帰る日の一コマ(スィートメモリー・スピンオフ)

緋雪

母上

「ちょっと〜! ひで、準備できたの?!」

台所から、母が大きな声で呼ぶ。

「まだ3時間前だぞ?」

僕は、そう思いながら、家に送ってもらうための段ボール箱にテープを貼ろうとしていた。


「あー、ダメダメダメ、まだテープ貼らないで」

母に阻止される。

「なんでだよ。もう箱いっぱいだよ?」

「まったく。何しに実家に帰ってきたわけ?」

「父さんの墓参りですよ?」

「それだけじゃないでしょ。母の愛! 母の愛!」

なんですか、母上、それは。


「ほらー、もう、なんで自分の荷物しか持って帰ろうとしないのかしら」

それは、僕の荷物だからです。

ひとみさんへのお土産は?」

「空港で買うけど」

「そんな、ちょっとやそっと〜」

「どうしろっていうの、もう」

「明日の朝市で、いろいろ買って、大きい箱に、一緒に詰め直して送ってあげるからさあ」

「朝市? 魚でも送ってくるの?」

「妊婦に生もの送ってどうすんのよ! 野菜とかさあ、ほら、東京で買うと高いでしょ?」


 送料考えたら、多分そう変わらないけどね。そう思いながらも、母の好きにさせることにした。いちいちこの人に反論しても疲れるだけだ。放置しよう。


「瞳さんと智恵ちえちゃんも来れたらよかったのにねえ」

「まあ、こんな時期だからね」

さすがに妊婦と幼児を連れ回すのはやめておいた。

「そうよねえ。いつ終息するんだか。お正月には帰って来れるといいわね」

「そうだね」



 世界中で猛威を振るった新型ウイルスも、ワクチンの接種が進み、世間全般的に以前より警戒心が弱くなったように感じられる。

 それでも、僕はあの羽田空港の人混みの中を、妊娠中の妻や、まだ2歳半の娘を連れて歩くのは気が進まなかった。母も同意見だった。

 だから僕は今回一人で、お盆の時期をずらして、少し遅めに、帰省したのだった。


 母は、随分と嫁さんがお気に入りで、常に色々と送ってくる。妻は、野菜の山に笑いながらも、嫌な顔一つせず、アレンジを凝らして料理をしてくれるのだった。

 そして、事あるごとに、花やケーキや、自分で作った日持ちのする料理などを母に送っていた。

「お義母かあさんの口に合うといいんだけど」

そう言って。


 嫁姑が仲が良いっていうのは、本当に幸せなことだと思う。

「ね、父さん」

仏壇の前に少しだけ座って、帰るよ、と簡単に報告をした。



「早く乗って。遅れちゃうでしょ!」

車のドアを開けたまま、大声で僕を呼ぶ母。

「だから、まだ早いって」

空港まで15分でしょ。空港でどれだけ待ち時間ができると思ってるのさ、まったく。

 勿論、後半は声に出さない。この人に反論は通用しない。

 

「瞳さんによろしくね。あと、事務所の皆さんにも」

「うん」

「智恵ちゃんといっぱいお喋りしたかったわあ」

「帰ったら、電話させるよ」

「あらぁ、嬉しい。ばあばの声覚えてるかしら」

「大丈夫でしょ」

あれだけ頻繁に電話してきてればね。あとは、妻に上手くフォローしてもらおう。お願いします、瞳さん。


 空港近くまで来て、母の携帯が鳴った。

「あらあらあら。ちょっと待っててね〜」

近くのコンビニの駐車場に入って、電話をかけ直している。

「あら〜、そうなの?! あらあら、いつから? まあ〜、そうなの〜! あたし? 今、英を空港まで送ってってるの。そう? え〜、行く行く〜! うん〜、待っててね〜」

そう言って電話を切ると、

「あら〜、忙しくなったわ〜」

と、母。

「どうしたの?」

「加山さんとこの美紗ちゃん。今、孫のサッちゃん連れて帰ってきてるんだって〜。里中さんも藤田さんも来るから、一緒にランチしない? って」

地元の仲良しさん達だ。っていうか、あれ? そっち行くことになったんですか、母上?

「空港であんた降ろしたら、すぐ行くから」

「え? 瞳と智恵にお土産買うんじゃなかったの?」

「明日、荷物で一緒に出すから。あ、智恵ちゃんには、何かおもちゃ買って帰ってあげてね!」

はぁ…。あなたは本当にマイペースだね。

「了解」



 空港に着き、僕が車を出ようとすると、

「あらっ! あんた、そんな薄着だったの?」

初めて気付く母。

「あのチェックのシャツでも上から羽織ればよかったのに」

「向こう着いてから邪魔になるでしょ」

母上、内地は、まだまだ真夏の暑さです。

「もう、ホントにあんたは〜。まあいいわ。とにかく、体には気をつけてね。瞳さんによろしくね。智恵ちゃんにも。皆さんにも」

「了解」

「じゃ、あたしはここで。じゃあね〜」


 こうして、2時間もの不要な待ち時間を僕に与えて、ははは去っていったのだった。

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帰る日の一コマ(スィートメモリー・スピンオフ) 緋雪 @hiyuki0714

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