第2話 捕虜の行方
日が落ちて闇が深まったころ、いよいよ捕虜の引渡しの刻限となった。一度目と同様。小さなことを変えたくらいでは、大きなことに変化は起きないようだ。
コン、と控えめなノックが聞こえ、「どうぞ」と扉を開けると、頭に布袋を被せられた者を取り囲む形で五人が中に入ってきた。一人の捕虜と四人の衛兵。カミラはその動向を観察しながら、地下牢へと続く道を案内していく。中心にいる男に意識はなく、両脇を抱えるようにして引き摺られている様子からしても、抵抗の出来ないよう何らかの薬でも打たれているのかもしれない。
地下牢への入り口はいくつかある。その入り口はジル家の者と、ごく少数の関係者――たとえば捕虜の引渡しなどの任に就いている衛兵のような者しか知らない。その道は入り組んでいて、所々に罠も張り巡らされているため、何も知らない者が入った場合はよほど運の良い者でなければ一日かけてでも出られるかわからない造りになっている。
こんなにも複雑に作られている理由は明白だった。万が一にも、収容する奴隷に逃げられたら堪らないからだ。代々奴隷売買に携わってきたジル家の人間であればなおさら、逃げられれば一生の恥。それこそ今後の商売においての信頼を地に落とす行為であり、ジル家の人間としては終わりを意味する。カミラは一度目の兄と同じ轍を踏むつもりは毛頭なかった。
階段を一段一段下る度に、石段を踏む足音が壁に反響する。何度か横に繋がる扉を経由して、目当ての地下牢へと辿り着いた。
「さあ、こちらへどうぞ」
中に案内して、全員が入室したのを確認すると、扉を閉め、厳重に鍵をかけた。これも奴隷の脱走を阻止するためである。何事においても、慎重であることは物事を完遂するためには不可欠だ。
「そこに吊るしてくださる?
天井からは幾筋も鎖が垂れている。どれも微々たる違いはあるものの用途は似たようなもので、すべて奴隷を拘束するためのものだ。
捕虜に付けられた手枷を天井から垂れた鎖の先にある
「上出来よ。ご苦労さま。それに関する報告書はある?」
「こちらにございます」
「ありがとう。少し待っていてくれるかしら」
「はい」
報告書はたったの一枚だけだった。王都でも尋問は受けたはずだが、この男は何も吐かなかったらしい。わかっている情報は性別と、敵国であるミルガン帝国の兵士ということくらいだった。交戦中に逃げ遅れたところを捕らえられた、とも書かれている。
(王都の尋問官は形だけだから仕方ないわ……)
尋問官という名目上の役職はあるものの、彼らの仕事は今や形骸化している。その役割を代わりに担っているのが奴隷商人だ。また、王都に拷問官がいないために、奴隷商人は囚人や捕虜に対する拷問をも執り行っている。この国――ラインバルト王国の通史を辿れば、王国がどれだけ奴隷商人および奴隷に比重を置いてきたのかがよくわかるだろう。王国は、奴隷事業によって発展した国だからだ。
つまりそれは、奴隷事業がなくなった王国に未来はない、ということでもある。一度目でラインバルト王国がどのような道を歩んだのかは想像に難くない。
「大体のことは理解したわ。上はなんて?」
「価値がないと判断した場合は即刻処分せよ、とのことです」
「もしかして王様が仰ったの?」
「はい。……此度の戦争で相当に気を揉んでおられるようです」
「長引いているもの。仕方ないわ」
ラインバルト王国は周辺国家との対立が悪化しつつある。長い歴史を持ち発展してきた王国が長年優勢を誇っていたものの、周辺国家に新興国家が増えたことによりその勢力図が書き換えられそうになったためだ。今、王国は何が何でもその優位を維持しようと躍起になっている。それが表面化する形で勃発したのが今回のミルガン帝国との戦争だ。
今回の戦争で王国が決め手に欠けているのには理由がある。王国が人間だけで構成された単一民族国家であるのに対して、帝国は獣人を筆頭に構成された多民族国家であるからだ。長年人間を除いた種族をあからさまに差別してきた王国にとって、他種族との戦争はまさに未知の領域だ。対人間ならまだしも、対獣人などの種族と戦った経験のある兵士はいない。いたとしても既に死んでいる可能性が高い老兵ばかりだろう。数の点、力の点においても、帝国は王国よりも事実優っているように感じる。
