第6話 意識
弁えない曇が広がり始めた空の下、片手にはいつかのお釣りを持って歩いていた。
「精霊のやつ、戸惑ってたな」
『いきなりのアレだもんな……間に入らないように離れたら結局そこでも間に挟まれてさ」
「あの体を精霊が使ってたって事は元天使なんだよな? 天使も家出するんだな」
『シュウは天使だけを斬るっていう話だから、人が人として死んでたら復活させてなかったりするとかもあるかもな』
「でも、それじゃあどうして精霊はその姿になれたんだ?」
『本当は天使で家出していただけかもな』
「おい」
『それか迷ったか。何にせよ、店に呪われた親から家出したくなる子の気持ちもあったのは確からしい様子だったし、最後の言葉で娘の方の呪いは解けたっぽいから結果的に良かった訳だから細かい事はどうでもいいだろ』
「雪兎じゃねぇんだから」
『俺からすると頓着しなくていい所を気にするのが意味分かんないぞ」
「……そっか。恋しい味にありつけたんだから、良いのか」
『細けえ事を気にしたってどうしようもないんだから」
「それもそうだな。あーあ、だったら細けえ事考えないで可愛い子との食事と思ってたらよかったなぁ……今はむさ苦しく男同士だ」
『お前の面は年食っても爽やかだし……傍から見りゃ独り言だ』
「おいおい、あまり自分を蔑ろにした言い方するな」
『撤回する。自分で言ってて気分悪かった。お前は爽やかじゃない』
「そっちも撤回するんじゃねぇよ」
病院の前。足が止まった。
「おや? 隕石でも落ちたか?」
『そんな音はしなかったろ』
病院の半分が地面ごと抉れて消えていた。
「天使の仕業だな。どうせ」
『そうみたいだな。空に居るぞ』
見上げると、曇天の下に神々しく輝く天使。分厚い雲を突き抜けて一つ黒い塊が落ちてきた。
「さっきのが最後の晩餐か……」
『今は晩じゃないだろ』
「結構暗いけどまだ昼か。まあいいや。それで? どうするこれ」
『……どうしようも無さそうだな。異世界に飛んでみる事ならできそうだけど?』
「ええ、折角来たばっかりなのになぁ」
そして、ラッパが鳴る。
「天使と言えばだな」
『鳴らさせたらけないやつなんだよなぁそれ』
落ちてくる黒い塊が真っ二つに斬られた。次から次へと切り刻まれ消滅した。
「ママが幽霊に取り憑かれて、始まっちゃった」
ボロボロなシュウがいつの間にか隣りに居た。右手には剣がある。
「だから暗いのか? ……まあ、人間は流れる水溜り。淀む事だってあるさ」
「それで幽霊は斬ったんだけど、始まっちゃったのは止まらないんだ」
「? え? 斬れたの?」
シュウは頷くと空を握っている左手を見せてきた。
「この左手の剣で斬れた。なんか、見えない剣ってかっこよくない?」
「見えないのにカッコイイとかあるのか? それより……なぁ雪兎、流石にピンとこない」
『左手に剣は無いが、精霊が居る』
「ああ雪兎みたいなもんか。納得」
『理解早ぇな』
――ねぇ
表情を真剣に変えたシュウがそう言ってきた。
「こうなったら最後だし聞いておきたいんだけど? 木刀の意味」
「時間はあるのか? お前のママ……あの天使は良いのか?」
「最後にデートしてから斬る。ずっとそうするって決めてた。よくわかんないけど半分はママだったから約束してくれたから、それまでの時間はある」
――良いだろう
俺たちは笑って話を切り出した。
「じゃあまずは木刀を補助輪と言った意味について――木刀の意識の話をしよう」
「意識? 木刀に意識なんてあるの?」
「ある。星にも太陽系にも銀河系にも銀河団にも何にでもある」
「でも、人は自分で考えて動くけど?」
「解釈する時に自分に居付くなよ。そしてスケールも違う。人間は流れる水溜りだ。スケールを合わせよう。人間は水溜りの中の水溜りで、木刀は水溜りの中の水溜りの中の水だ」
「……人間もこの星もスケールが違うだけの水溜りってこと?」
「そう。そして木刀は人間で言う指。かと言って指を使おうとすると自分って認識できちゃうから、自分と思えない意識だからこそ素直で補助になる。指だけで考えてみろ木刀と感覚が似てるだろ?」
「指だけだと、ただの物だ」
「そう。スケールが大体合致したな――木刀を一回振ってみろ」
俺たちがそう言うと、右手に持っていた剣が木刀に変形した。
――ビュン
「……何にもならないけど?」
「そりゃ自分勝手に振ってるだけだからな。その振り方に木刀がいるか? 持ってる意味があるか?」
「ない。から……ダメじゃん」
「ダメなのが分かればオーケーだ。次は持ち方。俺をおんぶしてみろ」
「え? ええと……はい」
「オイショ。歩けるか?」
「うん。余裕で」
「これを手でやれ。それが持ち方だ」
「え、どういう事?」
「お前は今、腕を使っているか? その腕は俺を掴んでいるか?」
「……掴んでない。引っ掛けて乗っけてるだけ」
「スケールを合わせると腕と指の使い方、背中と掌の使い方が同じだ。なんでそれを木刀じゃ出来ないんだ?」
「? 底がないじゃん」
「乗っけ方を選ぶな。掌を貸してもらおうか?」
降りてシュウの掌の皮膚を引っ張る。少したわみ、止まった。
「これに?」
「そうだ。背中は面に乗っける感じで同じと言っても分かり辛いが、掌はこのたわみに乗っける。持つってのは星から引き剥がす事じゃない。引き剥がそうとしてはいけない。ただ自分が下となり、相手を上に乗っける事を持つと言う」
