「サンタが如く」その⑤

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去年は紫苑が初めて八咫超常現象研究所で迎えるクリスマスだった。まだその頃は咲耶とも景虎ともあまり打ち解けておらず、口数は少なかった。

 その日は仕事の事務処理を行うため夜遅くまで研究所に残っていた。紫苑は一人で事務所唯一のノートPCにデータを打ち込んでいく。面白い作業ではなかったが、自分が必要とされている事が嬉しくて夢中になって作業していた。

 

 作業が終わった頃には零時を過ぎていた。ふと、紫苑は研究所の壁掛けカレンダーに目をやった。今日は十二月二十四日のクリスマスイブである。咲耶も景虎も用があると言って先に研究所を出て行ってしまった。それはきっと家族と過ごすからだろう。

 

「私も帰らないと」

 

紫苑は呟いた。

 彼女が住んでいるのは凰船駅前の小さなアパートだ。そこは女性専用のアパートで、最新型のオートロック機能が付いているらしい。防犯にかなり力を入れていると大家の中年女性は言っていた。

 

 だが安心できる反面、紫苑にとっては鉄の牢獄も同じだった。どうせ帰ってもお風呂に入って寝るだけだ。帰りを待つ人も、話を聞いてくれる誰かも、紫苑にはいなかった。ペットを飼うと良いとインターネットで見かけたが、婚期が遅れるという迷信めいた情報まで発見してしまい何となく手が遠のいた。

 

 肉親のいない紫苑は、いつか自分の家庭を持ちたいと漠然とした希望を持っていたからに他ならない。オカルトだとしても、少しでも家庭を持てる確率を上げておきたかった。

 だが、恋人も異性の友人も周りにはいない。そもそも凰船の街すらしっかりと覚えていないのにどう「良い人」を見つければ良いというんだ。紫苑は思わずため息をつく。 

 ──その時だった。

 


「ため息をつくと幸運が逃げるらしいぜ」

 

 はっとして紫苑は振り返る。そこには某ディスカウントショップの黄色いビニール袋を両手に下げた景虎が立っていた。彼はゆっくりとした動きで、先程まで紫苑が作業していた応接用のガラステーブルに向かって行き、その黄色い袋を置いた。袋の中にはパーティーグッズらしき物がたくさん入っている。

 

「これは?」

 

「クラッカーとかお菓子とかだな」

 

「どうしてですか?」

 

紫苑が困惑の表情を浮かべ、あまりに真剣に聞くので景虎は思わず吹き出した。

 

「クリスマスパーティーだよ。紫苑の仕事が終わるまで待ってたんだ。つうか、俺はしばらく後ろにいたんだけどな。夢中で仕事してるから気づいてなかっただろ」

 

景虎に言われて紫苑は顔を赤くする。全く気が付かなかった。景虎はずっと作業する自分を見守っていたというのか。

 

「あんまり熱心に働くものだから声をかけられなかったんだよ。仕事はもう良いのか?」

 

「もう終わりました。あ、あの湊さん。この度はお待たせしてしまい……」

 

「カゲトラで良い。待たせた事は気にするな。俺なんか報告書も終わってないのに定時で帰ってるからな。お前は立派だよ」

 

紫苑は照れてしまい言葉が出なかった。「立派」だと褒められたのは初めての事だったからだ。そうして暫く二人でぽつぽつ話をしていると、咲耶が研究所へ戻ってきた。外は寒いのか鼻が赤くなっている。その両手にはコンビニで買ってきたらしいチキンがたくさん入ったビニール袋を待っていた。

 

「あらあら、あらあらあら。二人で何の話かしら。お姉さんも混ぜてくださる?」

 

「二十五歳以上のお姉さんには内緒の話だよな、紫苑」

 

「あんた外に放り出すわよ」

 

景虎がまたいつものように咲耶をいじると、咲耶も口を尖らせて文句を言い応戦した。

 こんな仕事に関係ない雑談でも紫苑にとってはとても楽しく感じた。八咫超常現象研究所ここは初めて出来た居場所だ。それをこの時に心から思えた。

 

 そして、紫苑はラッピングされた箱を咲耶と景虎から受け取るのだった。これは「クリスマスプレゼント」らしい。咲耶はマフラーを、景虎はサングラスをプレゼントしてくれた。どちらも紫苑が出かける時に必須と言っていい道具だ。

 

「紫苑はうちの大事な仲間で、貴重な事務員なんだから、これからは遠慮はなしにして楽しく働きましょ」

 

咲耶はそう言って頭を撫でてくれた。景虎の方はそれを見て珍しく表情を緩めていたようだった。

 

 もう時刻は丑三つ時を過ぎていたがちっとも眠くはなかった。そのクリスマスの夜はみんなで夜中にチキンとお菓子を食べて、三人だけの景品無しビンゴ大会をした。

 キッドの言う「魔法の金貨」はきっとプレゼントされていたんだと思う。なぜなら「家族」と過ごすクリスマスが初めて訪れたのだから。

 

