「サンタが如く」その⑥
6
トナカイの少年キッドと、紫苑はずっと雪の中で移動するサンタクロースの気配を辿って彷徨っていた。咲耶は倒れ、景虎はいない。そのか弱い身体は限界に近いが、紫苑は「私も八咫超常現象研究所の一員だ!」と心の中で何度も繰り返して自分を鼓舞していた。
丁度、駅から少し離れた住宅街の辺りに差し掛かった時だった。キッドは立ち止まった。何かがおかしい。それはトナカイの野生の勘とも言える違和感だった。そしてその違和感は現実となって現れる。
「キッドくん、あれがサンタさんでは?」
紫苑は少し声を明るくして目の前の人影を指差した。
ほんの数メートル先、紫苑とキッドに立ち塞がる様に人影が立っている。二人はその場で立ち止まり、その人影を観察した。
街灯の淡い光に照らされ、ぼんやり姿を現したそれは確かにキッドのよく知る「サンタクロース」にそっくりな風貌だった。でもキッドの頭の中の警報は鳴り止む事はない。あれがサンタクロースなら何故こちらに何の反応も示さないんだ? この吹雪の中でも気づかない距離ではないだろう。サンタは目が凄く良いのをよく知っている。「聖なる目」だと何度も自慢されていた。キッドは紫苑に向かって短く叫んだ。
「あれはサンタ師匠じゃない、何か悪いものだ。紫苑さん、逃げよう!」
キッドが振り向いて紫苑に告げたその瞬間、サンタらしき影、「クネヒト・ループレヒト」は人間ではあり得ない跳躍力でキッドに飛びかかった。
「危ないっ」
いち早く気づいた紫苑は咄嗟にキッドの身体を覆う様に抱えた。そして、次の瞬間には背中に感じた事のないほどの衝撃を受けた。自分の身体が突き飛ばされる感覚。気がつけば紫苑は雪の降り積もる路上に投げ出されていた。身体中が痛みに悲鳴を上げている。だが、キッドを守らねば。紫苑は霞む視界でキッドを探した。しかしこの吹雪の中、紫苑の弱視では彼を見つける事はできなかった。
これが景虎がいつも対峙している「悪魔」や「怪異」という存在なのか。あの襲ってきた影の正体は分からない。だが堪らなく怖かった。
紫苑が恐怖と疲れで動けなくなり意識まで遠のきかけた時、その低くしゃがれた声は優しく告げた。
「もう大丈夫だ」
はっ、と紫苑は顔を上げた。知らない男が紫苑の身体を支え、優しく微笑んでいた。この白い髭と笑顔はまるで──……。
「あ、あなたは誰なんですか?」
「わしはサンタクロースだ。助けて、っていうのは君かな。声が聞こえたよ」
そんな事を言っただろうか? 紫苑は必死すぎて記憶が曖昧だった。
その時、サンタの肩を借りて起き上がろうとする紫苑の横を男が走り過ぎた。あの黒いコートは景虎だ。紫苑は安心してまた力が抜けそうになってしまった。
◯
景虎は走りながらコートの内ポケットに手を突っ込んで対悪霊用武器である『聖なるナックルダスター(メリケンサック)』を取り出し、利き手の左手に装着した。そして、雪に埋もれて倒れている少年に手を伸ばした異形の存在にまずは飛び蹴りをくらわせた。その異形の存在は景虎に蹴り飛ばされて吹雪の中に消えていく。だが、まさかあれで終わりの筈はない。
景虎は倒れる少年を背に、敵の次の攻撃に備えた。
「今のがクネヒトだ」
サンタの声がどこからか聞こえる。この視界では確認できないが、ここから数メートル程離れた位置に紫苑と共に待機しているはずだ。
そちらはサンタに任せるしかない。景虎はクネヒトに集中する事にした。奴は背後の少年を狙っている。必ず向こうから飛び出してくる筈だ。そもそもこの視界の悪さと寒さでは長期戦は不利だろう。次の一撃で勝負を決める。
一瞬、降り注ぐ雪の挙動が変わった。これを見逃さなかった景虎は、敵の姿が現れるのとほぼ同時に拳を打ち込んだ。その銀色に怪しく輝くナックルダスターはクネヒトの顔面を打ち抜いて吹き飛ばす。すると、その頭は雪と氷が混ざったものを飛び散らせ粉々に粉砕された。
首から上が無くなったクネヒトはふらふらとその場で彷徨ったかと思うと、吹雪に紛れて消えてしまった。
しかし、今は逃げた様だが必ずまた現れる。景虎はそれを確信できた。何か執念めいたものを感じたからだ。
◯
景虎とサンタも合流し、一同はやっと八咫超常現象研究所に集結する事が出来た。
景虎は石油ストーブを最大の出力で焚き、研究所内を限界まで暖めた。窓の外では先程までの吹雪が嘘の様に止んでいる。
「
サンタは渋い顔でそう言った。どうやらクネヒト・ループレヒトは吹雪と共にやって来る存在らしい。
雪の中に飛び込んだ紫苑とキッドはシャワーを浴びた後、毛布にくるまって身体を温めていた。超常現象専門医のノザワが二人を例のゴーグルで検査したが『サンタ風邪』には感染していないらしかった。景虎の思ったとおりだ。紫苑とキッドは「サンタクロースを信じている」。これこそが最大の対抗策になるからだ。
「一回、状況を整理させてくれないかしら」
ジャージ姿で見るからに顔色の悪い咲耶は掠れた声でそう言った。
