奴隷商人である公爵令嬢は二度目の人生を手に入れた。

雪澄アリア

第1章 狼の男

第1話 Camilla Jill

 カミラの前では、古ぼけた木板きいたで組まれた絞首台が今か今かとそのときを待ち侘びている。



(ああ、私、これから死ぬのね)



 奇妙な諦観を抱き、カミラは両脇を支える二人の男に導かれるまま、大人しく足を動かした。


 父や兄たちは、反乱に巻き込まれまいとして一足先に逃げ出したそうだが、その途中で反乱軍に扇動された民衆に見つかり、殴る蹴るの暴行の末に殺されたと聞いている。


 逃げも隠れもせず自邸で悠々と紅茶を啜っていたカミラのもとに、反乱軍が押し寄せ、拘束され――今に至っている。


 そういえば、とカミラは思い出す。反乱軍のリーダーの顔には見覚えがあった。


 ――アウル・グレイ。狼の獣人の男だ。


 ……二年ほど前だろうか。奴隷落ちを待つ敵国の捕虜としてジル家に連れられて来て、次兄であるランドンに引き取られたが、その後まもなく脱走したという――。


 あのときのランドンの顔は見物だった。あんなに顔を真っ赤にして震えているのを見たのは初めてで気分が良かったのだ。


 アウルは絞首台から離れた真正面に設けられた高台から、カミラの処刑を待っている。目があったような気がしたが、その表情を読むまでには至らなかった。



(おかしな縁だこと。奴隷商人が奴隷ごときに殺されるなんて。幕切れには打ってつけってわけね)



 絞首台の上に立つと、乱暴に髪を掴まれ、煤けて茶色く変色した縄にカミラのくびが押し込まれた。反動ではらりと崩れた彼女の眩いプラチナブロンドが、縄に寄り添うかのごとく絡みつき、次いで顔の一部を覆い隠した。


 と、その瞬間。それまでカミラの一挙手一投足を見逃すまいと彼女をめ付けるように傍観していただけの民衆が、一人の中年の女性によって口火が切られ、罵声や石が一斉にカミラ目掛けて飛んできた。



(どうせなら、赤い縄がよかったのに)




「おまえっ、おまえのような奴のせいで私の息子は!!!!」

「ころせ、殺せ殺せ殺せ!!!!」

「娘を返せ!」

「あの人を返して!」

「さっさと殺せ!!」

「殺しちまえ!!!!」

「奴隷商人は皆殺しだ!!」



「「「「ころせ!!!!!!」」」」



 民衆の声は大きく渦を巻いて一塊いっかいとなり、カミラに襲い掛かるようだった。カミラの額、首筋、膝、足首……至る所に石が当たり、傷を付けていく。拘束されてすぐに着替えさせられた布切れのような襤褸ぼろでは、彼女の身体を守り切るには心許なかった。切り裂かれた箇所から、つうぅ、と真っ赤な血が流れだす。額から垂れ落ちた血がカミラの唇にこぼれ、彼女はそれを舌で掬って丁寧に舐め取った。最後の晩餐は血のようだ。


 身体を支えていた男たちが離れ、自重じじゅうでグッと頸に圧がかかったのを機に、カミラは俯かせていた顔を上げた。今回の反乱の首謀者である男と目が合う。それが合図だった。


 アウルが「静粛に」と声を上げる。その瞬間、水を打ったかのように狂瀾きょうらんが止んだ。そして、アウルの右隣にいる獣人の男(側近か何かだろうか?)がカミラの罪状を読み上げていく。予想していた通り、それは見事なまでに奴隷に関することのみだった。



(ああ、それなら、私の人生はすべてが罪になる)



 カミラ・ジルは生まれながらにして奴隷商人だ。奴隷の扱いを学び、奴隷を使役してきた。そのことから逃れる選択肢など浮かばなかったし、カミラはそれを甘受して生きてきた。


 罪状の読み上げが終わると、アウルの灰色の目がカミラを捉える。やはり、その表情からは何も窺えなかった。



「カミラ・ジル」

「……はい」

「言い残すことはあるか」



 カミラはあたかも初心うぶで無垢な娘のように微笑んだ。民衆にざわめきが起こる。それを狙ってのことだった。子どものいたずらのような意趣返し。あわよくば、この笑みが、目の前の男の顔を少しでも歪めることを願って。