このままじりじりと戦争を続けたとしても、王国の勝率は限りなく低い。
「帰り道は覚えてる? 必要であれば案内するけれど」
「……お願いできますか」
「ふふ、いいわ。誰だって命は惜しいもの」
揃いも揃って困り顔の衛兵に苦笑する。この衛兵たちがここに来るのは初めてではないが、単純に道を覚えるというだけではここから無事に帰るのは至難の業だ。きちんとした手順を踏む必要があるのである。
この問いも何度も繰り返されているもので、毎度毎度、カミラはすべてわかった上で尋ねている。以前は忠告を無視した衛兵が一人、罠にかかって死にかけたことがあった。人間は学習する生き物である点が最も素晴らしいとカミラは考えている。
衛兵を全員無事に地上まで送り届けた後、カミラは捕虜のいる地下牢に戻り、近くの椅子に座って報告書を読み直した。やはり有益な情報は何も書かれていないので、肘掛けに肘をついて一度目を思い出すことにした。カミラの目線の先には捕虜の男がじっと頭を垂れている。意識があるのかないのかは謎だ。
(名前はアウル・グレイ。ランドンのもとから脱出を成功させたあと、反乱の首謀者になった)
現時点で目の前の男に関して判っている情報が少なすぎる。年齢も家族構成も知らない。問い質すべきことは山ほどある。
(ここから逃げ出せなかった場合、最終的にこの男は処分される)
捕虜の処分は二つに別れる。一つは処刑、もう一つは奴隷に落とされること。
今回の命令を見るあたり、拷問中に有益な情報が出ようが出まいがどうでもいい、さっさと殺せ、というのが王の本音だろう。
と、獣の耳がピクリと反応を示した。ようやくお目覚めのようだ。
「あら、目は覚めた?」
「……ここ、は」
「地下牢よ。自分が誰だかはわかってる?」
「……おまえは」
「カミラ・ジルよ。カミラと呼んで。可能であれば“様”を付けてくれると嬉しいわ」
「……な、っは、ぁ」
「水を飲んだほうがいいようね」
さりげなく名前を聞き出そうとしたが失敗に終わる。簡単な誘導尋問に引っかかるほど理性が飛んではいないようだ。
水を注いだグラスを男――アウルのもとへと持っていく。敵意を露にした表情にぞくりと背筋が痺れた。
「毒は入ってないわよ。自白剤も入ってない」
「……」
「信用できないでしょうから、私が先に飲むわ。よく見ていて」
アウルの視線が自分自身に注がれていることを確認して、カミラはグラスの中身を2、3口呷った。手元、口元、喉元がよくわかるように丁寧に行う。
最後の一口を飲み下して、カミラはあー、と口を開けた。きちんと飲んだことを証明するためだ。赤く色付いた舌がのぞき、まもなく奥へと引っ込んだ。
「ほら、問題ないでしょう? 安心して飲みなさい」
グラスを口元に近づけると、警戒したように一瞥したあと、アウルはゆっくりと縁に沿って口付けた。飲みやすいように傾けてやると、その喉仏が幾度か上下に動き、確実に体内へ取り込まれたことが判別できた。今のカミラはこの男をすぐにでも処刑するつもりはないので、餓死は防ぎたいところだ。
極限までグラスを傾けたところで、飲み干しきれなかったのだろう一滴がアウルの口の端からこぼれる。その口元からグラスを離して、カミラはその一滴を拭うように舌を這わせた。唇に触れるか触れないかという微妙なところで、わざとリップ音を鳴らして終わりにする。アウルの身体が硬直したのが手に取るようにわかり、カミラは愉快な気持ちになった。
「ん、しょっぱいわ。土が混じっていたのね」
「な、にを、して」
「水をこぼしたから、拭ってあげただけよ」
「は、」
「それとも、ここにキスをされるとでも思ったの?」
とん、と唇に人差し指を添えてやると、アウルの頬に朱が走った。存外、この男は初心らしい。女性経験も少なそうだ。
可愛いところがあるじゃない、とカミラは微笑む。男を揶揄うのはこれだからやめられないのだ。
アウルが中々何も言わないので、カミラは少しじれったくなった。
「キスしましょうか?」
「っ、しなくていい! お願いだからしないでくれ!」
