王女殿下
人というのは、当たり前の話だが『目の前の情報』を強く事実だと決めつける傾向がある。
目の前の人間は女の子である。一度そう認識してしまえば、この人間は女の子だと頭が断定が始まるのだ。
本当のところは髪が長く女性寄りの顔立ちをしているだけかもしれないのに。
しかし、目の前の情報だけで判断してしまうのも仕方のないこと。
何せ、それ以上の判断材料がないのだから。
そして、入団希望者達の目の前に現れたリーゼロッテ・ラレリアという第二王女も同じであった。
社交界にもよく顔を出す、アカデミーに在籍していることも知っている。容姿も美しく、気品に溢れ、自分達とも年齢が近い。
だが、アカデミーの騎士団長? セシルよりも強い?
そんな話聞いたことねぇよ。
それもそのはず……何せ、表沙汰は全て副団長に任せて公表すらしていなかったのだから。
「ごほんっ、かなり個人的に恥ずかしい紹介のされ方でしたが……初めまして、ご存じかもしれませんがリーゼロッテ・ラレリアです。この騎士団の団長を務めさせていただいております」
知らなかった入団希望者が戸惑っている中、リーゼロッテは軽く頭を下げる。
「私からもようこそ、騎士団へ。こうして足を踏み入れようと希望していただいたこと、感謝しております。ですが、セシルからもお話があったように……未熟な者を騎士団へと加入させるわけにはいきません」
故に、と。リーゼロッテは腰に帯刀した二本の木剣を抜く。
それだけで、訓練場に新しい緊張感が広まった。
合図と受け取ったのか、在籍している騎士団の面々がゆっくりとその場から距離を取る。
「本当はこのような入団試験は廃止したいのですが……伝統ということで仕方がありません。恒例行事ということもあるので、私も頑張ります」
ルールは簡単。ただ、リーゼロッテに一発当てればいい。
どんな方法を使っても大丈夫。拳であろうが投げた剣であろうとも、体の一部に触れられればその生徒は入団を認められる。
「しかし、
「は、はいっ!」
名前ではないが、呼ばれたことにソフィアが上擦った声で返事をする。
リーゼロッテはセシルにアイコンタクトを送り、ソフィアを離れさせるように促した。
セシルから手招きを受けたソフィアはチラリとアルヴィンを一瞥すると、トテトテと騎士見習いの場所へと向かう。
「ソフィアちゃんはこれから出てくる怪我人を無事治療できたら合格だよ~!」
「怪我人が出なかった場合は―――」
「あー、大丈夫大丈夫! 毎年必ず怪我人は出るからー」
帰りてぇ、と。セシルの言葉を聞いたアルヴィンは心の底から思った。
「では、時間ももったいないことですし、早速始めてしまいましょう」
入団希望者達が固唾を飲み、腰にある木剣を同じように抜刀する。
とはいえ、相手は一人だ。それも温室育ちを言葉通り受けてきたお姫様。
自分達も指南を受けてきてそれなりに実力もあるし、相手は騎士にしては珍しい女の子。
それも、この人数を一気に相手にするときた―――楽勝じゃねぇか。そう、誰かが思った。
「一応ご忠告を。騎士団では年齢立場関係なく実力で上下関係が生まれます。つまり―――」
しかし、それが慢心だと知るのは……たった数秒後である。
「私、こう見えても強いですからね」
そう口にした瞬間、リーゼロッテの体が消えた。
一体どこに? そんな疑問が産まれた頃には、入団希望者の一人の視界に影が生まれる。
マズい、と。剣を構えた時には鳩尾に硬い衝撃が広がった。
「がはっ!?」
「まず一人」
鳩尾に柄を撃ち込まれた入団希望者はそのまま地に伏せてしまう。
だが、それを確認することなくリーゼロッテは次の入団希望者の懐へと潜り込んでいた。
剣を振り下ろされようとも剣で弾き、もう片方の剣で脇腹を殴る。
流れるように、それでいて目で追いきれない速度が一気に入団希望者へ焦りを生んだ。
どう対処する? 相手は女の子だぞ? 王女に剣を向けてもいいのか?
……いや、そんなことを言っている暇はない。
入団希望者達が一斉にリーゼロッテへと襲い掛かった。
数の利を生かそうとしているのだろう。しかし、それでもリーゼロッテは顔色一つ変えず的確に一人ずつ木剣を奮って倒していく。
(いやまぁ、確かに強いのは強いんだけど……姉さんと同じぐらいな気がするんだよなぁ)
その様子を、アルヴィンは突貫することなく見守っていた。
(でもこれ、わんちゃん僕も負けていいパターンじゃない? 実際に強いし、内定が決まってるとは言っていたけど、入団させる気なさそうだし)
実際、手加減をしているのかもしれない。
それでも、こうして容赦なく倒していくリーゼロッテを見ていると「加入させなくても最悪大丈夫」と思っているような気がした。
ならば、今後の自堕落ライフのために痛いのを我慢して負けるというのもアリなのでは—――
「アルく~ん! 負けたら今晩寝かさないからね~!」
「どっち!? 情けないから夜通し訓練なのか、単純に僕の貞操の危機なのか、どっちなの姉さん!?」
「…………(ポッ)」
「姉さァん!?」
観客席から姉の
あの頬の染め具合を見るからに恐らく後者だろう。あの姉なら十分やりかねないと、アルヴィンの背筋に悪寒が走った。
実力を知ってからますます脅しの頻度が増えたような気がする。
その時、リーゼロッテがちょうど八人目を倒し終えてしまった。
本当に残す気などさらさらないみたいだ。
リーゼロッテの持っている二本の木剣がアルヴィンへと向けられる。
そして、自慢の素早さによってすぐさまアルヴィンの眼前へとその端麗な容姿を見せた。
不意をついた。
先程までと同じ、このまま剣を振り抜けば倒せる。
だが、目の前に何かが現れたのは……決してアルヴィンだけではない。
「……ぁ?」
リーゼロッテの視界にも首元を狙う何かが現れた。
「ッ!?」
リーゼロッテは咄嗟に振り抜こうとした剣を首元に当てる。
その瞬間、首元と剣にずっしりとした衝撃と鈍い音が響いた。
それがアルヴィンの振り抜かれた足によるものだと気がついたのは、そのあとすぐのことだ。
「えぇ……今の止めるの?」
「驚きました……誰ですか、公爵家の面汚しだと仰ったのは? 私は別にサプライズなど期待はしていなかったのですが」
まさか、自分の速さについてこられたなんて。
油断していたわけではないが、予想外の反撃にリーゼロッテは思わず足を止めてしまった。
「さぁ? 事実なのでなんとも」
「流石はセシルの弟ですね……しきりに目を輝かせながら自慢してくる理由が分かりました」
「王女様にまで姉の醜態がっ!」
両手で顔を覆って泣くアルヴィンを見て、リーゼロッテは笑う。
「恒例行事なのでつまらないものだと思っていましたが……存外、楽しめそうです」
そう言って、リーゼロッテは口元に笑みを浮かべたまま地を蹴った。
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