「おしあわせに」



 いっそのこと、こびりついてしまえ。

 


 床板が外れ、カミラ・ジルの身体がくうに浮く。


 なまめかしい女の肢体が幾度か揺れ、その後ピクリとも動かなくなった。









 ――はずだった。



「次の取引では珍しい獣人が手に入る。高く売れるぞ」

「獣人ですか。それはいい。躾のしがいがありそうです」

「獣人といえば、我が国と交戦中の獣の国がありましたね。この間の一戦では我が国が勝利を収めたと聞きましたが」

「ああ。実はその話で……」



 父と兄たちが楽しそうに談笑をしながら料理に舌鼓を打っている。カミラの前にも湯気を立てるステーキが用意されていた。何もおかしなところなどない彼女の日常である。――ここにいる全員が一度死んだはずの人間でなければ。



(何が起きたというの?)



 フォークとナイフをマナー通りに動かし、その肉を頬張る。肉汁が口の中一杯に溢れ、カミラの空腹を満たしていく。



(死んだはずでは?)



 何とも不可思議な現象である。どうやら、時間が巻き戻っているらしい。なお、原因については不明である。


 視線を移した先にはカミラが大嫌いな彼らが生きている。カミラの亡き母親とカミラ自身を重ねている厄介な父親のセドリック、年の離れた妹ですら性的対象として見ている放蕩な長兄のアーノルド、面の皮だけは分厚い人でなしの次兄のランドン。


 彼らの顔をもう一度拝む機会だけはいらなかった。何の因果か二度目の人生になるが、それだけでもう大損をしている気分だ。処刑まで、またこの人たちと寝食をともにするのか、と考えるだけでも憂鬱になる。



(もう一度やり直す?)



 二度目の人生だという。生を渇望する者にとっては突如として降って湧いたような、願ってもないチャンスだろう。しかし、カミラには生に対する執着心もなければ死に対する恐怖心もない。きっと死んだ母親のはらに忘れてきたのだろう。


 それゆえに、もう一度処刑される運命だとしてもかまわないと思っている。


 ああ、でも、とカミラは最後の肉の一切れを放り込み、咀嚼しながら思考を巡らせる。


 二度目の人生だという。何もしないのもつまらないじゃないか。



(変化を持たせるのもまた一興、かしら)



 と、カミラは結論付けた。




「カミラ」



 不意に呼ばれ、カミラは内心の動揺を押し隠して父親に笑いかけた。まったく話を聞いていなかったが大方奴隷の話に決まっている。それに、確か獣人の話をしていたはずだ。



「獣人の話でしたよね?」

「そうだ。今日の夜に、獣人の男が捕虜として連れて来られることになっている。その監督を誰が行うかで……ランドンに任せようと思うのだが、お前はそれで構わないな?」



 父であるセドリックの緑色の双眸がカミラを鋭く射貫く。昔から、意見を聞いているようで実際には意見をするなと言わんばかりのこの目つきが不愉快で気に入らない。


 肉の油分で潤った唇をナプキンで拭う。獣人の男というのは、アウル・グレイのことで間違いない。このシーンには見覚えがあった――二年前、カミラが15歳のときだ。獣人の男が次兄のランドンの手に渡ったのは生涯にこの一度きりしかない。この男の脱走以降、ランドンは獣人に関わることには一切手を出さなくなった。表立っての噂こそなかったものの、“奴隷、あまつさえ獣人に逃げられたジル家の子息”というレッテルを張られたのだ。常日頃から自分以外の他者を見下している節がある彼にとってはどれほどの屈辱だったか。二度目は何としてでも回避したかったに違いない。



「いえ、その件、私に一任してもらえませんか?」



 すぐさま空気が張り詰めたのがわかった。この家で、カミラの立場は高くも、低くもない。


 不満を隠そうともせず、眉をひそめたセドリックが呆れたようにため息を吐いた。



「何を言い出すかと思えば。お前に務まるとは到底思えん」

「いいえ、お父様。私は幼い頃からお父様やお兄様たちが奴隷を躾けるのを間近で目にしてきました。それに、私自身も12のときから奴隷を躾け、使役しています。私はこれからも誉れ高きジル家の一員として恥じぬよう、今からでも経験を積んでおきたいのです」



 言葉通り、カミラは幼い頃から奴隷事業に携わってきた。セドリックやアーノルド、ランドンに出来てカミラに出来ないことはない、と言えるほどには十分すぎるほど奴隷に関することには精通しているという自負がある。


 ただ、カミラは何もセドリックに認めてもらおうとしてこのような眉唾物の文言を口にしたわけではなかった。これは単純に時間稼ぎの一環にほかならない――セドリックと目を合わせ続けるための。



「ね、お父様?」



 ――お願い、聞いてくださるでしょう?



