「その手紙」その⑥
6
だが、少しここから時間は戻る。
────。
「理想を叶える場所?」
「そうそう、そういう集まりっていうか。会社とは違うんだけどね」
先日、景虎に仕事を紹介するとメールを入れて来たのは中学時代の同級生だった。別に特別仲が良かったわけではない。会えば話す。その程度の関係だ。だが逆にその希薄な関係性が罪悪感を薄め、警戒心を解いてしまった。
彼は野口といった。中学の時は坊主頭だったのに今はツーブロックの髪をジェルで固めていてジャケット姿だった。なんだかやけに肌と歯が白くて胡散臭い印象だ。だが、その時の景虎は金が稼げれば何でもよかったので気にはしていなかった。
今は彼に「話だけでも聞いてよ!」と言われ東京、青山の「シェアオフィス」なるオシャレ空間に来ていた。それぞれ他人同士がみんな野口みたいな格好をして壁に向かってパソコンをカタカタやっている。
景虎は金倉の田舎者だったので東京だとか青山だとか言うだけで浮足立っていた。そのシェアオフィスは広く、ナチュラルでオシャレなインテリアに満ちていて、こんなにいらないだろというくらい観葉植物が飾られていた。
野口は言った。
「あ、今から俺の尊敬している人が来るからさ。ちょっと会ってみない?」
「なんだよそれ、つうかお前は何をやって稼いでるんだ?」
「だから会社じゃないんだってば。理想に向かって行ったら自然とお金が稼げるの!」
相変わらず野口の説明はふわっとしていて意味が分からない。いや、今にして思えば野口自身も分かっていなかったのだろう。彼は所詮、下っ端も下っ端。ただの使い捨ての働きアリに過ぎなかったのだから。
しばらくすると、その「尊敬している人」というのが現れた。その男が来ると野口は「お疲れ様です」と椅子から立って素早く頭を下げた。景虎の方は眉間に皺を寄せる「部活かよ」そう思ったからだ。
「ふうん、君がミナト君ね」
その男は「サイトウ」と名乗った。サイトウは茶色いマッシュヘアの頭に丸い顔で、中肉中背。表情はどこか気取っていた。なんだか『大物感』というのは感じる気がする。
「一応、俺がここの代表をやってるんだよ。よろしく」
サイトウは名刺を景虎に差し出した。景虎はそれを受け取って確認すると、そこには「ニュージャパンオンラインサロン」とあった。
「俺たちはこの日本を新しく生まれ変わらせる為に活動してるんだ。ここにいる皆は理想を追い求めて頑張る同志みたいなモノで、俺はその手伝いをしているってわけ」
「はあ、なるほど」
景虎はまたもふわっとした説明に少し呆れた。本当にここで金を稼げるのか?
しかし景虎のその不信感のある態度を見逃なかったサイトウは畳み掛けるように言葉を続ける。
「君は野口の同級生なんだよね、君もすぐ理想を追えるようになるよ。な、野口。今月いくら稼いだ? 手取りで」
「五十万です」
サイトウに聞かれて野口は自慢気に答えた。五十万だって? 本当ならすごい金額だ。景虎はその金額に少し惹かれ、興味が湧いた。
「で、俺は何をすれば良いんですか?」
景虎が聞くと、待ってましたと野口はノートパソコンを鞄から出して起動すると、すぐに画面を見せてくれた。
『ビギナーコース 10万円
スタンダードコース 50万円
マスターコース 100万円』
──……と表示されていた。
「各コースの受講料だよ。ビギナーからマスターまであって、段々と教われる内容のグレードが上がっていく感じ。俺はマスターで受けた」
「マジかよお前、百万円も払ったの?」
景虎が目を丸くして聞き返すと、サイトウが何て事ないといった風に早口で補足した。
「でもこれから稼ぐお金で考えたら全然大した事ないよ。百万円くらいウチにいれば一年で元が取れる。要は野口みたいに一歩踏み出すかどうかよ、ミナトくん。今がチャンスだよ、もうすぐこの百万円も値上げしようと思っているから。正直ね、俺が教える内容は一億円くらいの価値があるから。何が君の理想かよく考えな」
