第5話 幽霊
「ほら、受け取れ」
クリスはそう言って桐の木刀をシュウに渡した。
「軽っ。なにこれ?」
「なにこれって、木刀だよ。強くなりたいんだろ?」
「これでなにするの? 剣術? でも剣術って実践にはあんまり使えないって聞いたことあるけど?」
「そりゃ、剣術の形に拘ってたら使えねぇよ。剣術ってのは自分の体だ。形あるものじゃない。分けてはいけない。剣術を通してそれを理解する。剣術を使うことが目的じゃない。道はそれぞれ別だ」
「生き残る、とか?」
「それも一つ。剣術を通して養う身体操作で生き残る確率は上げられる」
「剣術か……僕の確率生き残る確率が上がっても仕方ないんだけどな」
「? 何勝手に話し進めてんだ。オレたちは剣術を教えられないぞ。知らないし」
「ええ!? じゃあ何で木刀?」
――木刀“を”振る
「これをやれ。全てに通じる奥義だ」
「それだけでいいの?」
「それだけでいいんだよ。言っとくがそいつは補助輪だ。今のお前じゃそいつと対等にもなれないだろうな。まあ、出来るさ」
「……ふぅん」
シュウは木刀をブンと振り上げた。
「僕は自転車にも乗れていないんだね……」
振り下ろした。
「軽すぎだよ」
「的外れだ。重いだの軽いだので見ようとしても意味ないぞ。それで木刀は振れない」
「なんか……ふふ、師匠って感じだね」
「そう在れるようにオレたちは尽力中だ……ん?」
俺たちの元に精霊が不機嫌そうにやってきた。
「浮気ですか、シュウ!」
そう言うと木刀に噛みついた。本当に噛みついている。バリバリといっている。
買ってきたばかりなのに……
「なんか人間っぽいな」
クリスがそう言うとシュウの表情は少し暗くなった。
「人間の形をしているだけだよ」
「……ふーん」
と、クリスはそれだけ。
「直せ!」
シュウの一声に精霊はビクッと反応して噛みつくのを止めた。シュウの体に黒いラインが走り手に持つ木刀に黒い影が絡まると木刀は元の姿に戻った。
精霊はモチャモチャポロポロと木刀をこぼしながら咀嚼して飲み込むと。鼻息一つしてから帰っていった。
その様子を横目に溜息一つしてからシュウはこっちを見る。
「振れば良いんでしょ」
「振れればいいな」
クリスが返事をするとシュウは木刀を振り下ろし始めた。
『バレるもんだな』
「まさか木刀まで天使とはな。植物にもなれるのか」
『精霊の方は建物を復元してるし、今更だろ』
――ビュン、ビュン。風切り音が鳴り響く。シュウは俺たちに目を向けた。
「アドバイスとかないの?」
「足の裏で剣の重さを感じてみろ」
――ビュン
「……軽すぎるんだよ」
「なあそれ、握ってないか? 握らないんだぞ」
「握らない?」
――ヒュ
「……あっ」
「おお剛腕。壁にめり込んだな」
「ダメじゃん」
「腑抜けになっただけだ。手をギュッとするのを止めただけだろ? でも、相変わらず握ろうとしてる。それじゃあダメだ」
「じゃあどうすればいいの?」
「“握ろう”とするな“握る“をしろ。握ろうとしなくても握れる。答えは手の中だ」
「なにもないけどなぁ……」
「本当に出来ないのならそもそも手で握ろうなんて発想は絶対に現れない。つまりお前は握れる事を知っている」
「知ってる? ……何を?」
クリスは両手を重ねる。
「重さ、だ」
「重い……軽い……は意味ない。それで、重さ? ふーん。ふーん?」
シュウは木刀を拾いもう一度振り首を傾げている。
「雪兎、ちょっと話が難しいんじゃねぇか?」
『これでもわかりやすく言ってる方だ』
「にしても掴み所がなさすぎじゃないか?」
『それを掴まなきゃ始まらない。必要なのはちょっとの勇気だ。言葉は万能だが、言葉が過ぎたら意味がない。そもそも掴めるものではないから言葉で掴んだ気にさせてはいけない。言葉に対して出来るのは折り合いをつける事くらいだ』
「……折り合いをつけるしかないってのは自然やら神様やらみたいだな」
『言葉はあくまで言葉だ。絶対にはなり得ない』
――ゴスッ
妙な音に視線を向けると木刀が壁に突き刺さっていた。
「……やっぱり当たらないや」
シュウは静かに腹を立てていた。
『なんだ?』
「どうした?」
「天使だよ。前から病院の中を動き回ってるヤツ」
「姿が見えないが?」
シュウは目で何かを追っていた。
「斬れないんだ。あの天使」
『確かに天使的な雰囲気はあるな。でも実体が見当たらない』
「実体がない……って事は幽霊か? 天使がなれるなら幽霊って居るんだ。へぇ~」
「へぇ~じゃないよ。天使は斬らなきゃいけないのに……特にアイツは気に入らない」
「でも幽霊って何をするんだ? 前から居てやられてないなら実害は無さそうだけど?」
「どんな天使よりも厄介だよ、アイツは」
「へぇ~どんなふうに?」
「居心地が悪くなる」
「……それだけ?」
「それだけで人が少なくなって天使が増える。僕も最初はその程度って思ってたよ。だけど知る限り一番厄介な天使がアイツ」
『軽さに重さがついてきた結果が今の状況って事ね』
「ここらへんにやたらと天使が多いのって?」
「まあ、アイツのせいでもあるね」
「お前が超能力って食いついて来たのもアイツを何とかしたいからか?」
「そう……だけど、もっと強くなりたいのは本当」
「ふぅん。雪兎、お前の方でどうにか出来ないか?」