一先ずはサンタも景虎も含めて一度現在の状況とそれに伴って八咫超常現象研究所がすべき事を整理する事になった。サンタが応接用ソファに座り、ガラステーブルを挟んで反対側に毛布に包まった紫苑とキッド、そして咲耶が座った。謹慎中の景虎と、ノザワはソファ傍に立って話を聞いた。
まずは、サンタクロースが消えかかっている件についてだった。
「わしは精霊だ。“サンタクロースの役割を果たすために存在している”。じゃあそれを放棄したらどうなると思う? わしという存在は必要なくなるのだ。だから消える。わしはそれを望んでおる」
それを聞き、キッドは悲鳴にも似た叫びを上げた。
「そんなのだめだよ!」
「落ち着いて下さいキッドくん。まずは冷静に、現状を整理するのが先です」
紫苑は興奮気味のキッドを宥め、「続きを」と話の先を促した。その続きは景虎が引き取った。
「だがそれには大きな問題がある。『黒サンタ』と『サンタ風邪』の存在だ」
景虎はサンタクロースの半身、クネヒト・ループレヒトについて、加えてクネヒトの役割である『災いとお仕置き』に関しても説明した。そして引き起こされるサンタ風邪の性質である、異常に攻撃的になる事と治らない風邪の症状もサンタの補足を受けながら説明を続けた。
「それらは全て、サンタクロースが消えかかってるから現れたそうだ。多分、表裏一体でどちらか一方に偏ったらいけないんだ」
ここまで聞くと咲耶が確認する様に景虎に質問する。
「じゃあ朝のあんたがイライラしてたのは、その『サンタ風邪』だったってこと? で、症状が違うだけで私も今そうなってる」
景虎は「そうだ」とだけ短く答え、じっと顔を見つめてくる紫苑に視線を送った。その蒼い瞳に捉えられると罪悪感で苦しくなる。だが逃げてはいけない。景虎は軽く息を吸うとゆっくり紫苑に言った。
「朝は、悪かった。俺がクリスマスを好きじゃないのはお前には関係ないのに。八つ当たりして酷い事を言った。『風邪』のせいにはしたくない。本心じゃないが傷つけたのは事実だ。本当に、ごめん」
紫苑は景虎の言葉に目を丸くして驚いた後、微笑んだ。
「そんな事ありましたっけ?」
紫苑は悪戯っぽく笑うので景虎は途端に恥ずかしくなってきた。少し乱暴に「さあな」とだけ言葉を返すのだった。
◯
景虎と紫苑の仲直りによって研究所の雰囲気が少し緩んだその時だった。
「カゲトラ、良かったな。お前さんは『サンタ風邪』を克服した」
サンタクロースはそう言うとソファから立ち上がった。
「わしはもう行かせてもらう。状況は分かっただろう。手遅れだ。奴は到着してしまった。力を蓄えて必ずまた来るぞ、そして次はパンチ一発で倒れちゃくれんだろう」
「あんたはどうすんだい。ただ見物してさっさと消えちまうつもりかい?」
ノザワが立ち去ろうとするサンタの肩を掴んで止めた。だがサンタはそれに抵抗するでもなく優しい眼差しを返した。
「お前さんには今まで世話になったな。お陰で最後の方は体調がとても良かった。せめて遠くに逃げてくれ」
「質問に答えてないよ」
しかしサンタは結局、答えなかった。すると今度はキッドがソファから立ち上がり叫んだ。
「待ってよ、俺たちを見捨てるのかよ。一緒に人間の役に立とうって、笑顔を届けようって、そう約束したじゃないか!」
サンタは振り返り、悲しみを含んだ瞳でキッドを見つめた。
「私のキッド、お前はそんなに人間が好きか」
「当たり前だ、俺はトナカイだ、でもサンタクロースだ! サンタクロースは人間を笑顔にするんだ!」
「あの日、お前を襲ったのが人間だったとしてもか?」
サンタの静かな、しかし冷たいその言葉でキッドの頭に登った血は引いていく。サンタは言葉を続けた。
「お前を拾ったあの日、お前とお前の母を襲ったのは野生の狼じゃない。人間の狩人が放った犬だ。あそこでお前は人間たちの晩飯になるか毛皮のベストになる運命だった。そして、お前の母にトドメを刺したのは人間の弓矢だ。つまり殺したのは人間だ。もう一度聞く、お前はそんなに人間が好きか?」
「あ、ああ……」
すぐに言葉は出てくれなかった。
キッドは、幼い心ではとても処理しきれない現実を突きつけられて立っているのもやっとだった。だが、大粒の涙を流し、声を震わせながら尚、人間への愛を説いた。それが自分を救ってくれた憧れの恩人に教わった一番最初にして、一番大切な事だったからだ。
「そ、それでも俺は、サンタクロースになるんだ! 師匠がやらないなら、俺一人でも金貨を配って、みんなを幸せにするんだ! それが、俺のサンタクロースだから」
そんな幼いトナカイの言葉を聞いたサンタクロースは果たして何を思ったのか。彼は「そうか」とだけ呟くと、ゆっくりと研究所の重たい扉を開けて出て行った。
もう日付けは変わり、今日はクリスマスイブ、十二月二十四日だ。
今夜、聖なる夜にサンタクロースはトナカイを操り人々に幸運を授ける、そのはずだった。
────その⑦につづく
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