俺の理想。景虎は思い浮かべた。母と妹な幸せならそれで良い。このジャパンナントカがどれだけ怪しくてもどうでもいい。
だが、現実問題としてそんな金が無い。百万円なんて借金したって足りない。精々今の景虎が借りられるのは四十から五十万円というところだ。
正直、後を引くものもあるが景虎は席を立った。
「残念ですがお断りします。百万なんて無理だ」
「五十万もあるよ」
「百万円のコースは一億の価値があるんでしょ? だったら今は五十万円払わないで、百万円を貯めますよ」
それじゃあ、と言って景虎は去ろうとした。
──その時だった。サイトウに何か耳打ちしていた野口は景虎に「待ってくれ」と声をかけた。
「なんだよ」
「お前、暴走族で喧嘩強いよな」
「俺は暴走族じゃないけど、まあ喧嘩が強いとは言われるよ」
景虎がそう答えると、サイトウは満足気に「採用だ」と笑った。
◯
その日の夕食中、食卓を囲みながら景虎は母に向かって言った。
「俺、今の仕事辞めるよ」
景虎のその言葉を聞き、母はその事に対しては何も言わなかった。だが「先」の話はとても気にしていた。
「それは良いと思うけど、あんたその後はどうするのよ。転職するの?」
「いいや、知り合いに誘われている仕事があるんだ」
景虎がそう言葉を返すと、明里も興味を惹かれたのか箸を動かすのを一度止めた。
景虎は今日の昼間に野口とサイトウに受けた説明をそのまま母と明里にも説明した。
「なにそれ、何をやる仕事なの?」
母は最もな質問をした。当然だろう、景虎も不信感はある。だが野口の「月に五十万」というインパクトのある自慢に既に捕われていた。
景虎はサイトウに説明された自分の仕事を説明し始めた。因みに、景虎にはあの百万円の受講料は必要ないらしい。何やら特別枠での採用との事だった。
「俺は社長の付き人みたいなのをやるんだ。そこで勉強していずれは独立するらしい。で、その社長ってのは経営コンサルタントをやっているらしいんだよ」
「コンサルティング会社なのね。ふうん、そこの社長さんの付き人ねえ。友達の紹介で?」
「そうだ。なんかふわっとしてて俺もまだ詳しくは分かってないけど、かなり稼げそうなんだぜ。誘ってくれた野口は今月もう五十万の仕事をやったらしい。だから俺も少し挑戦してみたいんだよ。上手くいったらマイホーム買ってやるから」
景虎は悪戯っぽく笑って答えた。母もやれやれと笑っていたが、息子の「挑戦したい」という言葉に最後には折れて「良いんじゃないの?」と認めてくれた。
「お兄、引っ越すんだ。ついに一人暮らし? だったら私お兄の部屋も使っていい?」
実はサイトウには引越して港区に住めと命令されていた。それが採用条件でもあるらしい。理由を聞くとまた早口で答えてくれた。
「港区だね、港区一択。港区に住まないとダメだよ。ここは勝ち組の集まる街だよ? 家賃は高いけどそれも含めて自分を追い込まないと結果出せないから。借金してでも必ず引っ越して港区に住みな。安い部屋は野口に探させるから」
やはり意味不明な理由だ。もはや「港区」って言いたいだけじゃないのか。景虎は思ったが、サイトウはその港区に住んでいて、彼の付き人をするなら近くに住まないといけないだろう。と云うのは理解できた。
母は引っ越すと言うと少し寂しそうにしていた。
「そう、家出ちゃうのね。まあいつかは私の元を離れるわけだから仕方ないかあ。でも何か嫌だわあ、モヤッとする」
「子離れしろよ、母さん」
景虎が笑うと母と妹も笑った。
そして、景虎は次の週には仕事を辞めてあっという間に東京へ行ってしまった。
今にして思えばこの時、母の感じた違和感はある種の虫の知らせの様な、そんな不吉な予感だったのかも知れなかった。
しかし景虎の方はその時、何も感じてはいなかった。いずれは億万長者だ、夢のマイホーム! そんな事で頭がいっぱいだったからだ。
母の顔色はこの時から少しずつ悪くなっていく。
────その⑦につづく
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