第13話 〜汐留優 side〜

 湯呑みから漂うほんのりと甘い香りは、私にとっては思い出だった。


 産地である石川県の周囲を除けば、棒茶を日常的に飲む家庭は少ない。ほとんどない、と言っても良いと思う。

 私も、このお茶を飲むようになったのは、高校の頃からだ。


 高校2年。受験前の、好きに遊べる最後の夏休み。

 私は、沙織ちゃんと加賀の辺りへ旅行に行った。


 周りの友人は、やれ東京だ、やれ海外だと、豪勢に遊んでいたけれど。

 人が多いところに行きたがらない、そもそも必要以上に外出をしたがらない沙織ちゃんのことだ。そういうところを行き先に選んだら、絶対に一緒には行ってくれない。


 そこで選んだのが石川県。

 東京と比べれば人が少なく、観光もできて、何よりもご飯が美味しい。

 旅行に行かない? ではなくて。

 美味しいお魚を食べに行かない? と誘ってみたところ、沙織ちゃんは何度か目を瞬かせてから、ゆっくりと頷いてくれた。


 そうやって実現した、沙織ちゃんとの初めての旅行。

 一緒の部屋で過ごした初めての夜に、「味が違う!」「甘い!」と笑いながら飲んだ加賀棒茶。






 それを、久しぶり、と言われたのは、正直ちょっとショックだった。






 未練なのかもしれない。執着とさえ言えるのかもしれない。

 それでも、私にとっては好きな人と初めての旅行で、

 大切な、思い出だったから。

 

 そんなことを思いぼんやりとしていたから、パン、という突然の音には驚いた。


 パッと顔を上げると、沙織ちゃんが真剣な顔をしてこちらを見ている。


「何を聞けばいい? そして、何を聞かない方が良い?」


 そんな言葉を皮切りに、次々とぶつけられる言葉は、まるで心の奥底を覗き込まれているようで。

 それでいて、まるで真摯な祈りのような。


「私は、優の力になりたい。

 そのためには、どうすればいい? 何をしたらいい?

 教えてくれ」


 かぁっと体が熱くなる。

 沙織ちゃんに、大好きな人に、そんな言葉をぶつけられたら、もうどうしたら良いか分からない。


「〜〜〜〜!!

 わかった、わかったから。手を離して、お願いだからもう限界」


 声にならない悲鳴。甲高い鳴き声のような音が、喉の奥で弾けて消える。

 最後の方は、もう掠れてしまって言葉にならなかった。


 すっと身を引いた沙織ちゃんの顔を見ていられなくて、頬を押さえて倒れ込む。

 ごん、と額に衝撃が走ったが、気にする余裕なんてなかった。


 もう、なんなんだろうか沙織ちゃんこの人は。


 誰もが持っている、『ここから先は踏み込まないでおこう』という暗黙の了解。それは当たり前の気遣いで、けれどもその本質は、『拒絶されたくない』『巻き込まれたくない』という自己防衛だ。


 その『気遣い』が、沙織ちゃんにはないのだろうか。


 いつだって直球で、明け透けで、一直線に。

 そうやって沙織ちゃんは、心のうちへと、何の躊躇いもなく踏み込んでくる。


 でも。

 ……だから。


 溢れ出そうになる感情に、私はそっと蓋をした。


 今はまだ、話せない。

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ある日、親友が家に押しかけてきた 耶ト花 @nagxu

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