『お掃除すればいいんじゃないか?』
「お掃除?」
「ん? ……何? 別の修行?」
「もっと直接的だ。丹精込めた幽霊退治……らしい」
そして俺が指定した物を揃えた。
「塩と水って、コレで何が出来るの?」
山積みにされた塩と水にシュウがそう言う。
「幽霊は空間が淀んだ事による輪郭に所以を縋っている。空間ってのは水の4つ目の状態だ。だから塩で水を吸ってその輪郭を奪ってやるか、水に流して輪郭を忘れさせるかすればいい」
「水の状態って三つじゃないの?」
「その三つの状態を安定させるための4つ目の状態だ。最も強い構造は三角形。つまり三。だけどそれだけじゃ満たせないんだ。三角形だけで四を作ると広がりが生じ、満ち、安定する。それが空間だ。ピラミッドが正八面体になってる意味もこれだ」
「……よくわかんないけど、無いんじゃどうにも出来ないじゃん」
「空間は無じゃない有だ。何も無いのに幽霊なんて起こらないんだよ。空間にだって重さはある。知れないだけでな。物として捉えるな。物に囚われるな。軽さに限りなく近いだけの重さだってあるんだよ」
「……わかんないな」
「空間なんて大仰な言い方をしてはいるが所詮は水だ。水槽の掃除って考えろ」
「水槽に入っちゃったら息できないんじゃないの?」
「良い所に気づいたな。その通りだ。幽霊の結界に入らないほうがいいってのはそういう事。溺れちゃうからな。だから水槽の外から削るように掃除していく」
「それって僕がいっつもやってることじゃん」
「そうそうその通り。スケールが違うだけでやってることは大体同じだったりするんだよ。だから一つを極めれば後はスケールを合わせてやるだけで良くなる」
「……全てに通じる」
「そう、全ては全てに通じる」
「じゃあ木刀である必要は……」
「無いな。でも意味はある。言ったろ? 補助輪だって」
――パチン
手を打ち天使を空間の淀みまで追い立て幽霊の所以を見つけた。
角の部屋。そして日が入らない部屋。窓の外には川が流れていて上の階が渡り廊下。それらに挟まれて境界になっている部屋。輪郭がここぞとばかりに集まっていた。
「囲め」
シュウがそう言うと天使の領域を囲むように黒いラインが伸び、それが通り過ぎると固められた塩が敷かれていた。
!
「これでとりあえずは封印できたな。後は掃除……!?」
瞬間、血相を変えたシュウに壁まで押された。
「なになになんだ?」
「隠れ……られないか。蹴るよ」
で、蹴られた。壁をすり抜けて思い切り吹っ飛び病院の外に転がった。隣には十字架も突き刺さっていた。
「当たり前に壁抜けしちゃってさ、オレたちも幽霊だったりする?」
『俺たちの場合は確率操作に近いと思うが……まあ、だとして何だって感じだな』
「そして、お前も投げられたのか精霊さん?」
突き刺さっていた十字は人の姿へ。のそりと顔を上げて言う。
「手放さないとあの人と逢えませんから」
「あの人? シュウと……誰かいるな? なんか、シュウに似てる?」
『? あの人……』
「あの人はシュウの母親。そして天使――見られちゃいましたね。まあ、仕方ない事です」
「え? どういう事? じゃあシュウは……」
「シュウは人間ですよ。そして天使も精霊もシュウには等しく……邪魔者」
精霊は笑顔を作っていた。
「さて、今はシュウの時間です。ご飯でも食べに行きましょうか?」
「……やっぱお前、人間っぽいな」
「そうですか。だったら、何なんですか?」
「いや、別に何でもないさ。じゃあうどんでも食いに行くか」
「お稲荷さんが食べたいです」
「お前って食べるんだ?」
「はい、姿のままに」
この前の食堂で精霊と向かい合って座った。
「精霊としては始めて来ました。臨場感が違います」
「人の姿で活動することって少ないの?」
「シュウに禁止されています」
「ふーん。今は?」
「シュウと距離を取るためと、お稲荷さんを食べたい気分だった?」
「疑問形なんだな。ていうかこの店には天使がいるけど大丈夫なのか?」
「今は人間の姿でしかありません。天使だって同じです」
――お待ちどーです。
俺たちの前にはこの前と同じくうどん。精霊の前にはお稲荷さんが置かれた。染みてツヤツヤのお稲荷さんが美味そうで俺たちは店員に追加で頼む。
その店員は少し不審な態度をしていた。
「んんん、美味しぃ!」
可愛い声で精霊が鳴く。いや、人間の方の声だろうか? 表情に目をやると精霊ではある。
しばらくしてお稲荷さんがうどんを啜る俺たちの頭に乗せられた。
?
確かに注文したものではあるが置く場所を間違えている。俺たちは少なくとも河童ではない。
「お前、一体どこに行ってたんだ……家出しやがってよ……」
頭の皿を抑えながら顔を上げるとこの前の店員だった。精霊に向かって言っていた。
精霊が顔を上げるとその店員の膝は崩れそのまま抱きついた。
「ごめんな。俺には店が裏切れねぇ。探しに行ってやれねかった。ごめんなぁ……」
「……?」
さすがの精霊も困惑している。身体を使っていてもその人の事を知り尽くしているわけではないらしい。だが、その手は震えながらもその背中に回していく。
「帰ってきれくれて……ありがとう」
精霊は身体を明け渡した。
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