――ヒュン
シュウはもう一度振った。少しマシになった。
「軽いけど……重さが有る」
「そうだ。どうしようもなく重さは有る。オレという重さも有るし、お前のママにも重さが有る。勿論その木刀にも重さが有る。それを無視すると……人間関係上手く行かなくなって嫌われちゃうぜ」
「それとこれと、どういう繋がり?」
「目の前にその人っていう重さが有るのにその重さに対して見向きもしないで自分勝手に、その重さを知ったこっちゃないように話をしたら、誰も楽しくないじゃん」
「? 分かりづらい」
「重さをちゃんと見れば、眼の前に居るのはその人だけだろ? って話だ。さてこれが“いしき”の石の話。ストーンの方の石の話だ」
「石? なんで?」
「古い時代の人間は巨石を信仰していたんだ。人間にはどうにもならない巨石を畏怖するって分かりやすい側面もあるが、本来はその重さへの信仰……まあ、要するに重さの象徴が石だからだ」
「……へぇ。次は?」
「重さの次は軽さだ。木刀を貸してもらう」
受け取った木刀の切っ先をシュウに向けた。
「どんな感じがする?」
「なんか刺さりそうで嫌な感じ」
「それがこの木刀が持つ氣。氣っていうのは方向なんだ。木刀の持つ方向は刃そして切っ先。木刀よりも真剣、そしてその切っ先に向かうにつれて氣は強くなる。向ける方向が鋭く明確に極々小さな一点に近づけば近づくほど氣は強くなる」
「思ったより分かりやすいね」
「幽霊に木刀を投げた時には出来てたっぽかったからな。その感覚をある程度持っているんだろう」
「僕はその時しか出来なかったけど、なんで?」
「……その何となくの疑問が良いね。気がするってのがめちゃくちゃ大切だ」
――さぁ
と、シュウと向き合う。
「お前は幽霊に木刀を投げた時に何“を”無視した?」
「……木刀を無視してた」
頷き次の質問を投げる。
「お前は何を無視しなかった?」
「幽霊?」
それも一つ。答えとしては間違っていないが……
「どうして自信がないんだ?」
「何となく……?」
もう一歩、進めるか。
「オレたちを見るな、お前自身を読め。大丈夫。お前は間違っていない」
「木刀? 何か違う気がする。僕は幽霊を無視しなかった。それはそうだ。あの時の僕は幽霊の事だけでいっぱいになって……幽霊だけ。幽霊だけを無視することが出来なかった」
――そう。幽霊“だけ”無視しなかった。
「僕は……何を無視した? 幽霊以外を無視した。でも、それじゃあおかしい。木刀は無視したけど、無視したわけじゃない」
――そう。無視したのは“木刀”の“ぼくとう”だけだ。
「僕は幽霊だけを無視しなかったから幽霊以外を無視しなかった。違う。無視できなかったんだ」
――そう。何を無視して、何を無視できなくなった?
「“僕”の意識、“木刀”の意識。その時の僕は“幽霊”以外を無視していた。その時の僕には“僕”も“木刀”も無かった。その時にあったのは意識だけ」
――そう。そんなモノ無くて良い。
「僕? 木刀? 関係ないのか。僕も木刀も関係なく、氣は一点に。幽霊に向かっていた。意識は意識で何もかも違くなかった。僕の意識に僕は無い。木刀の意識に木刀は無い。ははっ、これじゃあ名前が邪魔すぎ」
――そう。万物は不可分だ。それが分かれば良い。
「何に触れればいいか分かったな。これで振れれるだろう?」
「……振れれるかな?」
「振れる。“振る”をしてみろ」
――フヮッ
シュウの木刀は流麗な円を全身で描くように振り下ろされ、空気が澄んだ。
「……気持ちいい」
「純度を高め澄んだ意識は最強の形である完全な円へと至る。道は見えたか?」
シュウは頷いた。
「一回で済んじゃったよ」
「こういうのは氣が澄むまでやりゃ良いんだよ。繰り返す練習が必要なのは『出来る』っていう確信と納得をするためだ。『これだけやれば出来るはずだ』なんて思ってたらまだまだ足りねぇ。氣が澄むまでやるのが練習。一回で澄めばそれでいい」
シュウは十字に戻っていた剣を眺めていた。そして小さく口を開いた。
「まだ自信ないかな……」
「その時は来る。ここから先の実践はお前の領分だ。憶えたことは適度に忘れて存分にやるといい。オレたちが出来るのはここまでだ」
「ありがとう……そうだ。最後にあの超能力を頂戴」
「あれはただのパンチだぞ?」
「いいからいいから」
シュウはドンと腹を叩いた。
「本当に受ける気かよ……いけるか? 雪兎」
『おう。いけるぞ』
「……じゃあ、オレたちからの餞別だ」
「ありがとう」
「おうよ」
シュウの腹に指を立てた。人差し指と中指を揃えて伸ばし薬指と小指は畳んで親指で纏める。氣を通し重さが揃う。感覚を確認しながら呼吸を合わせていく。
「なあ雪兎。この曇天、消してしまおうか」
『いいね。やってみよう』
溜まる、石、重力、全ての方向から一点へ――重さの世界。
流れる、氣、慣性、一点から全ての方向へ――軽さの世界。
「重さと軽さ二つの有を以て無と無限を知り無我へと至り愛を知る。これが石氣だ」
雲の意識も乗せた拳がシュウの腹にめり込んだ。
空がシュウの身体を突き抜けた。
そして空から雲が消えた。
終末が晴れないままでも、光は降り注ぐ。
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