 それだけに、今朝の景虎の態度が気になった。クリスマスが嫌いなのを知らずにしつこくしてしまったのは悪かった。紫苑はそれを反省していた。だが、それにしても景虎はあそこまで人を罵倒するような人間じゃない。何か理由があるはずだ。それを突き止め、仲直りできれば去年と同じ様にクリスマスを過ごせるはず。紫苑はそう考えていた。

         

          

          


          ◯ 

 咲耶は研究所の応接用ソファに横たわり、毛布をかけて仰向けに寝転がった。立っているよりいくらかはマシになった様に感じる。だが相変わらず呼吸は乱れているし身体は暑い。そして等間隔でやってくる咳気が特に辛かった。測り終わった体温計を確認すると、「38.2°」と表示されていた。

 咲耶は急病のため、サンタクロース捜索を一度断念せざるを得なかった。咲耶の診察のためノザワも研究所に戻って来た。その代わりに紫苑とキッドは二人でサンタクロースの捜索を続けている。

 

「これはただの風邪じゃないね、『お仕置き』の仕業だよ。『サンタ風邪』とも言う」

 

超常現象専門の医者、ノザワは特殊なゴーグルをかけながら咲耶の服を一度全て脱がし、身体を観察した。ゴーグル越しに見れば咲耶の身体を覆う様に黒い「モヤ」がかかっているのが確認できる。これは呪いや災いに憑かれている事を意味していた。

 

「オシオキ?」

 

「そうさね。さあ、もうよく分かった。服を着な所長さん」

 

咲耶は支持された通りに怠い身体をゆっくり動かしながら服を着替えた。今着ているゆったりめのジャージはキッドが買ってきてくれたものだ。確かに、スーツ姿で寝るよりは楽だろう。 


「とにかく今から呪いに効く薬を作ってやるからそれを飲んで寝ちまいな。後の事はこっちでやっとくよ」

 

「そ、そういう訳には。私は所長だから、仕事を最後までやる、その義務が……。景虎とサンタも、帰ってきて、ないし」

 

大したものだとノザワは関心すらした。だが今その覚悟は寿命を縮めるだろう。こういうタイプにはぶつかっていってもムキになって返ってくるだけだ。ノザワは優しく諭すように告げる事にした。

 

「馬鹿言ってんじゃないよ。そのアンタが死んだら誰がここの所長をやるんだい。良いから休め、アンタの部下はそんなに信用できない奴らかい?」

 

咲耶はもう口を効くのも億劫らしい。だが、強い瞳の光を灯したまま首を横に振った。それを見たノザワは微笑みを返し、薬を用意し始めた。

 

        

 


 今、景虎とサンタクロースの二人は居酒屋を離れ、あてもなく街をうろうろと彷徨い歩いていた。

 「サンタ風邪」だの「奴」だのと何の話をしているのか。景虎は状況がよく分からなかった。サンタクロースはというと、ずっと黙って苦悶の表情を浮かべている。何かに迷っている様だった。

 

「おい、どうしたんだよ」

 

「今この街で『風邪』が流行っているだろう。それから以前よりも『喧嘩』が多くなってる筈だ。違うか?」

 

 景虎はサンタに言われて少し考えてみた。『風邪』は実際に流行っている。昼のニュースで堂々と報道されているくらいだ。八咫超常現象研究所でも咲耶が咳き込んでいた。あとは『喧嘩』に関してだが、忘年会シーズンなので夜に酔っ払った連中が揉め事を起こすのは恒例行事だとも言える。それの何が関係があると言うのか。

 

「サンタ風邪っていうのは、黒サンタが起こす災いの事だ。黒サンタっていうのは、わしのだ」

 

 

 サンタクロースの起源となった聖人は、死の間際に自らの心の側面を二つに分けて精霊を生み出し、それぞれに役割を与えた。

 

 一人はプレゼント魔法の金貨で人々に幸福を与える役割。これがサンタクロースである。もう一人は災いをもたらし、悪人を懲らしめる役割、クネヒト・ループレヒトだった。

 

 今でも世界の一部の地域では「クネヒト」の伝説は伝わっていて、子供を叱る時には「良い子にしないとクリスマスに黒いサンタクロースに攫われちゃうぞ」と言い聞かせるなど、日本でいう「なまはげ」に似た役割を担う存在だった。

 

 だが、誰かを監視し罰を与える存在というのは力を誇示するあまり、その力に溺れるものだ。それは精霊も例外では無かった。

 クネヒトはいつしか人々に罰を与える様になっていく。聖人の死後それはさらに歯止めが効かなくなっていた。そこで世界中のサンタクロースたちは子供たちの笑顔と幸福を守るために集い、クネヒトを倒す事にした。自らの半身、兄弟とも言える存在を消すのは心苦しいが仕方がなかった。

 