「そんなに拒絶されると悲しくなるわ」
「……も、もっと自分を大切にしろ」
動揺しているのか、咄嗟に出てきた言葉に思わず閉口する。この男はきっと根が真面目過ぎるのだ。カミラであれば、そのような文言は皮肉でしか使わないというのに。
この男の言葉は本心からであることがわかるから、困る。
「……ふふ、ありがとう。肝に銘じておくわ」
「ああ……そうしてくれ」
でもだからこそ、そのペースに飲まれては駄目だと、カミラは自分自身を律した。
「ところで、何か聞いておきたいことはある?」
「……まず、お前が何者なのかを知りたい」
「いいわ。名前はさっき名乗ったと思うけど、カミラ・ジルよ。私が何者なのかという質問については……奴隷商人といえばわかるかしら。ジル家の家名は聞いたことがある? この国唯一の公爵家で……代々奴隷事業に携わってきた一族でもあるわ。私はそこの人間なの」
アウルが目を見張った。ようやく自分の立場を理解したのかもしれない。
「俺は、奴隷になったのか?」
「いいえ、まだなっていないわ。今後なる可能性がないとは言えないけれど」
「なら……これから俺をどうするつもりだ?」
「そうね……私があなたを尋問して、必要であれば拷問もして、必要な情報を吐かせたあとに処分……殺すか、もしくは奴隷に落とすかの二択になる予定よ」
カミラが考えているシナリオは以上である。これまでの捕虜に対する事例を参照したらこのようになった。だからその通りに伝えたのだが、アウルはそれっきり無言で何かを考え始めてしまった。
策でも練っているのかしら、とカミラは退屈そうに自らの髪を弄る。
(このまま無言を貫かれてもつまらないわ……)
情報を吐かないためにと口を閉ざされては堪らない。もっとも、そのときは鞭を打つなどして無理やりにも吐かせるだけであるが。
「ねえ、あなたの名前を教えてくださる?」
「……」
「私の名前は教えてあげたでしょう? あなたの名前を教えないなんてアンフェアだと思わない?」
「……」
「あなたの名前がよっぽど有益な情報なら教えてくれなくてもかまわないけれど」
「……はあ。アウルだ。アウル・グレイという」
「アウル・グレイね。覚えたわ。あ、なんて呼べばいいかしら?」
「……なんでも、好きなように呼んでくれ」
「あら、そう? なら、わんちゃんと呼んでもいい?」
「アウルと呼べ」
「ふふ、わかったわ」
割と本気で呼ぶ気でいたので少しばかり残念だ。アウルの何とも言えないという表情を見て、柄にもなくはしゃぎすぎたかしら、と反省する。
月も真上へのぼり、すっかり夜も更けてしまった。心なしか眠気も出てきたような気がして、くぁ、とカミラは欠伸をこぼした。
(さすがに眠いわ……)
「今日はここまでにしましょう。また明日来るわ」
鍵を開けて、扉を開く。アウルの目がその先に向くのがわかったが、無駄な努力だから諦めたほうがいい、とカミラはさして気に留めなかった。
「用を足したくなったらそこの桶にして。私がこの部屋を出てある程度時間が経てば必要最低限の距離だけ鎖の可動範囲が広がるから、今よりは動けるはずよ。でも、ここから逃げ出そうとするのはやめたほうがいいわ。文字通り引き摺り戻されるから」
後ろ手に扉を閉め、厳重に錠をかける。階段を上り始めてすぐに、じゃらりと鎖の音がした。きっとアウルは忠告を無視して脱走を図るだろう。
(それでいいのよ……人間は失敗して学習する生き物だもの)
アウルもそのうち学習するはずだ。ここから出ることが限りなく不可能であることを。
一度目で兄であるランドンは彼に逃げられているが、それは地下牢の設備が悪いのではなく、単純にランドンの管理能力の不手際が原因だろうとカミラは推測している。
(私はランドンのような失態は犯さない)
あいつと同じ轍を踏むなど吐き気がする。
湧き起こる不快感に顔を歪め、カミラはそれを払拭するように歩くスピードを幾分か上げた。
奴隷商人である公爵令嬢は二度目の人生を手に入れた。 雪澄アリア @kuroneko0408
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