「その手紙」その⑦

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 景虎の与えられた仕事は付き人兼、サイトウのボディガードの様なものだった。

 

 サイトウが出かけるとどこでもついて行き、夜中まで付き合うと解散。そして翌朝の四時にサイトウの会社で持っている黒のアルファードをサイトウの住む赤坂のタワーマンションの車寄せに停める。

 それからサイトウが起きてくる十時頃までぼうっとしながら車寄せにアルファードを停めっぱなしにするのだ。当然、他の住人の呼んだタクシーや自家用車なども来るのでその時は車寄せをぐるっと一周回ったり、赤坂〜青山〜六本木とまたぐるっとドライブして回り時間を潰した。

 

「やっぱ、成功者はみんなショートスリーパーなわけよ。だから俺も睡眠時間は削って活動してる。夢を叶える人はみんな寝ないわけ、分かる? 時間がもったいないからね」

 

 サイトウは三日に一回ほどの頻度で自分の住む赤坂タワーマンションの会議室の様なスペースを貸し切るか、サイトウの会社が契約している六本木のレンタルオフィスで「セミナー」だとか「講習」だとかいうのを開催していた。

 因みにサイトウがショートスリーパーだとか睡眠を削っているというのは「大嘘」だ。何せ夜中に家までアルファードで送らせて解散。そしてショートスリーパーというの為、翌日四時集合なのだがサイトウが車に来るのは十時から十二時の間だ。どう考えてもぐっすり寝ている。どうでもいいので景虎は指摘したりはしなかったが、これを講習会で言うのは如何なものだろうか。

 元々、寝る間も惜しんで働いていた景虎には余裕だったがサイトウはよく移動中も車で寝ていた。むしろ人より寝ている。

 

「もう一度言うよ、スティーブ・ジョブズもマークザッカーバーグもキングコングの西野も手塚治虫もみんなショートスリーパーなんだよ、成功者はみんな寝ない。これ重要だからメモしてね」

 

 ホワイトボードの前に立ったサイトウがそう言うと講習会に集まった人たちは一斉に各々が用意したノートにメモをしている。彼らは例の「受講料」を払った生徒の人たちで、景虎含む運営やサイトウの会社の人間たちとは少し違う雰囲気だ。「余裕」がない。きっと高額な受講料で貯金を崩したり借金した人もいるんだろう。むしろこのニュージャパンオンラインサロンは積極的な借金を勧めていた。受講者は早くその負債を取り戻したいに違いない。

 

 景虎はそんな講習会の様子を少し離れた位置からカメラを回しながら見ていた。カメラは意味があるのか知らないが、サイトウの指示だった。

 必死にメモをとる年齢がバラバラの参加者たち。景虎と歳の近そうな者もいれば、母と変わらなさそうな人もいた。

 サイトウの例にあげた有名人たちはどこかおかしい組み合わせだがみんなは良いのか、それで。ジョブズと手塚治虫は早死にしたし、キングコングの西野は移動中の車で必ず寝ていると他の芸人にバラされていた。その真偽は一般人に確かめる事はできないだろう。

 

 きっと「寝ない」が成功者の秘訣ではない。「寝る間も惜しんで働く」もしくは物理的に「寝る時間が取れないほど忙しい」の方が正解に近いんじゃないか。みんな好きで寝ないわけではないと思うが。

 

 サイトウの言う言葉はどこか安っぽくて軽い。だが、楽しくて希望に満ちてはいた。「すぐに一月五十万稼げるようになるよ」と。

 景虎の尊敬する父とは真逆の事を言う。父は学べと言った。働くことで幸福になれ、と。しかしサイトウは怠け者だ。彼は何の仕事をしているのか? 彼が働いているところを見た事がない。

 

 だが、景虎は変わった。

 サイトウは一日の終わりに景虎へ手渡しで報酬を支払う。それは日毎に違う額で大体「三万円〜五万円」多い時で十万円という日もあった。

 若く、世間を知らず、そして自分は苦労していて不幸だと。どこかそんな自分に酔っていた景虎は毎日数万円の報酬を貰える事で満足してしまっていた。

 

 そんな景虎の仕事ぶりで特にサイトウが気に入っていたのは、ボディガードだ。

 サイトウは例の受講料と、受講者を六本木のオフィスに月に五万円で契約させる事で主な報酬を得ているらしかった。たまに「特別コンサルティング」と称しまた五万円の費用でサイトウからアリガタイお言葉を貰えるという企画をやっては受講者を募って売り上げていた。

 

 そんなやり方で金儲けをしているものだから当然の如く彼の敵は多かった。かつての受講者だったり、だったり、裏社会の人間だったりとそれは多岐にわたる。景虎はそういったサイトウに近づく連中を全てやっつけていた。具体的には景虎の最も得意とする事だ。つまり暴力を持って対処していた。