 雪原に数えきれない程の赤い服を纏った世界中のサンタクロースたちが集う。対するは吹雪の化け物に成り果てたクネヒト。その戦いは激しく、多くの犠牲を払った。そしてついに倒し切る事は出来なかったが大幅に弱体化させる事には成功したのだった。

 

 サンタたちはクネヒトに魔法をかけた。『サンタクロースを人々が信じる限りその夢は不滅。災いは聖なる夜に必要ない』と。こうしてクネヒトは、冬に流行り病や少しの不幸で世間にイタズラするだけの小さな存在になった、はずだった。

 

 そもそも日本には「なまはげ」がいるので黒サンタの伝説までは広く伝わっていない。するとどうなるか。この世界の「サンタクロース」は人々の想像や願いが具現化した存在なので、誰も信じなければ最初からいないのと同じ事になる。そういう理由から日本では各地に四十七人のサンタクロースのみしかいなかった。つまり黒いサンタ「クネヒト・ループレヒト」は「イタズラ」こそしていたが、日本へ何十年も入国出来なかったのである。

 

「──だが、わしが消えればこの神奈川県の“サンタクロースの席”が空く。奴はそれを狙っているらしい。わしが消えかかっているから「守り」が弱まって入り込んだんだろうな」

 

 夜がふけ、先程までよりだいぶ雪が強く降る様になっていた。酒を飲んだ身体の高揚はこの雪ですっかり冷やされてしまった。景虎は話を聞き終えると、前を歩き背を向けるサンタに聞いた。

 

「状況は分かった。いまさら嘘だなんて思わない。信じるよ。あんたはサンタだし、サンタは実在する。それでそのサンタ風邪っていうのはクネヒトの仕業なんだな?」

 

「そうだ。サンタ風邪になると常に気分が悪くむしゃくしゃするんだ、つまり「争いたくなる」んだよ。それか高熱が出て咳が止まらず生命力を吸い取られる。症状は普通の風邪と変わらないが性質は呪いと同じだ。風邪薬じゃあ治ってくれないだろうな」

 

「どうすれば治る?」

 

景虎がこの話で一番最初に思い浮かべたのは我らが八咫超常現象研究所の所長、八咫咲耶の事だった。彼女がもし『サンタ風邪』なら命の危険に晒されている事になるだろう。

 サンタは立ち止まると、やっと振り返り、雪の降る中で突っ立っている景虎を指差した。

 

「お前さんが証明しただろう。クネヒトの弱点は『サンタクロースを信じる心』だ。わしたちはそうやって魔法をかけた。今、お前さんはわしを……。サンタクロースの存在を信じているだろう? 今朝は信じていたか? だから今は風邪が治ったんだ」

 

 今朝は突然、幼少期のトラウマを思い出して不安になり気分がとても悪くなった。それで紫苑にも思ってもないほど強く罵倒してしまった。あれこそが『サンタ風邪』になっていたという事らしい。

 だが許される事ではないし、風邪のせいにはしたくない。紫苑を傷つけた事実は変わらないからだ。でも自分がそこまでどうしようもない奴になった訳ではなく景虎は少し安心した。

 

 サンタはさらに「奴が完全に入国すればそれも効かなくなるがな」と後から付け加えた。

 

「いま降っているこの雪も、放っておいたらもう止まらなくなるぞ。この雪は吹雪となり、街を氷河期に戻しても止まらんだろう。そしてサンタ風邪だ。この街の文明は崩壊するだろうな」

 

「じゃあどうすれば良いんだよ。サンタさん、あんたは大昔にそのクネヒトを退治したんだろ? また何とかできないのか?」

 

景虎が聞くと、サンタはうんざりした様にため息を大袈裟についた。

 

「こういう時ばかりサンタ頼みか。祈れ、やれる事はそれだけだ。サンタクロースの存在を信じていれば今のところは風邪をひかなくてすむ。───わしはもう、手を引いた」


サンタは再び背を向けてその場を去ろうとする。先程まで景虎と楽しく語らいながら酒を交わした老人はもういなくなってしまった。

 既に夜更けだ。さらにこれだけ強く降る雪の中では街に人は誰もいなくなっていた。未だ現実味はないが、この人のいない街は、ゆっくりと滅びようとしているというのか。

 

 

 景虎がサンタのその背中に声をかけるか迷っていた、その時だった。

 

「たすけて!」

 

 どこからか紫苑の声が景虎の耳に届いた。確かに聞こえた。なぜこんな悪天候で紫苑が外に? 


 疑問だが、助けを求めていたのは間違いない。すぐに辺りを見渡した。しかし視界か悪く、慣れ親しんだ凰船の街が全く別の場所に感じる。


 その時、突然サンタクロースは迷わず風のような素早さで走り出した。

 

「今の声があんたにも聞こえたのか」

 

「わしの耳は聖なる耳だぞ、サンタを信じる者の声が聞こえんはずがない」


先程までのくたびれた老人はもうそこにはいない。まるで戦士のような眼光をサンタは放っていた。

 




───その⑥へ続く

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