合して、家族それぞれの令名は、日本中に轟いている、そう言っても過言ではない。


 といって記者が取材した一筆家は、ごく普通の、標準サイズの家屋で、四人ともごく親しみやすい常識的な人物だ。


・・・ ・・・(中略)


つまりこの史上稀な一種の遺伝子の奇跡、のよって来るところは、極めて平凡だが、幸福で良識的で、いささかも常軌を逸したところがない、平凡を絵にかいたような家族たちの朗らかな自然体、それが秘訣なのかもしれない。


 トルストイではないが、幸福な家庭は似通っている。

 幸福という平凡だが永遠の理想が、潜在的な非凡な能力の、最も滋養深い温床になるのだろう。」


記事はこう結ばれていた。


しかし運命は皮肉なものだ。


「幸福という平凡な理想」を体現していたはずの一家は、半年後に離散した。


 啓上氏が、若い編集者に熱を上げて、すれ違い気味だった、仕事で忙しい描紀氏と、離婚する、そういう憂き目になった。


 家には妻と息子が残り、夫は娘を連れて、マンションに引っ越した。


「理想の文化的家庭の崩壊」として話題になったが、それぞれに再婚して、四人ともその後も才能を遺憾なく発揮して、それぞれに文名や声価を上げていった。


「文化的な家庭」は、幼少時から「分化」していく「過程」では、非常に教育的効果があったのかもしれないが?


「分か」つ、(分割)されることになっても、その後が危惧された「仮定」ほどには、破滅的な?影響などは及ぼさなかった・・・


そういうことかもしれない・・・



<終>




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掌編小説・『家庭文化』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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