 大抵の輩は少しおどかせば諦めて逃げていく。だが稀に向かってくる奴は容赦なく追い払った。そんな日は報酬が増えるので景虎は嬉しかった。自分が何をやっているのか、もはや感覚が麻痺してしまっていたのだ。

 

 サイトウはペテン師だ。サイトウの会社は反社だとかマルチ商法会社だとか悪徳宗教と呼ばれるような詐欺まがいのモノだろう。みんな騙されている。だが、たまにサイトウに気に入られて少しその中で出世する奴もいた。しかしすぐに姿を消した。サイトウについていけなくなったり、サイトウが飽きて冷遇したり罵声を浴びせたり、会員同士でいじめさせたり、とにかく圧力をかけて追い出すからだ。景虎を誘った野口もいつの間にか姿を見せなくなった。でも景虎は気にも留めていない。所詮あいつはその程度だった、と。その時は本気でそう思っていた。

 

 その時の景虎には全てどうでもいい事だったのだ。毎日数万円の報酬を貰い、サイトウがオフだと言い張って家から出てこない日には景虎は自由に東京中を遊んでまわった。

 

 サイトウに教わったクラブやバーで女遊びを覚え、喧嘩があれば負け無し。文句がある奴は黙らせた。一部の「本物」の連中に目をつけられていたらしいが、当時のサイトウは六本木を中心とした港区で相当な影響力を持っていたので、その仲間の景虎に対して迂闊に手を出す事はなかった。

 

 景虎は益々増長し、貯金する事も、本を読む事も、学ぶ事も、母と妹も、全て忘れて怠惰な生活を送っていた。楽しかった。無敵だと思っていた。二十一歳でこんなに楽しい人生なのに、これから先はどうなってしまうんだ。景虎の頭の中はお花畑でいっぱいになっていたのだった。

 

 父から貰った大切な、人生の指針とも言える生き方と言葉はもうその時の景虎はすっかり忘れてしまっていた。

 

 

          

          


          ◯

 景虎は明里の誕生日に久しぶりに凰船の実家に戻り、母と明里と共に少し高級な金倉のレストランに食事に来ていた。

 二人に会うのは本当に久しぶりだ。既に東京へ移住してから半年が経過していた。それだけに、その誕生日会は楽しいものだった。何だか昔の自分に戻った錯覚がして景虎は心が穏やかになっているのを感じていた。

 その晩餐中、不意に母が言った。

 

「景虎、あんた痩せた? 少し顔が変わったんじゃない?」

 

母がそういって心配そうに顔を覗き込んでくる。すると景虎は「いやいや」と笑って言葉を返した。

 

「母さんの方が痩せてるよ。しかも何か顔色が悪くねえか?」

 

 言い返された母は「あら」と冗談っぽく笑っていた。だが、実際その時の母は既に体調が悪かったはずだ。妙に痩せていて血色も悪かった。顔が「灰色」に見えたのだ。青い、白いと体調が悪い時に顔色をそうやって表現したりもするが、その時に景虎が感じた母の印象は「灰色」だった。なぜそう思ったのか分からない。景虎もある意味この先の運命を察知していたのかも知れない。

 異変には気づいていた。しかし何もしなかった。この時に強く病院へ行って検査する事を薦めなかったことを、景虎は生涯後悔し続けることになる。

 

 

「また喧嘩してるでしょ」

 

母は言った。実際、サイトウの揉め事に巻き込まれて喧嘩はしょっちゅうしていた。やはり何故か母にはバレてしまう。景虎は心配させまいと口を尖らせて言い返した。

 

「してねえよ」

 

「ふうん、まあ良いけどね。景虎くんは向こうで頑張ってるわけだ」

 

「ああ、今度旅行にでも連れて行ってやるよ。箱根とか、熱海でもいいな。温泉とかどうよ?」

 

景虎がそう言うと、明里は「行きたい!」とやたら食いついてきた。それに対して景虎は「お前は大学受験だろうが」と笑って言うのだった。

 その子供たちが久しぶりに戯れ合う光景を見て、母は幸せそうな表情をしていたのを覚えている。幸せ、だったのだろうか。景虎は今をもって母の人生の幸福度合いを図りかねている。

 

 多分、一生それが分かる事はないだろう。それは景虎にも理解できていた。それでも、母は幸せであったと願わずにはいられなかった。

 

「旅行かあ、良いかもね。なら私もお金貯めておかなくちゃね」

 

 母は生きる目的が定まったかのように嬉しそうに景虎に向かって微笑んだ。

 

            

          


          


          ◯

 そして季節は夏になる。茹だるような暑さの中で、景虎は相変わらず間違いを犯し続けていた。

 その間違いは積み重なり、物理的な意味ではなく、景虎が父の言葉と意志を忘れた頃には既に歯車は狂い始め、取り返しがつかない道を進んでいたのかも知れなかった。






────その⑧に続く

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