 セドリックの緑の目が虚ろに濁る。その大きな頭が上下に揺れた。



「ああ……いいだろう。お前に一任する」

「なっ」

「感謝いたします、お父様」

「父さん! 僕に任せていただけるはずだったでしょう?!」



 次兄の悲鳴じみた抗議を尻目に、カミラはひっそりと食堂から抜け出した。彼らの所有する奴隷には少し悪い気もするが、頑張って癇癪に耐えてもらうとしよう。



(ランドンはプライドが高いから……アーノルドはあまり関心がなかったみたいだけど……)



 この家の人間は皆自分本位で、今に始まったことではない。アーノルドが興味関心を示さなかったのも、自分に降りかかった火の粉ではないからに過ぎない。



(成功してよかった。この頃には使えていたものね)



 カミラには魔法の素質があった。彼女に適性があり、殊更上手く扱えるのは闇属性魔法と風属性魔法の二つ。先ほど使った魔法は少々特殊なもので、「魅了」と呼ばれる魔族特有の魔法だ。「魅了」が使えるようになったのは15歳の誕生日を迎えてすぐだった。それも偶発的というか、半ば事故のような形での発現だったが。



(お母様が魔族だと考えたときもあったけれど)



 魔族には特徴がある。魔眼と言われる縦に伸びた瞳孔を持つのが魔族であり、見分けるのは容易なことだ。しかし、母親であるカミラ・マーにそのような特徴があったとは一度目でも聞いたことがなかった。



(今の私のように隠していた?)



 カミラは魔眼を持っている。それが発現したのは、同じく15歳の誕生日を迎えてすぐ。それに気付いてからは急いで認識阻害の魔法をかけた。傍から見ればカミラの瞳はただの人間の瞳と変わりない。



(それは有り得ないわ。魔法阻害の首輪をつけられていたはずだもの)



 カミラの母親は奴隷だった。奴隷には等しく魔法阻害の枷が付けられる。これには魔法による抵抗を予防する目的があり、これを取り付ける作業は奴隷を扱う上でも細心の注意を払うべき事柄である。だから、魔眼を隠していたとしても枷を付けられた途端にバレてしまう。



(やっぱり、お母様に魔族の血が流れていたのは確かで、お母様にはそれが発現しなかった……それで、子供の私に隔世遺伝で発現した。そう考えるのが自然ね)



 一度目の人生でも何度か繰り返した問いだ。何度考え直しても、同じ答えに辿り着く。おそらくこれが正解なのだろう。


 どちらにしろ、影響は然程ないから気にするだけ無駄とも言える。魔族の血が入っているからといって、純血の魔族に比べれば所有する魔力量においてその差は歴然だ。魔族の血が入っている程度であれば、一般の魔法使いより少し上くらいの魔力量だろう。


 自室の前に待機していた召使に紅茶を持ってくるように指示をして、レッドベルベットのアンティークソファーに腰掛けた。



(今気にすべきことが他にあった)



 今夜、獣人の男――アウル・グレイがやって来る。


 一度目の人生で反乱の首謀者となった男はどんな人物なのだろうか。あのランドンでさえ躾に失敗したのだから、よほど反抗心が強いのかもしれない。


 今のところ、アウルについてカミラが知っていることは些細なことで、推測できる事柄もほんの僅かだ。



(楽しみだわ。道具のメンテナンスもしておかないといけないわね)



 私を処刑に導いた人。



「ふふ」



 思わず笑みがこぼれた。本当に、何の因果だというのだろう。


 あのあと、彼は期待通りに苦しんでくれたのかしら?




「そうであれば気分がいいわ」



 召使が持ってきた紅茶を堪能しながら、彼女は悠々とそのときを待った。

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